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STARTUP LIVE #6 庵原保文氏——イベントレポート

5/29に出版された『STARTUP 優れた起業家は何を考え、どう行動したか』(NewsPicksパブリッシング)の刊行を記念して、本書に登場する起業家の方々をお招きする連続イベント「STARTUP LIVE」が開催された。

第6回目は株式会社ヤプリの庵原保文氏をゲストにお迎えし、著者堀新一郎氏、琴坂将広氏と対談。その様子を書き起こしにてお届けする。

書籍のご紹介

庵原保文氏のご紹介

STARTUP LIVEのアーカイブ動画(YouTube)

琴坂将広氏(以下、琴坂):みなさんこんばんは、STARTUP LIVEのお時間です。この番組は2020年5月29日発売の話題作、『STARTUP 優れた起業家は何を考え、どう行動したか』の出版を記念して、この本に登場する起業家の方々をお呼びし、根掘り葉掘り質問しちゃおうという企画です。 #STARTUP本 でコメントもお待ちしております。プレゼンターは私、慶應義塾大学SFCの琴坂将広とYJキャピタルの堀新一郎でお送りします。

今日のゲストはヤプリの庵原さんです。こんばんは!

庵原保文氏(以下、庵原):こんばんは、よろしくお願いします。

琴坂:heyの佐藤さんからご質問をいただいておりまして、そこから今日の議論を開始していきたいと思っています。

「最初の2年間は辛くなかったのか、なぜYapliを信じ続けられたのか」という質問なんですけど、当時ヤプリさんがやっている領域に注目が集まらないなかで、なぜその領域に突っこみ続けることができたのですか?

庵原:いや、つらかったです。人生で2度と戻りたくないのが、創業前の2年と創業したあとの2年です。創業前の2年はなにも見えないなか、ただつくり続けていました。創業後も、やっと夢の起業を果たしたのに、ビジネスがはばたかず、めちゃくちゃつらかったですね。そういう意味では4年間、1つのオリンピックイヤーにわたって苦しみました。

堀新一郎(以下、堀):普通は心が折れますよね。

庵原:ほぼ不可能ですよね。アスリートと同じように、オリンピックまでの4年間、メダルが取れるかどうか、オリンピックに出れるかどうかもわからないなか、毎日励み続けるというのは、リスクを考えると限りなく負ける確率が高い戦いで…。宝くじみたいなもので、当たったらいいけど、ほとんど当たらない。

堀:庵原さんは「『優れた起業家』としてピックアップしてよかったのかな…」と思うぐらいですよね(笑)(編集注:堀さんと庵原さんは付き合いが長く、気心の知れた仲である)。4年間ですからね…ほかの16社の方たちのなかでも、1番苦労していると思います。赤坂優さんは、1カ月で1万人ぐらいユーザーを獲得したりとか、ほかにも初日からドカンといってる人がいて、その中で4年間って長すぎるという感じですよね。

庵原:長過ぎですね。1年以上も心は続かないですよね。ただ僕は、「起業は忍耐力」だと思ってます。賢いとかじゃなくて、忍耐力の勝負です。特にこういうソフトウェアのビジネスをやっていると、ほとんどの人が最初から価値を提供できないし、理解してもらうのに相当時間がかかります。

そのなかでもやっていけたのは、コアカスタマーがいたことが大きいですね。月商数十万、今月50万来月60万みたいに10万ずつ上がっていく小さな世界だったんです。でも、そのなかで、Yappliに熱狂してくれるコアカスタマーが何人かいたんですよ。本当にゼロだったら、たぶん無理だったと思いますね。

あと、「すごいプロダクトをつくったんだ」という自信があったんです。「ノーコードでアプリをつくるなんてほかの誰もできない、そんなの思いつきもしない」「革新的だ」という自負があったんです。それを分かってくれる人、使って喜んでくれる人がいたっていうのは大きい支えでした。グロースレベルには到底いかなかったんですけど…。

堀:今は、自社アプリをつくることが当たり前になっていると思うんですけど、創業した2013年の頃は、FacebookとかLINEでさえ、アプリよりブラウザの方が使い勝手がよかった時代だったと思うんです。

「アプリが来る」と信じ切れた、根拠のない自信が(庵原さんに)あったと思うんですけど、なぜそこまでアプリビジネスにかけようと思えたのかを知りたいです。

庵原:当時はアプリが出てきたばっかりだったので、みんなアプリをオモチャだと思っていたんです。(アプリがあればiPhoneが)懐中電灯になるとか、計算機になるとか、そういうオモチャみたいな扱いでした。それはそれで便利で、みんな熱狂していたんですけど、まだ誰もそれを本物の何かだとは思ってなくて…。

だけど、僕は「アプリの時代になる」と根拠なく思っていました。以前Yahoo!でウェブ開発をしていたんですけど、ウェブには出せない圧倒的なユーザー体験が(アプリには)あったんです。振れば電波は飛ぶし、Bluetoothはつながっちゃうし、端末を横にするだけで形が違う動画や記事になったりするし…。そういうフィジカルとつながってるユーザー体験を見て「絶対これはウェブより感覚的になるし、フィジカルに近くなる」という直感はあって、それでアプリを選びました。

想定外だったのは、創業期はまだオモチャだったのに、今となってはすべてのタッチポイントが圧倒的にアプリになってきていったことです。ライフスタイル全般がアプリの世界になっていったというのは、僕らにとって非常に追い風だったし、そこまで市場が大きくなるとは正直思ってなかったですね。

Facebookも最初、マーク・ザッカーバーグが HTML5でアプリをつくっていたけど、「ネイティブアプリでやらなかったのは失敗だ」っていう敗北宣言をしています。それから、ネイティブアプリにつくり変えて、Facebook自体も大成功し始めたし、ITスタートアップが本気でネイティブアプリのほうに投資をし始めたんです。メルカリもそうだし、基本的にはネイティブアプリで成功した企業が、それまでのウェブヒーローたちをどんどん破っていって…。スマートニュースもそうだと思いますし、LINEもそうですよね。コミュニケーションする手段はいくらでもあったけど、アプリのユーザー体験で勝った企業が、2010年代から始まったスタートアップ競争を制していったんです。

救いの一手となった「Slush Asia 準優勝」

琴坂:庵原さんが先駆者たり得たのは、それがわかる前にやり始めたというところと、そこで折れなかったところですよね。必要な体験を提供するために必要な苦しみを、産みの苦しみを経験できたってことだと思うんですけど、その時期にYahoo!での原体験とコアカスタマーがいたこと以外に、(精神的に)バックアップするものはあったのですか?

庵原:出資を受けていることも大きな効果になりました。もし自己の資金だけでやってたら、諦めていたと思いますし、もっと(創業メンバーとの)仲も悪くなっていたというのは本音かもしれないですね。僕たちはYJキャピタルから出資を受けていて、(僕が)Yahoo!出身なだけあって、ピアプレッシャーが大きかったですね。

堀:バイネームでいうと、小澤隆生さんですよね。

庵原:そうですね。「あいつら失敗したんだ」って思われたくなかったですね…。比較的近いネットワークの人たちから出資を受けていたので、期待を裏切りたくないというよりも、どちらかというと「あいつらは失敗したんだね」って簡単には思われたくはなかったんです。

琴坂:では逆に、どういう状況になっていたらピポットしていたと思いますか?

庵原:買ってくれる人が増えなかったらピポットしたでしょうね。BtoBで売上がないってもう終わりだと思うんです。BtoCなら、売上はないけどダウンロード数はあるとか、ユーザーはいるみたいな状態って、ある程度初期は成り立つと思うんですけど。BtoBで売上立たないということは、明確に需要がなくて、ニーズをかけ間違えたということだと思うので、非常に厳しい世界ですよね。

マネタイズがゼロ、もしくはまったく進歩しないという状態だったら間違いなくやめていたと思います。あとは、(起業すると)社会性がなくなって、どんどん孤独になってくんですよね。精神的にギリギリだった局面がありました。ただ、創業から丸2年経ったあとの2015年の4月にSlush Asiaで準優勝したんですよ。国内外から50社くらい出てて、審査員もそうそうたるメンバーのところで、2位になれたんです。精神的にギリギリだったラインで、2位になれたのは、かなり盛り上がりました。そこで日の目を浴びたのは、最後の救いの一手になりましたね。創業メンバーの佐野とか、黒田も、ものすごい喜んでくれて…「やっと自分たちのサービスプロダクトがコアな人たちに認められた!」と。あれは大きかったですね。

堀:はじめから、アプリをノーコードでつくれるサービスをつくろうとしていたのですか?

庵原:最初から「ノーコードでつくろう」と言ってました。きっかけは、「庵原がアプリつくってるらしいよ」というのを聞きつけた友人2人から、「こんなアプリをつくれないか」という依頼があったんです。その要件2つとも、つくろうとしてる内容が似ていたんですよ。ちょうど僕も起業のブレストをしているときで、友人2人から同時に同じようなアプリの依頼があったので、「もしかしたら、ドラッグアンドドロップだけで、簡単にアプリをつくり出せるサービスは需要があるんじゃないか」と思ったんです。

(友人の)オファーを受ければすぐに数十万円もらえるかもしれないけど、受託で1個1個つくる発想は当時はなかった。なので、「そういう(友人の依頼も解決できる)ウェブサービスつくりたい」と思いました。それで佐野にアイデアをぶつけてみたら、「できる」っていうんですよ。結局完成するまで、2年かかったんですけど(笑)。全然つくれるレベルのサービスじゃなかったんです(笑)。(佐野は)未踏ユースのエンジニアなだけあって、第一声が「できる」なんですよね。根拠なしに「つくれちゃいますよ」みたいな強気なことを言っていました。そんな感じで始まりました。

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「感性」による意思決定

琴坂:私も受託の会社をやっていて時期があって、アンケートフォームを自動生成するサービスをつくったんです。それを、外に出すか出さないかという議論をして、結局、中で開発を進めて外には出さなかったんです。ヤプリさんの場合も、開発を効率化するツールとして中に置いておいて、外に(サービスとして)出さないというやり方もあったんじゃないかと思ったんです。

庵原:その議論はありました。でも、外に出さないと市場の大きさが分からないですよね。琴坂さんも、当時は、アンケートフォームの市場の巨大さに気づけなかった。でも、それを解放していたら、サーベイモンキーやらウーフやらバケモンみたいなサービスになって、今ごろユニコーン企業になってたかもしれないじゃないですか。2000年当時って、オモチャみたいなアンケートフォームでユニコーンになるなんて、絶対想像つかないですよね。気づいたときには、インターネット人口が何万倍にもなっていて…という感じですよね。

琴坂:庵原さんは、そういうのが見えていたってことですか?

庵原:僕らも見えてないですね。でも、そういう議論があるなかで(サービスを)外に出すということは、感性で決めました。「かっこいいことしたい」「スタートアップらしいこと、シリコンバレーっぽいことをしたい」みたいな気持ちがあったんです。その上で、(サービスという)宝物を隠したまま受託をやっていくというのは、スタートアップらしくないと思ったんです。「とにかくスタートアップらしいことをやりたい」というミーハー心がまず第一でしたね。

あと、裏でつくって受託販売しなかったのは、それをやると受託で回らなくなると思ったんです。お客さんから、受託会社だと思われてしまう、オーダーメイドでつくってくれる受託会社、なんでもつくってくれると思われてしまう恐れがあった。できるふりをしてしまうと、あらゆる角度から、あらゆる要件がきて、裏で持っているツールでは到底賄いきれなくなって…。そこから崩壊して、10億円いかない企業に陥ってしまうと思うんです。

(サービスを)オープンにしたことで「自分たちはここまでしかできません」という、裸になった状態で戦えるんです。お客さんにそれを理解してもらいつつ、何千回というアップデートを重ねて、どんどんできることが拡大していく。最初は特定の数社しか取れなかったのが、機能・各部のアップデートをどんどん加えることによって、徐々に対処できるお客さんの数が増えていく感じです。

琴坂:テーラーメイドはしないけど、機能追加していくというスタンスで、どんどんサービスがよくなって、広がりをつくっていくという感じですね。

堀:(庵原さんは)とにかく感性で動くことが多くて、一緒に仕事しててイラッとするんですよ(笑)。

琴坂:イラッとするんですか(笑)。

堀:理由がちゃんと説明されずに、「これよくないですか?」みたいな説明なんですよ(笑)。あと、もう1個は「頑固」。当時、フリーミアムをやるかやらないかって話があったんですよ。

庵原:ありましたね。

堀:今だと毎月サブスクリプションでエンタープライズと契約して、アプリのサービスを提供しているんです。でも当時、フリーアプリといえば、フリーミアムで。とにかく無料でダウンロードしてもらって、使っていくうちにどんどん課金していくというサービスが多かったんです。Yappliもすばらしいサービスなんだから、WordPressのようなかたちで、まず多くの人に無料で使ってもらって、追加の機能を使うときは有料というモデルでやっていくほうがいいんじゃないかっていう話があったんです。

琴坂:自然な発想ですよね。

堀:創業当時からその議論があったんですけど、頑固で「絶対にやらない」と言って、譲らないんですよ。当時は、庵原さんにしか見えない世界があったかもしれないんですが、結果的に正しかったんです。

琴坂:サービスの対象となるCユーザーは結構いて、それをBユーザーのほうにスイッチしていく過程の中で、何か手応えはあったんですか? 実は明確な理由があったけど、言わなかったんですか?

庵原:いや、なかったですね(笑)。なかったんですけど、「俺らの製品は無料じゃない」っていう謎のプライドがあって(笑)。

でも、SaaSの知見が上がっていくなかで、「フリーミアムはネットワーク効果がないと成立しない」とわかったんです。基本的には従業員課金ができる、ID課金ができるslackとかDropboxのようなサービスで、ユーザーが広がってバイラルした結果、課金対象も増えていくという流れですよね。Dropboxは、無料ユーザーが増えればどんどんユーザーが増えていって、ある一定の容量を超えた時点で有料に転換ができるというモデルだと思います。

琴坂:それは今は言語化できて、理解できてると思うんですが、当時からそれを感覚的に理解していたんですか?

庵原:当時、言語化できてはなかったですけど、感覚的には「(フリーミアムは)絶対違うと思うんだよな」って思ってました。

琴坂:センスですね。

庵原:Yappliの場合は、企業課金なんです。なので、無料の企業が増えたところでバイラルしないんですよね。飲食店のA社が無料で使ってるからといっても、アパレルのA社にはつながらないんです。なので、Yappliの場合、フリーミアムは不可能ですね。今となってはわかりますけど、当時は感覚で「きっと駄目だろうな」と思ってました。

堀:当時の感覚が全部当たってたんですよね。すごいです。

琴坂:逆に、当たらなかった感覚ってありませんか?

庵原:当たらないものもかなりあったので、「何やってんだよお前」って、小澤さんにいっつも言われてました(笑)。

機能開発はかけ間違いだらけでした。自分たちのPMFする顧客ゾーンがわからなかったんです。言われたまま、出会い頭にいろんな機能をつくっていました。たとえば、音楽業界の偉い方とたまたま縁があって、お会いした後に「音楽業界いける」と思って、音楽の機能をつくったんですけど、1社に無料でお渡ししただけで終わったりとか。

エンジニアが佐野ひとりだけだったので、1機能つくるのにやっぱ数ヶ月かかるんですよ。それがとんでもない時間のロスで、それを僕の意思決定によってやってたから、どんどん創業者同士の仲が悪くなるという最悪な事態に陥ってましたね。

琴坂:振り返ってみて、やり直すとしたらどうしますか?

庵原:そうですね。PMFしてないと意志が弱くなるので、いい話が来ると引き受けちゃうんですよね。お金もらってないのにいけるはずだと思い込んで提供したりとか、コアユーザーだと思っていたものが、結局チャーンしてしまうこともあります。(過去のケースは)ほとんど1年ぐらいで提供をやめてるのに、また新しく始めてしまうことばかりでした。なので、BtoB、SaaSの場合は、しっかりとお金払ってでも使ってくれる1社を取ることが大事です。初期のフェーズの会社は、なんとなく特定の業界を取りたいから、無料でサービスを提供してしまいがちだと思うんですけど…。

琴坂:ありがちですよね。

庵原:(サービス提供の)入り口として、対価がない安い課金制にしてしまうところで、まずかけ間違える可能性があります。出口としても、サービスやアプリがちゃんと使われていて、ROIが出てるとか、売上につながってるとか、業務効率が数字として出ているなどの明確な結果から、チャーンが限りなく低いっていう状態がつくれないといけないと思います。この入り口の部分と、出口の部分はしっかりと抑えるべきです。それができていたら、僕たちも半年から1年ぐらい早く立ち上げられたと思いますね。

「アクション量」「諦めない気持ち」「忍耐力」

堀:ただ当時を振り返ると、やっぱり、そんなにスマートにやっていくのは難しかったんじゃないのかなと思うんです。

庵原:おっしゃるとおりです。

堀:当時の優良顧客が20社ぐらいの一覧を見たんです。そうしたら、商業施設もあって、ミュージシャンもいて、スポーツブランドもあって、飲食店もあって…。

琴坂:かなりバラバラですね。

堀:とにかくめちゃくちゃだったんです。「これからどうやって売上をグロースさせていこうか」というときに、誰にアプリを売りに行けばいいのかわからなかったんです。でも、よく見たら、アパレルが4分の1から3分の1ぐらいあったんです。残りは全部バラバラで、1業種1社みたいな感じだったんですけど。「なんでアパレルが多いの?」と考えたら、(Yappliの)カタログ機能の評判がすごい高かったんです。ネイティブアプリなので、いちいちインターネットのサイトから情報取りにいくのではなくて、アプリで春夏秋冬のカタログがあって、お店にもプッシュ通知できる機能があって…。「これだけアパレル業界に刺さってるならアパレルだけでいこうよ」って話を、経営会議でしたんです。でも、最初から「アパレルでいこう」って仮説をつくるのって結構難易度高いなと思うんですよね。

無駄打ち営業だったかもしれないけど、20社ぐらいお客様がいたからこそ、そのなかで偏りが見えた。そこが突破口になったのだから、数打つような動きも必要だったんじゃないかなと思います。

庵原:そうなんですよね。後から振り返ったら論理立てて考えられるし、そういう教科書っていくらでもあります。でも、実際に戦場の先頭に立つと、そんなきれいごと言ってられないんです。戦場でしかわからないことがあって、司令官の正しい戦略に沿ってられない。とんでもない地獄の銃撃戦が戦場のリアルだと思うんですよね。なので、フィジビリを繰り返して、アクション量を増やすことが一番重要だと思うんですよね。

音楽いって駄目だった、メディア系いって駄目だった、歯医者いった病院行った…みたいに、いろんな業界にいって、アクションをやめないこと。そして最後まで追い求めること。もう足を止めない、アクティビティを繰り返す。その根源にあるのって、結局はマインドですよね。初期の成功は「アクション量」「諦めない気持ち」「忍耐力」によるものだと思います。

その根底があると、そこで結ばれた強い創業チームが、アクティビティを諦めずにやれます。僕らは(うまくいくまで)2年かかりましたけど、2年経ってやっと正しい顧客のゾーンがわかりました。

(質問)開発に2年かけてる間に、競合に先にリリースされてしまうという不安はなかったのでしょうか?

庵原:めっちゃありましたね。開発している最中とか、「何者でもない」じゃないですか。何者でもない者がつくろうとするアイディアなんて、イケてるIT企業の人たちなら、いくらでもつくれてしまうなと思っていました。起業する前の2年間は、いつどこの会社がリリースを出すか毎日毎日ビクビクしてましたし、立ち上げたあとも、しばらくビクついていましたね…。独自のプロダクトがつくれているっていう確信を得るまで、毎日のようにビクついていました。

「アプリ開発」とか「アプリ制作」「アプリツール」…というあらゆるキーワードを、Googleアラートに入れてて、そういうキーワードヒットすると、すぐにメールが来るように設定したぐらいビクビクしていましたね。

(質問)自社のプロダクトが、世の中から脚光を浴びていないシード期の起業家にアドバイスがあればぜひ聞きたいです。

庵原:BtoBだと「熱狂してお金を払ってくれてるコアなユーザーがいるかどうか」というのは、1個のバロメーターになると思います。もう1個は、社会的な閉塞感との戦いになるので、「いかに俺たちのやってることはオリジナルティーがあってユニークだぞ」と外に押し出すかです。メディア露出とか、ピッチで勝つとか、テッククランチに出るとか…。そういったモチベーションを維持するための働きかけは必須だし、その1個が資金調達かもしれないですね。ランニングのお金を得るのが一番重要ですけど、それと同等に、業界から注目を受けるとか、一瞬でいいから話題になることも重要です。なので「マインドを維持する」というのと、「プロダクトのコアユーザー」という両輪が大事な気がしますね。

堀:でも、今でも覚えてることがあって、当時、僕もYappliをもっとメディア露出させなくちゃいけないって思ったんで、一生懸命PR頑張ってた時期があったんです。それで、BRIDGEの平野さんに取材してもらったんです。そのときの庵原さんの写真は、本当ひどい写真でしたよね(笑)。

庵原:今のほうが、若いですね(笑)。

堀:第4回に赤坂優さんが登場してくれたときに「どうやってモチベーション維持してたんですか?」って聞いたら、「仕事終わって家帰ったら、毎日のように『ソーシャルネットワーク』を見て、自分を奮い立たせてた」っていう話があったんです。庵原さんも似たようなエピソードがあった気がしたんですけど、どうやって4年間の苦しい時期を、家族もいるなかで乗り切ったのですか?

庵原:それを聞いて赤坂さんと話したいと思ったんですけど、『ソーシャルネットワーク』、僕も毎日のように見てました(笑)。マーク・ザッカーバーグの気持ちになるために、サントラのアルバムを買って、電車に乗るときとかいっつも聞いてましたね。オープニングの音楽が、暗いしっとりとした沈んだ感じなんです。だけど、一人で頑張るマーク・ザッカーバーグの姿が描かれていて、その音楽をひたすら聞いて…。

琴坂:すごい共通点ですね(笑)。どのようなきっかけでそれが始まったんですか?

庵原:あの映画は(見ているだけで)スタートアップやりたくなりますよね。夢があるというか…。最近も1、2年に1回ぐらいは、つい見ちゃいますね。

(質問)庵原さんは、IPO後もシングルプロダクトで突き抜けたいですか? それとも、踊り場が来しだい次のプロダクトにチャレンジしますか?

庵原:成長率しだいかなと思ってます。成長が続く限りはやります。そして、多分シングルプロダクトでやったほうがいいだろうなと思ってます。踊り場が来て、成長率が止まったら次のプロダクトを仕掛けにいくと思いますね。

堀:次のプロダクトを決めるときの軸とか、キーワードとか、ぼんやりと頭の中にあったりするんですか?

庵原:BtoCで成功できる自信ないので…。当時SaaSという言葉を知らなかったけど、そもそもBtoBをやろうと思ったのは、「BtoCとか、天才大学生とかじゃないと無理」「俺らがつくったメディアがいきなり流行るって、なんか想像つかなくね」みたいな感覚があったんです。だけど、「アプリをつくりたい」というニーズは絶対にあると思ったので、(次も)絶対にニーズがありそうなものをBtoBでやりたいです。

「IT業界に華々しく戻りたい」という強烈なモチベーション

堀:庵原さん、サラリーマンキャリアは何年ですか?

庵原:12、3年ですね。

堀:その十何年のサラリーマンキャリアっていうのは、今のヤプリの仕事に生きてきてるのか、もっと早く起業しとけばよかったと思うのか。

庵原:完全にベストタイミングだったと思いますね。成熟した状態で起業っていうのは、SaaSをやBtoBの商売としては完璧だった。

堀:サラリーマンやっておいてよかったなと思うことはなんですか?

庵原:合計で3社に勤めてたんですけど、とにかく信頼を重ねることです。一生懸命働いて、いい働きをする。みんなに好かれる。いいやつ、面白いやつ、ちゃんとやるやつだと思われるのが何よりも重要です。

起業初期の顧客を紹介してくれたのも、最初に5年間いた出版社の友人たちでした。友人がお客さんを紹介してくれて、全部即OKでした。「庵原って面白いやつがいるから紹介しますよ」って言って、アパレルとかスポーツ系のお客様とかを紹介してくれたっていうのがあるんですよね。

堀:出版社にいたときから起業しようと思ってたんですか?

庵原:いや、そのときは起業どころか「この業界からどのように逃げるか」しか考えてなかったですね(笑)。

起業を意識し始めたのは、Yahoo!にいた頃の後半ぐらいですかね。Yahoo!にも5年いて、最初の3年間頑張って、だんだん自信がついてきて、2年後ぐらいから仕事を回せるようになってきたんです。リーダーシップを取れるようになってきた頃に、TwitterとかFacebookが出てきたりもして、そこからシリコンバレーを意識し始めました。

琴坂:Yahoo!って、もし起業したら大きく成長できそうな方が社内に留まっている組織だと思うんですけど、庵原さんにとって起業はマストだったのですか? Yahoo!の中で事業をつくっていく道はなかったのですか?

庵原:僕はYahoo!を辞めて、シティバンクのデジタルマーケティングに移ったんです。なので、Yahoo!は既に辞めていた。それと、シティバンクのデジタルマーケティングに行って「やっぱりIT業界って最高だな」と思ったんです。

当時のYahoo!は出戻り禁止で、転職したことをすごい後悔したんです。「(Yahoo!には)これからとんでもない成長があって、若くて活気のある、すごく楽しい会社なのになんで去っちゃったんだろう…」と思ってました。当時はLINEもなければ、メルカリもなくてYahoo!独占状態だったんです。でも戻れなかった。なので、「極端なことをやって、IT業界にカムバックしたい」と思って、それで(その方法が)スタートアップだったんです。

なので、僕にとってひとつ大きいモチベーションになったのは、「どのようにIT業界に戻って、Yahoo!の仲間とか同僚に一目置かれるか」みたいな…。「ギャフンと言わせたい」っていうのが、強烈なモチベーションになってましたね。

琴坂:その特殊なモチベーションが、最初の2年間を支えたのですね?

庵原:そうですね。シティバンクもいい会社だったんですけど、僕個人としては転職に失敗したと思っていました。転職して初めて、「自分の骨を埋める仕事はITプロダクト、ITサービスだ」と気づけたんです。それで、IT業界に華々しくカムバックする方法を考えたら、もう起業しかなかったんです。あとは、町の小さな会社をやっている兄に、いっつも「自分の力でやってみろよ」って諭されていたので、その影響も受けてました。

(質問)Yappli以外に事業アイデアはあったのでしょうか?

庵原:ありましたね。紙1、2枚ぐらいの企画書を持って、エンジニアの佐野に向かって壁打ちをしてました。そのなかの1個で覚えてるのは、「思い出アプリ」というものです。当時から、スノボにいったりしたら、SNSを使ってみんなで写真をあげ合っていたんです。そういった写真をクロールして、一定のアルゴリズムで絵巻みたいなストーリーにして、その日を振り返れるみたいなアプリです。

琴坂:そのアイデアはおもしろそうですけど、なぜやらなかったのですか?

庵原:おそらく作れたと思うんです。でも、BtoCの難しいところで、結局マネタイズできないまま終わって、社会に大きな影響力を残すことはできないと思ったんです。おこがましいですけど、僕も佐野も「根本的に何かの解決になるような偉大なソフトをつくりたい」と思っていました。

琴坂:アイデアはどのように考えられてましたか?

庵原:当時は、一会社員として、今以上に流行に敏感で、何かサービスが出たらすぐ飛びついてましたね。今もミーハーですけど、当時はよりミーハーでした。海外のサービスとかをすぐ試すタイプでしたね。なので、比較的にアイデアはポンポン出ました。Yahoo!にいるときも、グルーポンが流行ったときに即座に「Yahoo!ポン」という企画を作りました(笑)。

琴坂:そのままですね(笑)。貪欲にいろんなものを見ていたということなのですね。

庵原;そうですね。何かをつくるときは、ミーハーじゃないといけないと思います。

会社運営をイベントドリブンに

(質問)あとから考えたら「あのときああいう意思決定をしておけば、より早く立ち上げられたはずだ」という話、すごく共感します。失敗を予防して、より早く前に進むために、今、意識されてることはありますか?

庵原:そうですね。最近は顧客数が増えてきて、アプリ開発プラットフォーマーに対する要望が、400社くらいから来るんです。なので、その要望に対しての「番人」になろうと思ってます。

採用面接のときも、会社全体で話すときも、「僕らは残念ながら特定の1社を幸せにすることはできない」っていう話をするんです。「僕らは8割のお客さんを幸せにする機能開発をしていく」と伝えて、できるだけ間違った意思決定や開発が起こらないように働きかけてます。

今でも、特定の1社からの要望が誘惑になるんです。それだけ見れば、大きなお金を頂けるんです。でもそうじゃなくて、「プラットホーム全体が強くなる機能開発をやった方がいい」と、過去の失敗から感じていました。出会い頭に機能をつくって鳴かず飛ばずだったことがあったので、注力すべきお客様が必要としてる機能の最大公約数を取って、プラットフォームサービスの全体を底上げする機能開発をしています。

堀:最大公約数は、定量的なものなのですか?

庵原:今は定量的ではないですね。でも、たとえば、うちはカスタマーサクセス部門の人数が多くて、顧客の直接のニーズにすごい詳しくて見識が深い人たちが多いんです。なので、彼らを含めた投票会みたいなイベントをやっています。

あとは、「ヤプリクエスト」っていうイベントをやっています。「こういう機能がほしい」というのを1分でプレゼンして、それぞれの部門の代表が投票して、そこで上位になったら開発は優先的になるというイベントですね。

会社運営をイベントドリブンにしたいんです。会議室に籠もって真面目に進めるよりも、常に楽しみながら物事を前に進めたいので、みんなが盛り上がれることをやってます。

堀:ゲーム会社のSupercellが、似たような感じでゲーム開発してるらしいですよね。毎週金曜日の夜に、みんなでピザ食べて、ビール飲みながら、新作ゲームの発表会やって、つまんなかったらゴミ箱に投げるみたいな感じでゲーム開発しているらしいです。

庵原:うちもそんな感じでやってますね。

堀:社員は全員で何人いるんですか?

庵原:今、170ですね。

堀:カスタマーサクセスは、大体何人ぐらいいるんですか?

庵原:40人ぐらいですかね。

堀:多いですね。

(質問)過去の意思決定の失敗を悔やんでしまうときに、どうのようにメンタルコントロールしてますか?

庵原:いや…ストレスは抜けないですよね。

堀:普段はストレス感じているように見えないですけどね(笑)。

庵原:「もういいや」と思うマインドは、とっても大事だと思ってますね。いろんな起業家がいると思うのですが、僕はどこかで「もういいや」ってガス抜きして、意思決定を後回しにします(笑)。

琴坂:昔からそういうスタイルなんですか?

庵原:もう面倒くさいと思っちゃう自分はいますね。余白を取って、あらためてもう1回話し合ったりとかしてました。

堀:たしかに7年間伴走してきて、「庵原さん、焦ってるな」って思ったことは1回もないですね(笑)。

(質問)プライシングについて伺いたいです。どのようなことをトリガーとして価格を変更してきたのか教えてもらいたいです。

庵原:法人ビジネスなので、(プライシングについて話すのは)慎重になってしまうのですが…、基本的には、価格を上げてきています。サービス自体も本当によくなってきているし、品質管理とか、素早いサポート体制にかなり力を入れています。なので、価格をどんどん上げてきましたが、既存のお客様に対する価格は変えてないですね。

プライシングを一番変えたのは、社員が10人20人程だったシリーズAのときですね。自分たちの製品にいくらの価値があるのかわからなくて、フィジビリを繰り返してました。

(質問)今起業されるのなら、何をテーマにされますか? その判断軸はなんですか?

庵原:今はチャンスがあふれていると思います。リモートワークが主流になって、デジタル化が進んで、家庭内のITインフラへの投資が始まっています。そうすると、何でもサービスになり得るじゃないですか。これまでオンラインだと不可能だと思われていたことが、可能になると思います。

たとえば、今、新入社員研修をオンラインでやってますよね。そこに特化したようなツールがあってもいいかも知れないし、オンライン飲み会に特化したものがあってもいいと思います。Zoomも最近できたサービスで、それ以前にハングアウトがあったんですけど、やっぱりソフトの質の良さ、ユーザー体験の良さで勝ちましたよね。普通はハングアウトやSkypeがあったら、次なる製品つくろうなんて思えないんですけど。

琴坂:これからでも遅くないってことですよね。オンラインの領域も、よりよい体験を提供できれば、いけるかもしれないということですね。

庵原:社内チャットサービスも今はSlackだけかも知れないですけど、もっと良いサービスあってもおかしくないですし、既存のサービスを塗り替えるものは出てくるでしょうね。

琴坂:ありがとうございます。そろそろ締めていきたいと思います。この番組は『STARTUP 優れた起業家は何を考え、どう行動したか』の出版を記念してます。ぜひこの本を手に取っていただきたいと思います。本日は、ヤプリの庵原さんをゲストに、お送りしてまいりました。本当にありがとうございました。

次回はnewnの中川綾太郎さんがゲストで登場してくださいます。庵原さんは、綾太郎さんに聞きたいことはありますでしょうか?

庵原:C向けのサービスを見るときに、どのように流行りそうなもの見つけているか、どこに価値を置いているか知りたいです。

琴坂:わかりました。では、また次回、よろしくお願いいたします!

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