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『女は死ぬまで女です』乳がん検査の経験から女性の「性」を考える

「女は死ぬまで女です」

野口整体の始祖である野口晴哉の著書、
『女である時期』の中の、この一文が私の中の何かをハッとさせた。

それとほぼ同時期に、健康診断で乳がんの疑いにひっかかる。

ボディケアのセラピストとして23年。
人のカラダと向き合ってきて、
切に実感した
カラダのケアだけでは決して改善しない根本が、心•精神の部分にある、と。

そして、心・精神の探究を深めていく内にまた、それだけでは解決しない鍵はカラダにある、と。

カラダ・心・精神のそれぞれのバランス、それぞれの健康状態が、真のwell-being への最短の道ということに気づいてから、

お客さまへも、私自身へも
カラダにも嘘をつかないこと
にも嘘をつかないこと

それを指針としてセラピストの活動を続けてきた。

そう過ごしてきた中での、
胸の奥にできたしこり。

精密検査のために
胸に太い針を何度か刺す。

幸いにも、今回は乳がんの疑いは
疑いだけで済んだ。
けれど、半年に一度の同じ精密検査を勧められた。

その際の医師の言葉。

「精密検査で何度も針を刺すのがお辛いようでしたら、いまの段階で胸を取る手術をするのもひとつの手ですよ」

それまで、私は女である、ということを特段気にもかけてこなかったし、
むしろ女は色々不便なことが多くて男みたいに自由になりたい、とすら
薄っすらと願っていたのに、

女性の象徴である胸を切り取るという言葉になぜか、深く傷ついた自分を見つけた。

子供を産んだら、閉経したら、カラダの機能としての女は終わりかもしれない

けれど人間は子供を産まない選択もあるし、もし産んでも、閉経の後も
同じカラダの人生は続く。

「女は死ぬまで女です」

その文の何に引っかかっていたのか、
医師の言葉で気づかせてもらえた。


ああ。そうか。
私は、私の女性の部分をもっと全うしたかったんだ。

「性を全うする」

このことにチャレンジしようとしたときに、
初めて気づいた私の中の壁。

「性」そのものへの否定感
タブー視
見てはいけないもの。触れてはいけないもの。公に話してはいけないもの。
穢らわしいもの。

それらを払拭しないと
「性を全う」できない、と感じた。

そこから、私の性の探究への道が始まり、
ある性の伝道師のセミナーに参加を決意。

セミナーでの学びや、その仲間たちとの語りあいで、私の性に対するわだかまりはほどけていった。

私の中で性に対する思いは嫌らしい、忌み嫌うもの、から
喜びを分かち合う尊いことに次第に変化していく。

そんな中、1人の志を持つ人とのご縁ができた。

その人は、女性の「性」の悩みを社会レベルで捉え方を変えたい、と常々考えていた、と。「もし良かったら、そのための活動を一緒にやりませんか?」と。

その話を聞いたときに、

日本社会全体が今見ている「性」への捉え方が本当に変わったときの
その未来に私も行ってみたい、と思えたし

一連のできごとの流れと
私のとった行動、心の変化が、
もしかしたらその活動への
準備期間だったのかもしれない、
使命的なものも感じた。

これが、私がこのNPOに携わることになった経緯です。

読んでくださってありがとうございます。

NPO法人SAYi(セイアイ) 代表理事 坂元 ひろみ


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