「小さなつばさ」インタビュー前編
こんにちは、インターン生のあきのです。
今回は、『小さなつばさ』のメンバーのひさのさん、ひさのさんの妹のいくのさん、あやさん、ゆきさん、さおりさん、みらいさんの6名に取材をしました。
『小さなつばさ』とは、1999~2003年にNPO法人ホロコースト教育資料センターでホロコーストについて学んだり、新聞をつくったり、イベントの開催を手伝ったりしていた小学生、中学生、高校生の有志のグループ名です。現在さまざまな分野で活躍されている元メンバーの皆さんにインタビューさせて頂いたことを、前編と後編の2つに分けて紹介します。
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『小さなつばさ』のメンバー達の楽しそうな活動のワンシーン
『小さなつばさ』に入ったきっかけ
ひさのさん:小学校1年生の時に『シンドラーのリスト』という映画を観たことがそもそものきっかけです。その頃からホロコーストについて興味があり、福山市のホロコースト記念館に見学に行きました。その後、NPO法人ホロコースト教育資料センターから案内が届き、イベントに参加して、本格的に『小さなつばさ』の活動に参加するようになりました。
あやさん:小学校の時アンネフランクについて知ったことがきっかけです。その後、高校の先生にホロコースト教育関連資料センターについて教えて貰いました。
ゆきさん:あやさんと同じ部活で、私がキャプテン、彼女は副キャプテンで仲が良く、その流れであやさんと一緒に入りました(笑)。
いくのさん:姉(ひさのさん)がホロコースト教育資料センターに入ったので、自分もついていきました。
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ハンナのかばんと『小さなつばさ』のメンバー達
小さなつばさの活動内容
いくのさん:ニュースレターを作ったことを覚えています。新聞を手書きでつくって、それを印刷して、学校などで配ったりしていました。
ゆきさん:表参道の会場で「子どもフォーラム」というイベントを開催したことを覚えています。私は、舞台で質問をする係でした。ホロコースト生還者のゲストに体験を聞いたことも印象的です。アウシュビッツ強制収容所内でユダヤ人に彫られる、数字の入れ墨を見せて貰った記憶もあります。
活動の中での思い出
ひさのさん:学校では出会えない様々な世代の人々と出会える、集まれたということが楽しかったですね。
ゆきさん:活動終わりに皆でラーメンを食べたり、原宿に行ったりしたことが楽しかったなぁ。日本にあるシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に「ハンナのかばん」を見てもらいに行ったり、そこでユダヤ教徒と子どもたちと一緒にヘブライ語の歌を歌ったりしたこともありました。そういえば、子どもフォーラムにてゲットーの歌を歌う活動をしていた生還者の方もいたなあ。
当時どのような気持ちで参加していたのですか?
ひさのさん:私は、ホロコーストの歴史について学べるこの環境を誇りに思っていました。けれど、私が放課後ここで課外活動していることに賛成しない人も少なからずいたのです。それでも、誰もが誰も皆同じ考え方じゃないから、それが理解してもらえないこともしょうがない、押し付けちゃいけないとその時学びました。
ゆきさん:私は、周りの子と比べて「いいこと」をやっている優越感も少しありましたね(笑)。中学校では私がこの活動していることをみんな知っていて、いいことをやっていると思われるのが嬉しかったです。
『小さなつばさ』を振り返って
『小さなつばさ』での経験がその後の人生に与えた影響
ひさのさん:色んな人と関われたことが良かったです。当時のホロコースト教育関連資料センターには、若い人からおばあさんまで色んな世代の人が来ていました。広島で被爆された方もいましたね。 ここでの活動が、海外に行って外の世界に知りたい、若いうちにしか出来ないことをしようと思うきっかけになりました。その後、国際協力がしたくてタイに行きました。
あやさん:今は全く関係無い仕事をしているけど、大学はホロコーストについてドイツ語で勉強したいと思ってドイツ語学科に進みました。仕事もドイツ系の企業に就職しました。今でも、常に自分の心の中にあの時学んだことが残っています。
ゆきさん:前の仕事はバイヤーで、海外出張をしていました。 海外と密接に初めて繋がった経験は『ちいさなつばさ』です。海外に関わる仕事がしたいと思うきっかけにもなったのだと思います。
いくのさん:私は今美術館で学芸員の仕事をしています。美術が好きになったきっけかは、ホロコースト教育関連資料センターの、色んな個性を受入れる世界が居心地が良かったことも関連しているかと思います。人それぞれの個性を受け入れるということが、小さなつばさの活動してた時に身体の中に沁みついてたのかなと。
みらいさん:石岡史子さんとその後も仲良くしているので、僕は影響を受け続けています(笑)。 社会問題について話し合える相手がいることが良かったですね。
小さなつばさに入る前後で価値観や考え方はどう変化したか
さおりさん:小3・4くらいだった当時、ハンナのかばんを見せて貰ったことがとても衝撃的でした。収容所で亡くなったユダヤ人の少女の遺品という、普段の生活の中じゃめぐり合わないものにめぐり合ったからです。その時から、価値観が変わりました。当たり前のことが当たり前じゃないのだと、初めて気付いたのです。周りに人にもそのことに気付いてほしくて、アンネフランクの感想文を友達に読んだりしていました。ちいさい子どもながらの使命感を持っていたのだと思います。
ゆきさん:他の皆と比べて基礎知識が何も無い状態で参加していたからこそ、色んな人と出会って色んなこと教えて貰いました。その後も、世界の様々な事象に対してバリアを持たず接せられるようになりました。
いくのさん:私が働いているアートの世界でもホロコーストを題材にするアーティストが多いんです。人間の根源的な問題なんだと振り返ります。小さい時にホロコーストについて学んでおいて良かったなと思います。知らないと考えることすら出来ないので。貴重な経験だったなと。
インタビュー取材をしている最中は、まるで同窓会のような楽しい雰囲気でした。史子さんが所々で当時の写真をZOOMで共有して下さり、自分自身も何故か懐かしいような感覚がしました(笑)。
スポンジのように様々なことに好奇心を持ち吸収しやすい子供の時期に学んだことは、その後の人生でも強く生き続けていくのですね。私はもう21歳ですが、更にホロコーストについて勉強していくと共に、子どもに対して広める活動にも参加してみたいです。
(後編に続く)
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