【歌い手史2008】彼らが「歌い手」になるとき 譲れぬ価値観【歌い手史を作るプロジェクト】
彼らには名前がなかった。
なぜなら、必要がなかったから。他人の曲を歌うだけの存在に、名前なんていらなかった。
けれども、2007年の終わりごろから、そうは言っていられなくなる。彼らの想像を超えた発展の前に、ついには名無しではいられなくなった。
◆この世の春を謳歌して
ニコニコ動画が誕生した2007年以降、歌ってみたの投稿者たちは、この世の春を謳歌していた。
投稿する歌ってみたの再生回数は右肩上がりにのび、100万再生を超える作品がちらほらと出てきていた。盛り上がりに呼応するように投稿者の数も増え続け、2008年上半期だけで約2万本もの歌ってみたが投稿された。
ボカロの人気も、彼らの助けになった。
ボカロ人気は2008年ごろから、加熱の一途を辿った。その恩恵でボカロ曲の歌ってみたの再生回数が伸びやすくなったうえ、ニコニコ動画で音楽を聴くユーザーや投稿者の数も増やしてくれた。
予想を超えた活況に、投稿者も視聴者も歓喜した。
俺たちのカルチャーが、こんなにも盛り上がっている。認められている。ニコニコ動画が始まった当初から続く祭りは拡大を続け、その参加者たちはさらに自信を深めた
2008年3月には、ニコニコ動画の運営の主導のもと、投稿者たちのコンピレーションアルバム『ランティス組曲 feat.Nico Nico Artists』、通称『ランティス組曲』までも発売される。
これ自体には賛否両論があったが、彼らはこの躍進に驚き、希望を覚えた。ぼくらの進む道には、きっと輝かしい未来が待っている。そんな予感が満ちていた。
◆名前が無いという根本的問題
しかしながら、その躍進ゆえに、とある問題が彼らの前に立ちはだかる。
名前が無いという問題である。
『【コラム】歌い手の起源はニコニコ動画? 2ちゃんねる?』の議論を思い出してほしい。読んでなければ読んでほしい。
呼び名というものは、その対象を呼ぶ必要があるからこそ定着し、意味が定まる。逆に言えば、それを呼ぶ必要がなければ、新たな呼び名は定着しない。
かつての歌ってみたの投稿者たちは、後者にあたる。
彼らの注目などはたかが知れていたから、名前など必要なかった。彼らを集団として呼ぶ必要はなく、「『おっくせんまん』のゴム」といったように個々の名前を挙げればよかった。
しかし、彼らの活躍は、その状況を覆した。
彼らの活躍によって、歌ってみたの人気は高まった。それは投稿者たちへの注目も高め、彼らに対する言及も日に日に増えていった。
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ユーザーたちは、こんな会話を交わした。
それは同時に、彼らに統一した名称を定める圧力となった。「『おっくせんまん』のゴム」「『メルト』のhalyosy」……と個々で呼ぶなら問題ないが、彼らをまとめて呼ぶ名が無い。
そんな不便な状況が可視化され、放置してはいられなくなった。
◆彼らが抱えた価値観
いやいや悩む必要なんてないだろう。適当に既存の肩書を使えばいいじゃないか。たとえば“歌手”とか——と思われた人もいるかもしれない。
けれども、歌手という肩書ではダメだった。
彼らにとって、歌手という肩書は受け入れがたいものだった。
それは何より、彼らが抱える“2ちゃんねる的価値観”にそぐわなかったからであった。この価値観とはどんなものだったのか。
社会学者の北田暁大はこう説明する。
学校でバカをやるような、客観的に見れば全く格好良くなく多分にツッコミどころがありながらも、その空間では愛される行為。外側から見れば理解し難く、その集団の内側でのみ通用するネタ。
そういった内輪ノリ的なものが好まれる空間、ということだ。
こうした価値観は2ちゃんねるのものだが、その系譜を引き継ぐニコニコ動画でも、同じように共有されていた。ユーザーたちは、いかに内輪ノリであるかを重んじ、その価値観に沿ったものを愛好した。
歌ってみたの界隈も、もちろん例外ではなかった。
投稿者も視聴者も祭りの参加者の一員として振る舞い、何よりもノリを大切にした。
ゴムの「おっくせんまん」がヒットしたのは歌のうまさというよりも、尋常ではないほどのシャウトがうけたからであったし、当時はいわゆる“ホモネタ”も盛んだった。
それが「俺たちの文化」である“歌ってみた”に求めるべきものだった。
◆「歌手」は価値観にそぐわない
内輪ノリを重視する空間とは、さらに言い換えれば、その外部に存在するものを排除する場所ともいえる。異物とみなしたものが自分たちのフィールドに踏み込んでくることは、この価値観のもとでは最たるタブーだった。
“歌手”という肩書が受け入れがたかったのは、そのタブーに触れたからだ。
もっと言えば、その言葉が含むプロ・商業主義の匂いが、彼らとは違う存在として認識されたからだった。
当時のユーザーたちにとって、プロという存在は異物でしかなかった。商業の匂いは、俺たちの祭りのなかに踏み込んでくる部外者でしかなかった。
俺たちの文化を何も理解せずにお金に変えようとする無粋な奴——それどころか侵略者のようにすら見えた。
そんな奴らに俺たちの文化を渡すわけにはいかないと思い、彼らはプロ・商業主義の匂いを嫌った。
たとえば、前章に登場したhalyosyは、インディーズデビュー済みのアーティストだった。当初彼はそれを明かしていなかったが、のちにそれを明かすと、やはり反発を食らった。
商業主義の匂いを、彼らは徹底的に嫌った。
それはおそらくネット黎明期から続く価値観ではあったが、それを自覚することすらもなく、生理的に商業の匂いを嫌った。
そんな彼らにとって、歌手という肩書が受け入れられるはずもなかった。
プロの匂いがするそんな肩書を、「俺たちのコンテンツ」である歌ってみたの投稿者に当てはめるわけにはいかない。
当てはめては、いけない。
投稿者たちは、あくまで「クラスの中にいる歌が上手いやつ」でなければいけなかったし、それにふさわしい肩書を与える必要があった。
だから彼らは、自らの名前を新たに探すはめになった。歌ってみたの投稿者……では長すぎる。歌ってみたユーザー……では投稿者なのか聴き手なのかわからない。何か手垢のついていない、プロとは違う肩書はないかと、彼らは探し求めた。
その結果、やがて彼らは一つの結論にたどり着いた。
それが何かは、もうおわかりだろう。
その時に選ばれたのが、“歌い手”という肩書だった。
◆歌い手の語源
歌い手という言葉の語源は、昭和、大正、明治……といったように、どこまでも遡れる。
だが、ニコニコ動画の歌い手の直接的な起源は、ゴムたちがかつて活動していた2ちゃんねるにある。
「【コラム】歌い手の起源はニコニコ動画? 2ちゃんねる?」で詳細に記したように、歌ってみた(のようなもの)を投稿する文化がニコニコ動画の誕生以前からカラオケ板に存在し、その投稿者たちを指して一部で歌い手という肩書も使われていた。
たとえば、2004年、「【カラオケ】板で一番上手い歌い手はダレ?【大賞】」というスレッドが立てられている。
投稿者たちにあまり存在感がなかったために、その呼び名が浸透していたのは言い難い。
けれども、“歌い手”という名は、たしかにそこに存在していた。
この“歌い手”という肩書が、その2ちゃんねるユーザーの移民とともにニコニコ動画に持ち込まれたことが、歌い手という肩書が成立する契機となった。
最初期のニコニコ動画の歌ってみたでは、ゴムをはじめとするカラオケ板出身ユーザーの存在感が大きかった。
彼ら——すなわちカラオケ板で既に歌い手と呼ばれていたユーザーたちはネットへの投稿経験で一日の長を持っていたから、他のユーザーよりも目立つ存在だった。
そうした光景を目にしたユーザーたちは思った。
歌ってみたを投稿するユーザーの呼び方に、歌い手というものがあるのか——と。
名前を欲しがっていたユーザーたちにとって、それを使わない理由はなかった。歌い手という言葉の気の抜けたような響きは、プロとは違うと示すに都合がいい。2ちゃんねる由来の肩書である以上、2ちゃんねる的価値観に合致しないはずもなかった。
彼らは徐々に、投稿者を名指す言葉として“歌い手”を使い始めた。それを目にした人がさらに使い、歌い手という言葉は連鎖的に広まった。
その結果、歌い手という肩書は急速にニコニコ動画に浸透していく。
投稿者は歌い手と自称し、彼らを呼ぶユーザーも歌い手の語を使うようになっていった。2008年後半ごろにはすっかり浸透しきり、「なぜ歌手ではなく歌い手と統一されるようになったのか、など歴史的な経緯を知っている人は追記してほしいなあ」(ニコニコ大百科『歌い手』初版)と言われるまでになる。
そして、おおむね次のような意味の肩書として成立した。
筆者なりに要約するなら、「2ちゃんねる的価値観に沿った歌ってみたを、ニコニコ動画に投稿するユーザー」といったところだろう。
かくして歌い手という肩書を得た投稿者たちは、さらなる躍進へと向かっていく。
10、11年ごろからはメジャーデビューまで果たし始め、歌い手という存在は、一般社会にまで進出し始める。
「俺たちの文化」が社会に認められる——と、彼らは希望を抱いていた。青く淡い希望を。
次回→【歌い手史2009,10】歌い手観の対立 パンダヒーロー騒動が可視化したもの【歌い手史を作るプロジェクト】
細かな話→【コラム】”歌い手”と歌い手との関係は?【歌い手史を作るプロジェクト】
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