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置かれた場所で咲く花になれ

10月に入り、ようやく夏休み気分が抜けた、ライターの穂香です!🦋

今回は、9月10月は子どものお悩み相談の件数が増える傾向があることに着目しながら、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉について考えていこうと思います。


置かれた場所で咲きなさい

累計200万部を超え、国民的ベストセラーになった1冊の本「置かれた場所で咲きなさい」は、ノ-トルダム清心女子大学(岡山)の学長を長年にわたって務められた渡辺和子さんが、2012年に著した作品です。

「咲くということは、仕方がないからあきらめるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。

(中略)

私は変わりました。そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。

人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと決心することができました。

置かれた場所で咲きなさいより引用

ただ置かれた場に不平不満を持ってばかりでは、環境に振り回されているだけで、希望していた場所でなくても、その環境の中で、自分自身を主人公と認めてあげて、変わっていくことで、自分自身が幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることができる。
確かにその通りなのですが、この"置かれた場所"というのは、決して"家庭"や"学校"などの環境のことだけではないと思います。

「置かれた場所で咲きなさい」

学校や職場(置かれた場所)で、うまくいかなかったり、居場所を感じることが出来ない場合に、「それじゃ環境の奴隷でしかないから、それでもその場の主人公となり、花を咲かせなさい」なんていうのは、あまりにも残酷過ぎます。


あなたの居場所は?

私自身、幼稚園から高校3年生の今まで皆勤で、学校は大好きで、先生も友達もすごく好きだし、行きたくないと思ったことはありませんが、何故だか"学校"という場所が、自分の"居場所"だと自信を持っていうことが出来ません。多分、だから校外という選択肢を選び、いま活動しているのだと思います。

そこで私が思うのは、「置かれた場所」は自分で選択することができるということです。

子どもはどうしても、家庭や学校という大きな枠しか見えなくて、それ以外に自分の居場所はないと感じてしまいがちです。
私自身も以前は、そして私の周りでも、そのように感じてる人は多くいるように思います。

ひどい例でいうと、「過労死」です。
「過労死」という日本の言葉を、海外に暮らす友人が使っていたことに、以前驚きましたが、日本では長時間労働を招きやすく、過労死が多いというニュースはよくみかけます。


自分の居場所を感じることが出来てない場所で、咲きなさいなんて言われても、辛いだけでとても苦しい。
逆に、自分の居場所だと感じることの出来る場所では、いきいきとして、花を咲かせようと頑張ることが出来る。

そうやって自分で定めた、私の居場所の中で"花を咲かせる"こと。
自分自身が幸せに生きれる場所で幸せに生きて、その周りの人にも寄り添って幸せを分け合って生きていくこと。

それが「置かれた場所で咲きなさい」において、忘れてはならない大切なことなのだと思います。

私が輝ける場所で咲く

「いちどきりの人生を笑顔で生きることの決意」
たった一度の人生、もう今は戻ってこないのだからこそ、子どもの自殺や悩み相談が増加するこの時期に、居場所で悩んでいる人や今がとてもつらい人に、是非自分自身が幸せに生きることの出来る環境に身をおいて欲しい。決して、学校に行かないことを肯定しているのではなく、それでもし死を選んでしまうくらいであれば、命より大切な学校なんてないわけで、それならあなたが輝ける、あなたの居場所に、そんなコミュニティに身をおいてみた方がいい、そう伝えたい。

日本では「孤独を感じる」と答えた子供の割合が約30%で、これは次位のアイスランドのほぼ三倍となっています。どうか孤独を感じる子供たちが、あなたの場所であなたらしく咲くことが出来ますように。

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