【コラム】歌い手の起源はニコニコ?2ちゃんねる?【歌い手史を作るプロジェクト】
さっそく、歌い手という肩書の歴史を語っていきましょう——といきたいところですが、まず始めに、その始まりについて触れておきたいと思います。
物事を語る際には、どこからどこまで語るのかをはじめに宣言する必要があります。そうしなければ、話題が際限なくに広がってしまうからです。
これを怠ると、いろんなところからお叱りを受けてしまいます。素人質問で恐縮なのですが、って感じに。
◆歌い手の起源(仮)
歌い手の起源はどこにあるのでしょうか。「ツイッターによると○○のようです! いかがでしたか!」と楽をしたいところですが、もちろんそうはできません。まとめサイトでは無いので。
もっともよく耳にするのは、ニコニコ動画の誕生とともにその存在が定着したという説です。歌い手のムック本「歌ってみたをやってみた」(学研パブリッシング、2011年)の冒頭には、こう書かれています。
だいぶ濁していますが、2006年12月のニコニコ動画誕生および07、08年の普及によって、歌い手という存在が一定の規模を持った集団として成立したという主張です。
2010年ごろの歌い手関連の記述を見てみると、たしかにこんな記述が複数見られます。これ以降はそもそも起源が論じられること自体が稀なので、この説がもっともよく目にする説だと言っていいでしょう。
◆2ちゃんねるから既に
筆者もこの説におおむね同意します。ひとまずは、歌い手の起源はニコニコ動画にあると言っていいとは思います。
けれども厳密に言えば、歌い手という肩書は、これよりもずっと前から存在していました。
そもそも歌い手という言葉自体は、ニコニコ動画誕生前から今に至るまで、音楽評論などでずっと使われ続けてきました。
「『赤いスイートピー』での松本隆の歌詞と歌い手の松田聖子の見事なコラボレーションが——」といった具合です。
その上、「第三者の楽曲を歌唱したものをネットに投稿するユーザー」を指す肩書としても、ニコニコ動画の誕生前から2ちゃんねるなどで使用されていました。
たとえば2004年には、2ちゃんねるのカラオケ板に、こんなスレッドが立てられていました。
カラオケ板では自らの歌唱を投稿する行為——今で言う“歌ってみた”の投稿をする人が一定数いました。20年も前——ニコニコ動画誕生の2年以上前から、このスレッドでは彼らを歌い手と呼称していたようです。
また、歌い手と呼ばれた人々の歩みを辿る本稿の趣旨からは逸れますが、活動の面に注目すれば、自らの歌唱を投稿するユーザーは2000年代前半からいくらでもいました。
音楽SNS・Myspaceや個人のボイスブログなどでも、ネットのそこら中で似たような活動は行われていました。
まあMyspaceの存在は既に忘れられていますが、ブログで自分の歌唱を貼り付けていた人に覚えのある人はいるでしょう。
◆でも広まっていない
「じゃあなんでお前は『歌い手の起源はニコニコ動画にあると言っていい』とか言うの?」と言いたくなった人もいるでしょう。
だからもちろん、『歌い手の起源はニコニコ動画にあると言っていい』と書くからには、理由があります。
単純に、その肩書が全然広まっていなかったからです。
2007年2月には、2ちゃんねるのVIP板でこんなスレッドが立てられていました。
ここで言う歌い手とは、本コラムの主題である歌い手ではなく、「松本隆の歌詞と歌い手の松田聖子の見事なコラボレーションが——」の例で示したような、曲のシンガーという意味の歌い手です。
具体例を挙げると、リン・ミンメイや熱気バサラなどが名指されています。いずれもアニメ「マクロス」シリーズのキャラクターですね。
アニメや漫画などを嗜好する層は、批判的な意味合いも含めて、歌い手というカテゴリを意識する傾向があります。(ました、と言うべきでしょうか。)
にもかかわらず、当時はその層ですら、歌手と同じ意味で歌い手という言葉を使っているのです。
その上、歌い手という肩書を当時もっともよく使っていたカラオケ板でも、その呼び名が定着していたとはいえません。
2004年5月には「カラオケコテハン批判要望リクエストスレ」というスレッドが立てられています。そこでは、前に挙げた「【カラオケ】板で一番上手い歌い手はダレ?【大賞】」で歌い手と名指しされていたユーザーが、歌い手ではなくコテハンと呼ばれています。
コテハンとはネット上で活動する際に使う“固定ハンドルネーム”の略語です。
歌い手という呼び方は、カラオケ板でもメジャーなものではなかったのです。
これを見る限り、ニコニコ動画誕生以前から「インターネット上に第三者の楽曲の歌唱を投稿するユーザー」という意味の歌い手という肩書が定着していたとは、とても言えません。
だから筆者は、歌い手の起源をニコニコ動画誕生時としたわけです。
◆どうして広まらなかったのか
どうして歌い手という肩書が広まっていなかったのでしょうか。
――それは単に、当時の彼らが全く注目を浴びておらず、その肩書が必要なかったからにほかなりません。
名詞やカテゴリは、それを必要とする多くの人々によって使われることによって、その意味を定着させます。逆に言えば、それが必要とされなければ、その言葉が定着することはありません。実は例外も結構ありますが。
たとえ話をしましょう。カナダのイヌイットは、雪の種類を言い表す単語がたくさんあるそうです。
なぜかと言えば、それは彼らが日常的に雪とともに生活しているからだと言われています。日々雪に触れ、多種多様な状態を区別する必要があるからこそ、その語彙が増えていったのだそうです。
良く知られた俗説なので引用しましたが、この話自体には疑問符もついているらしいので、もう一つ引用します。
これらの話は、対象を区別する必要があれば、その語彙が豊富になることを意味しています。
それは同時に、多くの人にとってそれが不要であれば、その意味が定着しないことも意味しています。
2007年以前の投稿者たちに統一的な名称が広まらなかった理由も、この話と同じです。
当時、ネットに歌唱をアップするユーザーが注目を浴びることはありませんでした。ネットでアマチュアの歌唱を聴くユーザーはごくわずかで、再生回数も数百回行けば良い方。
それを歌っているユーザーに注目が集まるはずもありません。想像してください。路上で歌ってる人にちゃんと耳を傾けた人がどれだけいますか?
メディアやいわゆる音楽業界も、彼らに全く注目していませんでした。
2000年代に音楽ライターとして活動していた津田大介は、2010年に出版した書籍で、ネットと音楽の関係についてこう綴ります。長いので読み飛ばしていいです。
お気づきでしょうか。
・・・・・・実は、この話ではネットから新たなアーティストが出てくることが全く想定されていないんです。
「大変革が起きている」と強調しておきながら、既存のアーティストの販路としてネットが使えると主張しているだけで、ネット上の活動者たちには目もくれようとしていません。
津田大介は、2000年代に「ネット×音楽」ともっとも盛んに主張していた論者のひとりです。今の彼を見ている人からすると、信じられないかもしれませんが。
ネットと音楽の関係について書いた当時の記事では、よく彼がコメントしています。そんな彼ですら、この調子です。
数年前に直接話した時には、「歌い手みたいな素人が出てくる場所として期待なんてしていなかった」と言っていたのをよく覚えています。
先駆的とされていた論者がこうなのですから、当時いかにネット上の活動者が注目されていなかったかは、推して知るべしでしょう。
ネットユーザーからもいわゆる音楽業界からも、投稿者たちは全く注目されていなかったのです。
そんな状況だったので、誰も彼らのことに言及することは無く、投稿者たちを指す名称は必要とされませんでした。
歌い手という名称が広まらなかったのは、当時の状況を鑑みれば、当然のことだったのです。
◆名前を手にするまで
こうした状況が変わり始めたのが、2006、7年のこと。動画共有サイト・ニコニコ動画が誕生したことによって、投稿者たちを取り巻く環境は一変します。
彼らに注目が集まって肩書が必要になり、歌い手という肩書が選ばれる。いまに繋がるそんな流れが始まるのです。
とりあえず今回で「始まりを示さなければならない」という厄介な課題を終えることができたので、次からは本題に入っていきたいと思います。
歌い手という肩書がどのように生まれ、受容され、変容したのか。
その大いなる変化の流れを、紐解いていきましょう。
やっとここまで来られました。
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