夢中になるのが怖い。

学校に行けず、後ろめたい気持ちで10代を過ごした。安心感の無いのが当たり前だった。


学校へ行く選択肢以外は許されず、しかし不登校を選んだ私を母は悩ましく思っていた。
罪悪感と焦燥感がいつからか住み着いた。


社会人になって、働くようになって、周りの目を気にせずには居られなかった。
ここにいてもいいよという許可を貰えないと安心できず、ずっと気が触れそうだった。これが間違った世界の認識だということも分かっていたけれど、何度言い聞かせても未だ、コントロールは難しかった。どれだけ頑張ってどれだけ認められても、心から謙遜した。凄いと言われても結果が出ても、出来損ないだといつバレるんだろう、バレたら見捨てられるんだろうという緊張が解けなかった。


生きている事が後ろめたい。何かにならなければ、何かを成さなければいけないような不安で常にいっぱいで、何かに夢中になる事が出来ない。私の意思を優先させる事は他人を悩ませる事で、困らせる事で、その先に私の安住はないという長年の経験でインプットされた歪んだ認識が、今もまだ生きている。

夢中になるのが怖いから、楽しい事も手放しでのめり込めない。心がいつも焦っていてどこにも落ち着けない。走って、逃げて、だから何も残らない。創作が好きなのに深く潜ることが出来ない。こんなのをもういい加減やめにしたい。


続けるって決めた、文を書く事。絵を描く事。発信する事。

欠片でも生み出したものたちが、いつか私の証明になって、少しずつ私を作ってくれますように。過去も今も全部出すから、新しいものをちゃんと取り込めますように。新しいもので入れ替わって、自然と変わったその頃の私が、何が好きか、誰が好きか、何をしてたいか、言えますように。
夢中になる事を楽しんで今を生きれますように。


今はまだ願うばかりだけれども。何もしないよりはマシかと思う。
また書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?