あの夏の日を思い出す【2023年喜界島前編】
皆さんこんにちは。村おこしNPO法人ECOFF学生支部のつっつです!
今回は私が活動に参加した振り返りをしようかなと思います。
実際に参加した人の話ってある程度需要があるかもしれないし。
なにより私も備忘録のようなものを作っておきたかった。
一参加者がなんかダラダラ独り言喋ってやんの、くらいに聞いていてください。
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「今しかできないことをしたい」
私がECOFFの活動に参加したのは去年の夏のことだ。
随分前から存在自体は知っていたが、予定が重なったり、お金がなかったりとなかなか行けなかった。コロナの影響をもろに受け、バイト難民と化し、見つけたバイトもシフトにろくに入れなかった。
人付き合いが昔から苦手で、慣れ親しんだ都会を出て知らない人と10日間の共同生活をする、ということに尻込みする気持ちもあった。
そこから3年の月日は流れ、兄弟や友人が次々と社会人になっていく。だらだらしたり講義をサボったり遊びまくっていた彼らが、朝早く起き、夜まで働くルーティーンをこなし毎日を過ごしている。
今あるこの時間は有限なんだ、と思い知る。
尻込んでいる暇はない。長期の休みを取れるのはこれで最後かもしれない。最後くらい何か記憶に残る特別なことをしたい。
やっぱり参加しようと、そう思った。
「日常生活では出会えない体験を」
参加したのにはもう一つ決め手があった。
これまでもバイトを転々としたり、ボランティアを掛け持ちしたりしてきた。
経験するとか参加するといった行為が単純に楽しかった。
新しい人、新しい環境、新しい知識、新しい価値観。「新しい」と出会う度に胸のうちから溢れ出る暖かさがたまらなく好きだった。
その趣味は自分自身の気づきにもつながっていた。
人には色々事情がある。
大学の枠を超えて様々な環境に身を投じる中で、身体障害、精神障害者、ホームレス、不登校、不良、外国人、同性愛者、認知症当時者、戦争経験者、避難民、宗教人、本当に沢山の「私と違う人」と出会ってきた。
最初は理解できないような個性や話、心情も、一人一人にそれぞれの理由が、人生があった。
一見ただの関わっちゃいけない様な人も、ちゃんと向き合うと、実は周りよりも純粋な心を持っていたり、その人なりの優しさがあったり、そんな経験ばかりだった。
違うから、わからないから、見えないから。形容し易いレッテルが全てではなく、そうやって見過ごされてきた一人一人を、その人生を、私は忘れていないよと言ってあげられる人間が必要だと思った。
だから私はそれになりたいと思った。
だからもっといろんな場所で「新しい」を見つけようと思った。
色々な世界を知ることが、私自身の優しさになると信じて。
その方法の一つがECOFFだった。
「それはまるで絵画の様」
空港で偶然再開した大学の知人に別れを告げ、いざ一本目の飛行機へ。喜界島は奄美大島の隣にある。基本的に鹿児島港からのフェリーに乗り、一泊することになる。
私の最寄りの空港は新千歳空港。所要時間既に1時間。ここから羽田へ飛び、乗り換えて鹿児島空港で降り、高速バスで鹿児島港へ向かう必要がある。
所要時間約21時間。
地獄である。
しかし幸いなことに、地獄の先には天国が待っていた。
それはまるで絵画のようだ、と思った。
北国の中都市で生まれ育った私にとって、目を見開かざずにはいられないような鮮やかな情景が待っていた。
島に着いてすぐ見に行った、珊瑚礁の海岸から見る朝焼けは、昭和ドラマの如く胡散臭いくらいに燃え盛るオレンジ色をしていた。
見たこともないくらい透き通った青空は、排気ガスの影響を微塵も感じさせないくらいに透き通っていた。
自転車で数分のところにある天然のビーチは、ガラス玉のように透明で、吸い込まれそうな程鮮やかだった。
都会部に向けて自転車で颯爽と坂を下るときに感じるのは、島の8割を締めるサトウキビの群れが織りなす、澱みなく澄んだ風。
海を漂う七色の魚。
波打ち際で逃げるカニ。
珊瑚礁ではしゃぐヤギの群れ。
私の手の中で眠るヤドカリ。
これまで北の大地で田舎というものは嫌というほど目にしてきたが、まだ私の知らない日本があったんだ、と思った。そして、私は君たちと出会うために生まれてきたんだね、と、スピリチュアルなことを柄にもなく思ってしまったものだ。
島というものは行くのだけで非常に労力がかかる。しかし、かの有名なレオナルドにもミケランジェロにも描けなかった、その島に眠る絵画を見つけられるなら、その時間すら惜しくない。
ECOFFのコースにも、コース外にも、そんな地域がまだ沢山、日本にはごろごろ眠っているのだろう。
ああ、なんと美しい国だろう。
「環境を超え、繋がっていく」
生まれ、育ち、年齢、そんなしがらみを超えた出会いが、この旅にはあった。
今回参加した仲間は、関東圏のみならず、岡山や徳島、和歌山等、様々な出身の人がいた。生まれ育った環境も経験も何から何まで違う人たちであった。
コロナ禍で制限された大学生活、最後の思い出を探しにきた人。
3月に参加し、島の魅力に取り憑かれ、インターンとして島に戻ってきた人。
休学して留学し、日本でも沢山旅がしたいと願った人。
知人とうまくいかないことがあり、救いを求めて逃げてきた人。
一つ相手の物語を聞くたびに、その人の人生が、その人自身が輝いて燃えるようになった。
そしてその度に、また一つ相手を好きになった。
大学に好きな人がいる
えー早く付き合えよ意気地なし!
そんなヘタレ誰も付き合ってくれないよ!
いいよ30歳になって魔法使いになるんだ!
きゃーーー
……
当の本人がこの文章に辿り着かないことを願うが、とてもいじり甲斐があって面白い意気地なし(?)だったのを覚えている。
農作業をして、着衣のまま海を泳ぎ、遠くまで食材を買いに行き、皆で料理して、BBQをして、お酒を飲んで、カードゲームをして、夜の神社を散歩して、上を見上げて、星を見て、
なんら共通点のない9人、たった10日間の共同生活で、私たちの間には間違いなく長年来の友人のような空気感が漂っていた。
もし、普通に大学やバイトで出会っていたら、こんなに素敵な出会いにはならなかったと思う。もっと淡白で、あっけない出会い方をし、別れていたかもしれない。
なんの繋がりもない人と何も知らない土地でボランティアをし、一緒に住むから、私たちは心から繋がれたと思う。
嬉しいことに、一部の人とは解散後にも地元で会うことができた。
時間が合えば会いたい人もまだいる。
つくづく尊い出会いをした。
あなたたちに出会えただけでも、私はここにきて良かったと思えた。
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まだもう少し書けそうなので、もし時間があればお付き合いください。
次回は、島民との交流だったり、10日間で何をしたか、あたりを書こうかなと思います。
ああ、あとで見返したら恥ずかしくなる気がする…
まあいいや⭐︎
それでは!