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【歌い手史2007】ボカロとの出会い メルトショックの真実 電子の歌姫と出会いて【歌い手史を作るプロジェクト】
◆電子の歌姫「初音ミク」
電子の歌姫でもあり、ソフトウェアでもある。歌い手とも縁の深いそれは、ニコニコ動画誕生の翌2007年に誕生した。
2007年8月31日、VOCALOID2初音ミクが、この世に生を受けた。
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初音ミクについての説明は、この文章を読んでくださっている人にとっては、あまりいらないだろう。
ヤマハが開発した歌声合成技術・VOCALOIDを利用した歌声合成ソフトウェアのひとつで、声優の藤田咲の声をもとにして作られた。藤田は「キラキラ☆プリキュアアラモード」(2017年放送)への出演などで知られるが、当時はまだ無名に近い。
制作したのは、札幌市の企業・クリプトンフューチャーメディア。もともとはソフトウェア音源の販売を中心としていた企業で、界隈以外には知名度は無かった。
この小さな企業が、傍らで歌声合成ソフトウェアの開発にも精力的に取り組んでいた。そして、歴史を作った。
ヤマハの開発担当である剣持秀紀は、その経緯をこう明かす。
「00年に開発を始め、04年に売り出しました。でも、売れ行きは悪く、社内で肩身が狭い思いをしました。開発チームは縮小、技術者も07年には私を含め2人だけになり、ミクのソフトを販売しているクリプトン社と相談しました。『最後に面白いことでもやろう』と発案されたのは、合成音声を仮想の少女に歌わせるという、思いもよらぬ発想でした」
音楽は専門ではないので、美少女キャラクターに歌わせるという発想がどれほど革新的かは、筆者にはわからない。
ただ、結果からすると、やはり革命的だったようだ。
発売後、初音ミクは瞬く間に売り上げを伸ばした。それは数にして実に1万5千本ほど(発売1か月経過時点)で、同種のソフトウェアとしては異例の数字だった。
その前に発売された歌声合成ソフトウェア「MEIKO」は年3000本、「KAITO」は年500本だというから、いかに異常なヒットだったかが伺える。ひと月でKAITO30人分である。
◆初音ミクと歌い手
歌い手と初音ミクの関わりは、発売後からほどなくして始まった。
初音ミクを手にした1万5千人ものユーザーは、当然ながらそれを使って作品を作り始めた。
だが、美少女キャラクターだからという理由で買ったユーザーも多く、多くのユーザーは苦戦した。
作曲ってどうやるんだ?
そもそもどうやったら歌うんだ?
今も昔も、ボーカロイドは音楽初心者がいきなり使えるものはない。
しかし、一部は何とか創り上げ、ネットでそれを公開しようとした。
その場として選ばれたのが、ニコニコ動画だった。
彼らは初音ミクを使ってできた作品——オリジナル曲の場合はいわゆる“ボカロ曲”を、ニコニコ動画に投稿し始めた。発売からわずか数日後には投稿され始め、時を経るにつれて楽曲数はますます増えていった。
既にニコニコ動画に集い始めていた歌ってみたの投稿者たちは、この新たな流行に敏感に反応した。
何やら不可思議な曲が人気を博している。
だったら、自分たちも歌ってみようじゃないか。
2ちゃんねるからオタク的な気質を引き継いでいた彼らにとって、美少女キャラクターが付いた不可思議な楽曲を拒む理由はなかった。初音ミク=オタク的なものという共通認識が存在していたのである。
遅くとも07年9月時点で、彼らは既にボカロ曲の歌ってみたを投稿し始めた。
当初、ボカロ曲の歌ってみたの評判はあまり芳しいものではなかった。原曲がそもそもそこまで人気が高くない影響もあっただろう。
それでも時を経るにつれ、徐々に数を増やしていった。歌ってみたのなかでは少数派だったが、たしかに増えていった。
そうして着実に地歩を固めていった結果、2007年12月、とある出来事が起こる。
ファンの間で語り継がれる、俗に言う“メルトショック”である。
◆メルトショック
2007年12月。ゴムと並び「歌ってみたのレジェンド」と評される歌い手・halyosyは、パソコンのディスプレイに向かい合っていた。
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halyosyの読みはハルヨシ。1981年岐阜県多治見市生まれで、このとき26歳ほど。ゴムと同じくらいの年齢だった。当時はこの年代の活躍が目立った。
彼は当時、absorbというバンドで、森晴義の名前でインディーズデビューしていたが、それを伏せて12月12日、ボカロ曲「メルト」の歌ってみたをニコニコ動画に投稿していた。その結果を確かめようと、画面に向かい合っていた。
心の内は期待半分、諦め半分というところだった。
halyosyはこれが初投稿であり、伸びにくいのは自明だった。とはいえ最初から伸びないと思って投稿する人がいるわけもなく、上手く歌える自負もあった。
期待も諦めのどちらも抱いていた。
意を決して画面を見てみると、halyosyの歌ってみたは、ニコニコ動画全体のランキングに、見事にランクインしていた。
「しばらく動画が直視できませんでした。状況が理解できず、『何が起きた……?』という」
期待以上の結果にhalyosyは驚いた。
だが、halyosyが驚いたのは、それだけではなかった。
自分の動画と同じサムネイル——つまり「メルト」のサムネイルばかりが、ランキングに並んでいたのだ。
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https://twitter.com/toarutoa/status/1544656192043380737より
ランキングのどこを見ても、「メルト」ばかり。原曲『初音ミク が オリジナル曲を歌ってくれたよ「メルト」』。自分が投稿した『「メルト」を歌ってみた(男性キー上げVer.)』。ガゼル——のちのアニソンシンガー“やなぎなぎ”が投稿した『メルト うたってみた』……、全く同じサムネイルばかりが並ぶ異様な光景に、halyosyは驚くほかなかった。
halyosyが目にしたこの奇妙な光景は、2007年12月13日に起こった、のちに“メルトショック”と評される出来事の残滓だった。
「8時更新~13時更新の総合ランキングの1位から4位まで『初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれたよ「メルト」』に関連する動画(原曲、halyosy ver.、ガゼル ver.、ミク+halyosy ver.)が並んだ。さらにはhalyosy+ガゼル ver.も一時7位まで迫り、5位まで独占もありえたというものである。これらが全て同じサムネイルであったことから、その異様な光景を目のあたりにした多くのニコニコユーザが衝撃を受けた」
ボカロ曲の歌ってみたがこんなにも好評を博すのは、当時としては類を見ない。
歌ってみたで人気になるのは、もとからオタクたちに人気だったアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』関連楽曲をはじめとしたアニソンや、ゲームソングばかりだった。人気になるのはそればかりで、その枠から外れた楽曲が流行る光景は衝撃的だった。
初音ミクってやつの勢いは、ここまですごいのか。
ちょっと聴いてみるのもいいかもしれない。
ボーカロイドと歌ってみたのコラボにおける、初めての快挙だった。
◆メルトショックの意義
この出来事がメルトショックと呼ばれるのは、のちにこれがボカロ史における重大な転換期だったと「神話化」されたことによる。
ある者は「ボカロのヒットは『メルト』がきっかけだった」と語り、またある者は「『メルト』から多くのボカロPが参入した」と語る。
そんな流れが15年もの間続けられてきた結果、メルトショックという語が定着するに至った。(言葉の初出自体は不明。)
筆者の調べではメルトショックの影響として語られる言説には根拠不明なものが多いのだが、それはさておき、歌ってみたにおいても「メルトショック」の影響はあった。
この出来事によって、ボカロ曲の歌ってみたが珍しいものとは捉えられにくくなったのである。
ランキングを「メルト」というボカロ楽曲が占拠する事態を知った歌ってみたの投稿者たちは悟った。
ボカロ楽曲の歌ってみたを歌えば、再生回数が伸びやすいのではないだろうか——。
直接ランキングを見た人は多くない。だが、ボカロの歌ってみたが流行ったという事実は伝聞で伝わった。
下世話な話だが、自らが投稿した歌ってみたを聴いてもらうためには、まず選曲が重要になる。固定ファンを持っていない投稿者は、ひとまずは曲の人気に縋るほかない。
だからこそ、当時の投稿者たちは、ニコニコ動画で人気のアニメソングやゲームソングなどをよく選曲した。もちろんそれだけが理由とは言わないが。
メルトショックは、それらに並ぶ有力なレパートリーとして、ボカロ楽曲を加え入れる出来事だった。それまでは少数派であったボカロ楽曲の歌ってみたが、有力な選択肢になった。
「こうして“歌ってみた”において、アニメソングやゲームソング以外にもVOCALOID曲を歌うという大きな流れが到来したのである」
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これ以降2013年まで、ボカロ楽曲の歌ってみたは、おおむね増加の一途を辿っていく。
のちに至るまでずっと関係を結び続けるパートナーを、彼らは手に入れた。