日記 #102 2022.03.07 「ドンブラザーズの1回目を見た」
昨日3/6に第1回が放送された「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」を見ましたよ。
なお1話は期間限定で公式配信中。ぜってぇ見てくれよな!
で、感想とか思ったことを書きたいなというわけですが、特撮の感想なのに昨今の暗い世情の諸々にもふれております。嫌な方はご注意ください。
さて、まず「ドンブラザーズ」を見て、決して少なくない人たちと同様に自分も「トロン」と「ゼイリブ」を連想したんですね。まずトロンについては巨大化戦のネオン街(意味が違う)な雰囲気のところもそうだけど、闇堕ちヨッピーによる卓球バトル@学食のシーンなどはまさにトロンのバトルオマージュでしたね。いいシーンだった。また「電脳空間(?)に囚われた父親」なんてあたりも割とトロン。オリジナルとレガシー(続編)両方の要素がある。
ゼイリブに関しても割とまんまゼイリブ。サングラスをかけると民衆に紛れ込んだ侵略者(?)の正体が見えるとか、街中の広告物が実はサブリミナル的な侵略者のメッセージになってるとか。そのうち路上プロレスやんのかな。
で、それぞれのオマージュ自体は別によくも悪くもないんですけど、個人的にはこの2作品を組み合わせたことがまずすごいなと思って。
というのもトロンは「見た目は人間、中身はプログラム」で、ゼイリブも「見た目は人間、中身は侵略者」という2面性を描いたもの。さらにゼイリブに至っては社会病理をテーマに取り上げたプロレスバトル映画じゃないですか。プロレスバトル映画ではないが。
これらを「アバター」ていう概念でぐるっと引っくるめているの、すごくおもしろい設定だなと思いました。ドンブラザーズ、お子どもへのわかりやすいフックとして「桃太郎」をモチーフにしつつ、本質的なテーマはどっちかというと第1回のサブタイでもあった「暴太郎(あばたろう)」つまり「アバター」なんではないか。
さらにマインクラフトやフォートナイトといった、今まさに子供が夢中になっているコンテンツ的映像表現も取り込んでフックとしつつ、「現実」ではない世界があるという2面性を描くうえでも効果的という。上手〜。
で、そういった要素で構成される「ドンブラザーズ」のテーマって2面性、即ち「不確かさ」なのかなぁと思ったんですね。物語冒頭で黄色の女子高生こと鬼頭を助けた「青いヒーロー」は敵になり、「オリジナル」のはずだった鬼頭の漫画は「コピー」になり、それによって「栄光」も「挫折」に変わり、そして「現実」すら不確かなものになっていく。まずは一般人の代表・鬼頭の目線で「君の見ているものは何一つとして確かでない」ということをパンパンパンと突きつけてくる。いや5歳かそこらの子供に? 非情〜。
でもその「不確かさ」って今の世の中もう仕方がなくて、そういうもんなんだ、付き合っていかなきゃいけないんだ、むしろいいことだってあるんだ、みたいな感じで間を取り持つ象徴として「アバター」が使われているのかなぁと思った。現実の自分とアバターの自分、それは確かにまったく違う見え方だけれども、同じ自分には違いなくて、という。
そしてサングラスを通して別の世界を見ることができるということは、あのサングラスはつまりVRゴーグルだよね。
すると鬼頭がゴーグルを掛けた後に見えている世界はVRなのか? 思えば赤いのが踊り子やらを引き連れてくるのも現実的ではないし、今までの戦隊は本人の肉体がスーツをまとっていたから変身後も人の形だったけど今回は明らかにデカいやつとか小さいやつもいて、さらに戦いが終わった桃や黄色はその場で変身解除するのではなくパッと消えているので、やっぱ変身後の世界は全部VRなのか、あるいはあの作品で描かれている世界自体が既にVRで現実世界は別にあるのかもしれないね、とか。流石にそこまで踏み込むのは子供向け作品としてどうなの、という感じもあるけども。(なおこれ全部VR世界じゃね? というのは1話ラストのおじいちゃんとか犬の服にいちいち名前が書いてあんの、VRのアバターってことじゃね? というのもある)
いずれにせよ、いつも見えている姿があり、それとは違う姿もあるという2面性を描きつつ、それを敵のみならずヒーロー側も同じアバター変身で対抗する。2面性があるということについて、どっちがいいとも悪いともしない、要は使いようであるとなっている緻密な設定だなぁと。今っぽ〜。
(これは覚え書きだけど敵は鬼? つってるらしいが「人間は〜」みたいなこと言ってるし、そもそも人間じゃないのは確かなんだろうな。トロンに則るとすればプログラム的な何か? 鬼を「ONI」と書くと01も入ってるしな〜とか)
で、さらに思ったのが2面性を描くことで「情報の危うさ」にも言及してるのがすごいってなって。
鬼頭の漫画が実はトレパクだったというのも「情報」の危うさを象徴するために用意したくだりですよね。「オリジナル」とは何なのか? 「コピー」とは何なのか? そう問いかけるのは鬼頭自ら手掛けたはずのオリジナル作品がコピー認定されてしまうことの違和感だけど、社会(同級生)は「あれはコピーだ」という「情報」を信じて動いていく。NFTなんかがトピックとしてもてはやされる今「オリジナル=真実」と「コピー=捏造やフェイク」の境界って曖昧だよねって話をするために「漫画」を持ってきたのも意図的なのかどうか知らんが、うわ〜ってなっちゃうね。わかりやす〜。今っぽ〜。語彙力〜。
(とか思うと途中に出てくる司法試験受けようとしてる人の話も絶対に意図的な設定なんだろうけどよくわからない。混沌とした世界で「司法判断」ていうのが一つの絶対的正義であるということと対比されるんだろうかね。しかしそれもまた個々人の見解でしかないが…みたいな話がどっかにくんのか、知らんけど)
とはいえそっちのテーマをゴリゴリ掘り込んでいくと、どうしても「お子さま向け」から逸脱しそうなので、あくまで裏テーマ的な感じで描いていくんじゃろうなと思っている。いや〜、難しいでしょう〜? やるのか〜? ほんとに〜?
そして自分が一番強く思ったのは、新コロちゃんのいる世界線に突入してより試されるようになった個々人の情報リテラシー、混沌とした様子をSNSで誰もが容易に観測できるようになったうえ、さらにおっぱじまったR国とU国の戦争(と言ってしまってもよかろうもう)における情報戦、その最前線を目の当たりにできる今、まさしく「情報」への接し方が人類史かつてないほどに試されまくっている、このタイミングで放映されたのはなんかすげぇなって思いました。一言にするなら「君が今、見ているものは何か?」っていう問いでしょう。その問いに現実が合致しすぎるのよ。メッセージ性が強すぎる。
ここ最近、戦隊をいくつか見ていて時代性をめちゃくちゃに反映するんだなとは思ってたけど、こんな話を全体テーマの軸に持ってくるとは。いや確かに情報リテラシーがスキルとして必須であろうお子たちのため、いつかこういうテーマがあってもとは思うものの、いやいやって感じある。まぁ新コロのことは製作者も念頭に置いたはずだけど、つくづくこのタイミングよって感じですね。
まぁなんか、桃太郎要素がどう活かされてくるんだとかいう根本的な話もありますが、自分はこっち方面に興味が湧いちゃった。今後がちょっと気になる作品ですね。おわり。
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