聴解問題の問題点|日本語と日本人の会話は別物?!
会話脚本=聴解問題
一応、演劇業界に30年以上、脚本についても若干の知識がある者として。
前提
素人が作れるような容易いものではないということ
俳優として
こんな脚本もらったら、「生きてないのでセリフ変えていいっすか?」「またはあえての意図あります? ミステリー?伏線?」「背景は?」「関係は?」などなど、監督とミーティングが必要になります。つまり駄作脚本ということ。
日本語教師として
後述
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しかし、このような会話脚本(=聴解問題)が、日本語教育業界では蔓延=常態化=一般化=当たり前化
国際交流基金、教材出版社含め、日々こぞって増産中。
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「日本語」ではあるけど、「日本語(人)の会話」ではないということ。
こんな会話する人います? ということ。
なのに、
「これが、日本語でござい!」
と作り、教え、
「不正解なら"能力"なし!」=能力試験不合格
という現状を問題視するどころか、法改正までして推進している始末。
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結論
"作る"という行為自体が間違い。(読解文例も同様)
万万が一作るなら、もっと研鑽を。
対策(日本語教師として)
とはいえ、郷に入っては郷に従うしかない現実・・・(教師も学生も)。
教えるときは、「日本語教育」ではなく、「あくまでもクイズ」として心構えをさせること
残念ながら日本語能力とは別脳であることを明確に教えること
↑ ここを教えるしかないナンセンスな現状だが仕方ない・・・
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具体的には、お越しください。