自己紹介
基本情報
海郎です。
1996年11月24日産まれ。
出身地は東京都です。
最終学歴は大卒。理工学部物理学系。
趣味はアイドルの追っ掛け、ポケモン、怖いもの(肝試しやホラー映画・ゲームなど)。
持病
脊髄側弯症(先天性でかなり重症)
うつ病(2019年8月から。自動車関係の職場でパワーハラスメントによる。)
睡眠時無呼吸症候群(2020年12月から。)
持ってる資格
情報技術検定2級
計算技術検定2級
準中型車運転免許(5tに限る、MT)
玉掛け技能講習
介護初任者研修(東京都)
介護福祉士実務者研修
工事担任者第二級アナログ通信
経歴
1996年11月24日に東京都の病院で産まれる。しばらくの間は何の問題も無く、生活。ただ、両親が離婚した辺りから人生が変わり始める。俺は親父の方に行ったが、いじめを受けてるのを知ってても無視をし、もう面倒を見る気は無いと言い、施設に送るとか言い始めた最悪な父親だった。毒親を通り越して猛毒親である事を知る。親父のせいで離婚したのにも関わらず…。反省してるだろう。という事でついて行った俺が浅はかだった。人に変われだの、人間としてどーだの。みたいな事を言っていたが、1番面倒臭がって変わっていなかったのが俺の親父でした。割と直ぐに親父を信用出来なくなり、親父の言った事の反対方向へ突き進んだ。そうしたら人生成功している。もちろん、失敗した事も沢山あるが、それは自分の経験として次へ活かせてる(はず…)。
大学生の時は物理を専攻し、勉強しながらコミュニケーションに力を入れたり、大学生にしか出来ない事を沢山しようと、サークル活動や色んな友達や先生、先輩後輩とコミュニケーションを取った。大学1年の時にはポケモンのゲームサークルに入ったが合わずに辞めて、2年生の時は放送部と木球(※)サークルに入った。木球サークルでは、先輩が新聞に載った事で、俺も一緒に写らせてもらいました。3年生では、心霊研究愛好会というサークルを立ち上げて部長になった。大学では本当に色んな事を学んだ。人それぞれ十人十色であり、コミュニケーションの取り方や勉強する事の意味を見つける事ができた。楽し過ぎた大学生の頃の話は沢山したいが、キリが無いので、別の機会に。
社会人になってから、一人暮らしを始めた。期待と不安を胸に社会へ飛び込んでいった。研修期間を終え、各部署に配属されたが、配属先でパワーハラスメントにあう。殴られたり、脅されたり、ゴミ箱を投げられたりした。そして、わりと直ぐに適応障害(うつ状態)と診断された。そん時はとてもショックだったし、驚きが隠せなかった。休職し、会社の人事や上司からもしっかりと休むようにと、心配の声を掛けてくれて、とても嬉しかった。しかし、休職したらで、親父という地獄が待っていた。実家に帰ったところ、「働け、恥ずかしくないのか」という謎理論を並べ、家を追い出したのだ。1番恥ずかしいのはお前自身だ。と、本当に言いたかった。その時は本気で自殺を考え、Twitterで遺書的なヤツをツイートし、自殺しようとしたら、フォロワーの皆さんがとても優しく、励ましてくれたのだ。本当に彼等には感謝している。こうやって生きていけるのも彼等のお陰だと。俺の親父とは大違いだと、世の中は捨てたもんじゃないと感動した。復職するまでの間はおふくろの家に居候していた。復職した後は再び頑張ろうとしていたが、うつ病の再発で退職。
少しの間、迷走していたところ、また親父と揉めて家を飛び出した。流石に我慢の限界を迎えた俺は裁判所へ出向き、調停を起こした。こうなるのも当たり前だ。
その後、TOKYOチャレンジネットという歌舞伎町の所で介護支援コースに入り、介護の勉強を始める。初任者研修を取得し、仕事に就くまで面倒を見てくれる所だ。しばらくの間お世話になり、介護で働き始めた。10ヶ月という短い間だったが、うつ病の治療と、生活の基盤を整えるのに丁度よかった。
しばらくの間ニートをしていたが、もうそろそろ、うつ病のリハビリ的な感覚で、今は職業訓練校に通っている。職業訓練校を卒業したら働きながら夢を追いかけるつもりだ。芸能事務所を持っており、名ばかりではあるが、社長をしている。その会社を繁栄させるつもりだ。今はそれに向かい、うつ病と戦い、学校で日々勉強に育んでいます。
こんな私ではありますが、応援していただけると、とても嬉しいです。
※木球とは、台湾で1990年代に生まれたスポーツ。木の球を打ち合い、点数を競い合う。ゲードボールをイメージしてくれると分かりやすいかも。
(写真は、大学生の時に行ったロッカジャポニカというアイドルです!)
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