なぜ日本人はセックスの本音を話さない?性のすれ違いのできる仕組み
日本の性は「建前」と「演技」で溢れている。
「気持ちいいでしょ?」、「イキそう?」、「俺ウマいでしょ?」
パートナー間では、言えない女性と、汲み取れない勘違いテクニシャン男性のギャップがあるケースを特に耳にする。(逆もまたしかりです。)
【なぜセックスの本音が言えないのか】
日本には「察する」文化がある。「本音と建前」という国民性もある。
友人関係でも、ビジネスの世界でも、日常で相手に直接的に「本心」をありのまま伝えることがそもそも少ない。
・手作りの料理を作って貰えば「美味しいです」
・友達の彼氏には「ステキなカレシだね!」
・ビジネスの提案を受ければ「魅力的ですね」
ここら辺はある意味「ここまでがセット」の定型文のようなもの。
※それが本心とは違っていても…
また、店員に失礼な態度を取られても、その場ではニコニコやり過ごすなんてことも日常的によくある風景である。
(あとで口コミサイトでボロクソに書くなどという仕返しをする人はいるが…)
「相手を害さず」「ことを荒立てず」「角を立てずに」、会話や人間関係を平和的に、スムーズに運ぶためにある種、「建前と演技」は必要な行為ともいえる。。
では「セックス」においてはどうだろう?
【本音は相手を傷つけることも】
・「気持ち良くない」
・「それイヤ」
・「痛い」
・「元カレ(カノ)の方が良かった。」
性(セックス)において本音をストレートにぶつけるとどうなるか
ほとんどの相手は傷つくだろう。
特に、男性はプライドも高い傾向があり、「ほかの男(オス)」に負けたとなると自信を無くし、その一言が「女性不信、女性恐怖症」にもなってしまうほどの破壊力がある。
「建前と演技」はある意味「相手を傷つけない」、「場を盛りさげない」ための思いやりでもある。
しかし、その優しさが
・いつまでも相手の気持ちがわからないまま
・相手が不満に気づかず
・相手を満足させたと勘違いしている
という性のコミュニケーションの悪循環という悲しい結果を生んでしまう。
【男性が悪いわけじゃない】
冒頭で「勘違い男」をディスるような発言をしてしまったが、私もイチ男性として男性側の意見を言い、擁護したい。「男が悪いわけじゃない」
悪気があって
・痛い
・気持ち良くない
・不快な
セックスをする男性は(恐らく)一人もいない。
では、なぜ勘違い男はできるのか…
「言ってくれないからわからない」のだ。
みな「悪くない」という反応をするから、問題点にも気づかないし、改善のしようもない。
問題は「性教育」にもあるし、きっと憎むべきは「アダルトビデオ」の存在
日本の性教育は「子供ができる仕組み」に終始し、実際の行為で必要な知識、心掛けは教えてくれない。我々男性の教材はAVでしかないから、過剰、過激・力強く、激しい行為が「正しい」「女性が喜ぶ行為」と思ってしまう男性がいても仕方がない。
お世辞で言われた「気持ちいい」や、アダルトビデオを真に受けた「自称テクニシャン男」が量産されても仕方ない環境にいるのである。
「勘違い男」もある意味、被害者といえるし、「何も言わない女性たち」にも責任の一端はあるかもしれない。
つまり、どちらが、誰が悪いという次元ではなく、もっと大きなくくりで、全員で考えるべき問題であると思う。
【日本と諸外国のセックスの違い】
私は学生時代から、社会人生活に至るまで長く海外生活を過ごしてきたため、それなりにいろいろな国の女性の価値観に触れ、お付き合いもしてきた。また、学生時代に海外でマッサージの国際資格を取ったことをきっかけに、人間のココロとカラダについて考え続けてきた。
あくまで私の体感だが、主に欧米諸国では
・してほしいこと
・してほしくないこと
要は「アレしてコレして」をもっと自由に話す傾向にあり、カルチャーショックを受けた。
イメージ的には「カップルがセックスをよりよく楽しむ」ためにお互いが意見・要望を言うのである。
普段から意見をハッキリいう傾向にある欧米諸国を完全にコピーはできないが、日本の女性も男性もこのセックスカルチャーをちょっと取り入れていったらどうだろう?
【本音を言う=責める】わけではない。
上記のように、ストレートに本音をいうと、相手を傷つけることにも繋がりかねない。
でも目的は相手を傷つけることではない。
セックスは究極的な愛の共同作業なのだから、どちらが一方が満足し、一方が我慢・苦痛を強いられていたらそもそも成り立たない。
そのために「相手を欠点を責める」のではなく、「こうしてくれたら嬉しい、気持ちいい」「アナタはどうされるのが好き?」をお互いの気持ちを確認しあうコミュニケーションが当たり前のように行われるのが理想だと思う。
「ダメ出し」をするのではなく、「相手をよく知りたい」「心地よくしたい」からこそ確認作業が必要なのだ。
【自分の本心にさえ気づかない女性・男性も多い】
パートナーどころか、家族・友人にさえ「セックスを語るのは恥ずかしいこと」と思っている男女が多いので「自分の本心にさえ」気づいていないケースもある。
また「私のカラダがおかしいだけ」と自分を責めているケースも多い。
さらに、性は「下ネタ枠」になり、飲みの席で冗談まじりで話す程度で留まってしまうことも多い。セックスの話は、聞く前から不真面目でふしだらというカテゴリーに振り分けられてしまいがち。
でも、それって不思議
3大欲求の一つであり、ほとんどの人が経験・通過するモノだから、「食事・睡眠」と同じように「悩み」や「要望」を自然に打ち明けれる場所があっても良いと思う。
いや、いままで無かったことが不自然だと感じる。
どうでもいいワンナイトの相手には言えるのに、カレシやカノジョなど、好きだからこそ、傷つけたくなくて、関係を壊したくなくて言えないという男女も多いのだ。
【日本に「性の本音を語れる場所」が必要】
性の隠れた問題解決は、少数の行いとしてではなく「国家レベル」で取り組むべき問題であると感じる。
誰も言わない、話さないこそ、表面化していないだけで、心のモヤモヤを抱えて生きている人々は想像以上に多いと感じている。いや、きっとほとんどの人が何かしら人に言いにくい想いをもっているのではないかとも予想している。
悩みや要望を気軽に、でも真面目に言い合える世の中を作りたい、この想いから日本初(?!)自分の性を語る「NPO法人SAYi(セイアイ)」の設立に至った。
セックスにおいて「コレ」という満場一致の正解はない。お互いの嗜好、性格、関係性、メンタル、体調、その場の雰囲気にもよって日々の「正解」が変わるものだと思う。
2人にとって正しい・心地よいセックスは、唯一「相手に想いを話してもらう」「相手のことを知る」ことで、2人で見つけることでしか見つけられる方法はない。
その雰囲気づくり、社会作りの第一歩として「性の悩みや想い」を話し、共有し、他人の価値観に触れることで自分やパートナーの気持ちに気づけるきっかけにもなると思う。
性のことを真剣に、だけど医学的、カウンセリング的な見知だけではなく、もっと気軽に性への想いを共有できる場所作りを通じて、みんなで「性を考えて、話して当たり前」の世の中作りの第一歩になることを願っている。
NPO法人SAYi 代表(共同) 佐藤きよたか