たまご論

ゆで卵は、もう元には戻らないので、私の脳みそももう戻らないのかもしれないと思ってしまった。



少なくとも悲しさや寂しさの根源に気付く前は、明るく気丈に、気合とやる気で振り絞る事が出来た。根暗ではあったけれど、辛くてもやれ。死ぬこと以外かすり傷。のような、正に精神論で感情をねじ伏せていた。
頑張れなくなったのは、愛されるなんて事は、私には縁のない物かもしれないと思ったからだった。人格形成の段階において、子供の頃からずっと私は寂しかったし、安心して過ごす事が出来なかったから、これからもずっとそうなのかも知れないと思って、取り繕っていたものがガラガラと壊れた。あるいは、自ら壊した。



人間関係が上手く行きそうになると、いつも何かしらの問題を起こしてギスギスしてしまう。またダメだった、と思うと同時に、それを望んでなくとも確実に壊してきた実感があった。
またダメになるかもしれないと思う時、いつかダメになる。いつかみんな離れていく。私は価値のない人間だから、いつか嫌われてしまう。という感覚があるから、不安に耐えきれない。
どんなに楽しく過ごせても、大切にしたいと思っても、愛おしいと感じても、安心することができない。そのいつかが、いつ来るか分からないから、ならいっそ今壊してしまえば、もうダメだった物として不安から逃れる事ができる。
それでいて本当に壊れたら傷ついて、また壊れてしまったという事実が残る。自分に価値がない、出来損ないの人間だと思い知って、きっとどこかで私は安心する。私にとっては、安心はイレギュラーで、不安な状態がデフォルトなのだと思う。変わってしまうのは怖いから、やはり変われなかった、という事実に対して、絶望と安心が共存する。



悲しみの根源に気付いてから、感情に振り回されるようになった。私の中では激情が常に動き回り、それらは常に私を攻撃する。
前までどうコントロールしていたのか、もうすっかり思い出せない。熱した卵は元に戻らない。脳みそが溶けているかのように、ずっとモヤがかっていて、長い文章が理解できなくなったり、ひらがなやカタカナをド忘れしてしまったり、世界が濁ってしまった。もしそれが、脳の変質によるものなら、文字通り変わってしまったのだと思うと、悲しい。



この悲しみや苦しみが無くなった自分は人生に未だ存在せず、いつかそうなりたいと思っているけれど、それはまったくしっくりこない。心から望んでいながら、自分では無くなってしまうような怖さがある。



変わることへの恐怖がある。今まで生きていた事がない方向に進むのだから、これは生物の本能なんだと思う。じわじわと少しずつ、自分でも気付かないくらいのペースで進むのがいいのかもしれない。今は、価値のないように思えるこの吐き出しも、いつかこれも必要だったと思えるかも知れない。



いつか、熱した卵をおいしくする方法を知りたい。


いいなと思ったら応援しよう!