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吃音と連載 人生の第二ステージ

こんな人生やってらんないぜ音頭2022


今日久しぶりに、参ったなということがあった。吃音だ。
喋ろうとしても言葉が出てこない。「この書類の〇〇について、よくわからないので質問したいんですが」と言おうとしているのに、「この書類の…の…のー…のっ…の…おー…」というかんじでつっかえて次の言葉が出てこなくなるのだ。
人と会話するとき常時こうなるというわけではない。税務署とか役所とか、公的な書類をどうこうしようとしているとき、数字と対峙しているときにしばしば起こる。あと単純に疲れているとき。ひどい時にはそのまま過呼吸を起こして倒れてしまう。

以前医者には一度相談したのだけど、吃音というより過呼吸とあわせて診断されて、今のところはパニック障害だと言われている。とはいえそう言われても、なにをどうできるわけでもない。終わりのない服薬を毎日ちゃんと続け、毎週病院に行くだけだ。
子供の時も上手くいかないことはあれどこういう不具合はなかったので、これは大人になってから負った疾患だ。というかまあ、一度就職した会社でドロップアウトしたとき以降からだと記憶している。

数字や公的な文書を処理しているときにしばしば起こるのも、会社員時代総務部(給与計算や経費の勘定など経理の仕事が多かった)で仕事をしていた時の苦労が関係あるような気もする。あのときもメンタルを壊してから加速度的に仕事ができなくなり、数字や文字が読めなくなるところまで一度は行ったし、どういうことだと説明を求められると吃音でしゃべれなくなる始末である。大変な悪循環だったが、あれが数か月単位で続いてしまったのが尾を引いている気がする。

不便だわ要らん疑いを買うわ、もうパンパンやぞ


漫画家も一応個人事業主である以上、数字や制度と戦っていかなければいけない。ぜんぶ人に投げてしまえるくらい金持ちなら大丈夫かも知らんが、僕は現状そうではない。

過呼吸と比べて吃音の良くないところは、ふざけているか演技をしているように思われることだ。
過呼吸は目に見えて異常事態になるしそのままにしておくと昏倒するので(それも困った話だが)、周りに人がいれば助けが入る。
吃音は、ある人間曰く「私は今弱っています、かわいそうでしょう」とアピールしているように見えるそうで、こっちが必死なのに冷淡な扱いをされることもしばしばある。役所の窓口でも今日そういうことがあった。ただ役場の場合は筆談で「吃音で喋れません、筆談をお願いします」と書いて見せればすぐに事情を理解してくれて、その対応ができる職員さんと交代してくれる。

ただ、当たり前のことだが、人間関係に「交代」はない。
トラブルや誤解のたびにすり減っていく。信用されないような人間関係しか構築してこなかった僕が悪いと言われればそれまでだ。

人生の第二ステージ


僕は今年商業誌で連載する。
もっと大喜びしたり浮かれたりするものかと思っていたが、実際の所は「おお……」という声が漏れるに留まった。
だって絶対大変だもんな。筆遅いもん、俺。
俺が超苦手な事務仕事も増えるだろうし。
当然嬉しいのだけど、電話を貰って真っ先に思ったことが「こりゃ大変だな」だったのは、まあ、それはそう。

ただ、はっきりと思ったことは、「これまでとここからで僕の人生が一つ区切られたな」ということ。
先述の吃音やら人間関係などの澱みは、いわばクソみてえな少年期、クソみてえな会社員時代の「なごり」である。うだうだうだうだ悩んできたが、これはもう終わったことなのだ。死体をちゃんと火葬してやんないから虫が湧いて臭いがつきまとうのだ。

これまで僕を構成してきたもの。およそろくでもないものばかりだった中、芽を出すんだか土の中で死んでるんだかわからないままでいた「漫画家になりたい」が、今地面を割って芽吹いた。
であれば、その他もろもろの腐敗物に気を取られず、その芽を守り育てなければいけない。今となってはどうしようもないことに気を取られている暇はないのだ。
これが「人生の第二ステージ」である。

生きている中でずっと胸中にとぐろを巻いていた憎しみや怒りを「それは終わったことですので」として切り離し、この芽を生かすための肥料にすることができたなら、ようやっと僕は自分で自分にかけていた呪いを解けるかもしれない。

今回の漫画を描くにあたって各所に取材を申し込んだりチームに参加させてもらったりして、いろんな出会いがあった。ステージ1までは一切僕の人生に登場していなかった人たちと出会い、その親切さや人懐っこさに驚き、僕からしたら生き恥のような無様をやらかす出来事があっても石を投げられることもなく逆に拍手されたりして、他人ってこんなやさしいものだっけかと目を丸くすることもあった。

僕が「ろくなもんじゃねえな」と見切りをつけていた世界はまだほんの1面でしかなく、その先には美しい景色が広がっていた。


ここに来れるまで生きていてよかった。

さしあたって今後は、ステージ1の負債をまるっと前の場面に捨てて行って、今やるべきことを頑張るのがよかろうと思う。
病や不具合は続くものだが、それもやがては解決するかもしれない。僕が思っていたより世界は広かったわけで、「どうせ希望なんか存在しない!」とペシミズムに固執する方が不合理になる。

たぶん大変だろうけど、まあ、やれるだけのことはやってみようかと思う。
これで金持ちになったらわけわかんねえ文書や経理は全部マネージャーにやってもらうからな!







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