一方的に教える先生での失敗
ワークショップは元々は工房という意味だそうだ。
何かを生み出す場
それは、そこで活動する一人一人が主役になる。誰かに言われたから考える、作業する、動き出すのではない。
僕はカリスマ教師を目指していた時代があって、素晴らしく流暢に話し、たくさん子どもに質問して、子どもたちはどんどん手を挙げるみたいな授業を目指してた。
尋常じゃないぐらい、努力したので、評価も高く鼻高々。
しかし、実はきづいていたんだ。子どもとの心の距離があることを。
いつも、僕の顔色を見る子どもたち。
判断の基準が僕になっていたんだ。
真人先生は、誰のために授業しているの?
あなたの授業は、うまいけどいい授業ではない。
同僚の先輩に言われた言葉。心に響いたのを今も覚えている。
僕の授業は、見栄や傲慢さや承認欲求に溢れていたんだ。
こんなことがしたくて先生になったわけじゃない。ちっぽけなプライドが崩れ落ちた。
そんな時に出会ったのが、同じ自治体で働く同級生がしていた、ライティングワークショップという授業だ。
ワークショップという言葉さえ知らなかった僕は、この魅力と、底に流れる子どもの能力を信じきるという哲学に共感していくことになった。
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