日記 #103 2022.08.04 「心霊マスターテープ -EYE-」

心霊マスターテープシリーズの3作目にあたる「心霊マスターテープ -EYE-」を見た。

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これテレビシリーズで全6話あり、元は地方テレビ局の企画制作だったと思うんだけどアマプラでも見られる(2022年8月時点)。そして自分は1作目と2作目のシリーズも見ている。なんならそれぞれ1日で一気見した。そして3作目の「EYE」も一気見した。あんまりそういうことないんだけど、なんだろう、自分の好みにあっているというか、「コワすぎ!」とかも好きだし「うさんくさ心霊モキュメンタリー」みたいなのがジャンルぐるみで好きなんだと思う。

で、せっかくだから「EYE」の感想でも書こうと思ったわけ。

ざっくり言うと心霊マスターテープ1作目は「前哨戦」で2作目が「本丸」という感じ。1見て「ふーん、おもしれードラマ」とか余裕こいて2見たら「えぇ? 何この人? 話は…話もおもしろいが…こんなことになる…?」てなって「えーこれすごい作品じゃない?」となった。

そういう認識のうえで3作目なんだけど、見た時はなんというか「王道異色作」という印象。

1と2で「心霊マスターテープってこういう感じか」と認識していたものとは、3作目は少し違う感じだったので異色ってなったんだけど。まぁ監督とかも違うし、そもそもシリーズ自体のコンセプトが割とフリーダム(実在の心霊映像監督が多少出てさえすればいいよくらいの規定?)なのかもしれないなぁって。

その異色さの一方で「EYE」は物語としてはドがつくストレート直球で、むしろ今そこに投げ込んでくるゥ〜〜〜? みたいな感じもあって、何というかキャラクターのネーミングからして恐らくは直球がモットーというか作風なのかもしれない。だって人を呪い殺せる力=邪視(ダンダダンと被っててこういう偶然あるよな)を持つ少女の名前が「ヒトミ」なんですよ。この名付けは相当な胆力がないとできないだろ。(あとタイトルのEYEは愛だしIだし哀だし"E"がちょっと"3"ぽいしちょうど3文字だし、みたいなのもあるんだろう。)

それで彷彿としたのはシャマランの「レディ・イン・ザ・ウォーター」だけれども(ざっくりテーマ「物語」の話なんだけど主人公の名前が「ストーリー」という)ある意味「ひねりがなさすぎて逆に細かい部分にめちゃくちゃこだわれる」とも言えるのか。実際「EYE」はOP映像(1と2にそんなシャレたもんあったっけ)からして非常に美しく(監督はMVも撮っているらしい、なるほど)本編への繋ぎも大変シャレているのです。あとねぇ、1と2もそうだったんだけど役者さん(特に今作ではおばさん2人)の芝居がすっげーいいんだよな。あれなんなんだろ。

で、まぁ「心霊マスターテープの規定ってゆるいのかも」とか書いたけれども、この「EYE」は非常に「心霊マスターテープ」ていう作品の特性を別角度から「見て」作られた作品でもあって。

それは「本当かどうかわからない」心霊映像を「集めたり撮ったりしている」監督がつくる「フィクション」の映像作品である、ということをすごい意識しているというところ。

だからキーアイテムは「カメラ」だし、その「カメラ」は「呪いを持って人々を見つめる目」でもあるという、なんかすごい辛そうなんだよな。心霊映像ディレクターってなんか色々抱えているのが多分基本で(自分は世間に嘘を吐き続けているしそれはわかっているのだが!? みたいな感じの)そこらへんのジレンマが1にも2にも3にもあって、この手のシリーズ、なんかそれがおもしろいのかもしれない。わたくしはすごく性格がわるいので。(なお「コワすぎ」シリーズにもそれはあるんだけど、あれはむしろそこらへんを逆手に取ってる作品群であるのでまたさらに異端である。)

というわけで「カメラ」と「邪視」を重ね合わせるように描き、さらに邪視から抽出された「呪い」が「奇妙な映像」として送り付けられ、人々が次々に死んでいくという流れは、まったく心霊映像を撮る者としての鬱屈がパンパンに詰め込まれたと言ってもおかしくない作品で、いいですね、すごくいいですよ、という感じ。

自分はもともと「映画の映画」がすごく好きで、なぜなら基本的に映画撮ってる人は映画が好きなので、「映画の映画」って込められる熱量が半端なくてだいたいおもしろい。

心霊マスターテープも「心霊映像を撮ってる人による心霊映像モチーフのドラマ」だから構造的には同じで、ただそこに一筋縄ではいかないというか捩れに捻れた製作者側のジレンマがあるので、単純に熱量でパンパンとかではない、またちょっと違った趣になっているのかもしれない。

だから「本当かどうかわからない」心霊映像を「集めたり撮ったりしている」監督がつくる「フィクション」の映像作品だってことを製作者側が「意識している」というよりかは、そもそも構造上、そうならざるを得ない企画設計になっている、とも言えるのか。すげーな。発明じゃん。考えたやつ鬼か。

これは恐らく心霊映像を生業としている人なら誰が撮っても(は言い過ぎかもしれないが)起こり得る事態だし、またさらに違う人が撮ることで違う視線で作られるのだろうから、基本的におもしろく多彩な作品が作れる、という話かも。おっ、金脈か? 自分にとってはだけど。自分も鬼だった。

というわけで「心霊マスターテープ -EYE-」は、捻れた思いがパンパンになっている切なくもまっすぐな作品でした。青春だよこれはもう。

心霊マスターテープシリーズ、次回作もよろしくお願いします。

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