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【歌い手史2021~】ボカロ再ブームとAdoの登場 第2の意味の復活【歌い手史を作るプロジェクト】
2019、20年頃、歌い手という肩書を目にすることは、徐々に減っていた。かつて歌い手と名乗っていた人でも、知ってか知らずか、自らを歌い手と呼ぶことは無くなった。
――だが、21年頃から、予想もしていない光明が差しはじめた。
契機となったのが、ボカロの再ブームである。彼らがかつて決別した者から、歌い手という言葉が再起する。
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◆ボカロ文化の復活
2007年から花開いたボカロ文化は短期間で快進撃を続けた一方、2014年頃から急速に人気を落とした。
「あの時はバブルだった」との抗弁もある。
「『ボカロが盛り上がってるらしいから』って言って、よくわかってない大人が面白くない企画をガンガンやって、それが売れなかったから手を引いたってだけ。それが衰退だとは僕はまったく思ってないです」(ボカロP・和田たけあき)
とはいえ、ファンは大幅に減少していたのは紛れもない事実。残った人々は細々と文化を維持し続けたが、かつてのブームとは比べるべくもないものだった。
だが、2020年頃からボカロ文化は再び興隆を見せ始める。
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syudouや「グッバイ宣言」で知られるchinozoなど、気鋭のボカロPが台頭した。ボカロP出身のayaseが組んだYOASOBIなどが一躍名を挙げたことで、ボカロは再び息を吹き返した。
「ボカロPって何のこと」という解説記事が改めて「毎日新聞」に出ているあたり、いかにボカロが劇的な復活を果たしたのか、逆に言えばいかに忘れられていたのかがうかがえる。
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興隆のきっかけは、情けないことに、正直よくわからない。
――が、再ブームでは、かつてボカロに触れて「卒業した」とうたっていた20歳代の層が、再び回帰していたように見える。彼らの里帰りを一助として、ボカロ文化は復活した。
◆生き残っていた「歌い手」
歌い手という肩書の復活は、この文脈の中で起こる。
繰り返し述べてきた通り、この頃の歌い手という肩書は消滅する瀬戸際にあった。ごくわずかな者が愛着から使い続けているだけの、滅びの危機に遭った。
けれども、実はある空間でのみ、歌い手という肩書が盛んに使われていた。
ボカロ文化の文脈においてである。
「ボカロ曲をいわゆるJ-POPのように歌うユーザー」、すなわち歌い手の第2の意味が2010年代前半に存在していたことは、以前に記した。だが、2016年頃には、歌い手たち自身がその認識を否定していた。(【歌い手史2014〜17】ボカロからの独立 まふまふの革命—第2の意味の否定)
だが実は、ボカロ文化の中でだけは、第2の意味で歌い手という言葉が使われていた。当事者である歌い手たちやファンが認識をアップデートする一方で、ボカロ側の文脈では第2の意味が温存されていた。
歌い手はボカロ文化の一角を為すもの
ボカロの二次創作をする人
彼らはあくまで、ボカロ文化の一部として――つまり第2の意味として、歌い手という言葉を使い続けていた。
◆第2の意味での再浸透
2021年以降の再ブームの際も、ボカロを語る文脈では同じように歌い手という言葉が使われた。
ボカロ曲と歌い手のコラボが、このボカロPと相性の良い歌い手は――、といった語り口で、ボカロ文化の一角を為すものとして、歌い手という言葉が使われた。
「ボカロ楽曲をカバーする『歌い手』」
こうしてボカロ側の文脈で歌い手という言葉が使われるにつれ、第2の意味「ボカロ曲をいわゆるJ-POPのように歌うユーザー」が、急速に再浸透し始める。
歌い手から第3の意味が失われて言葉の意味が空白化していたところを、かつての第2の意味が浸透し始めた。それを拒む者は何も無かった。
なるほど歌い手とはこういう意味だったのかとして認識が広まり、それをメディアが飲用することで、意味が固定化される。引用の連鎖によって認識が強化され続ける。
ついには歌い手たち当事者の中からも、第2の意味で歌い手と呼ばれる存在が、また現れ始める。
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その代表といえば、やっぱりAdoだろう。
◆アンバランスな少女
青みがかった長髪の髪を、少女が振り乱す。薄い青の瞳がまっすぐに前を見据え、「うっせぇわ」と叫び続ける。デビュー曲「うっせぇわ」とともに世に出たとき、Adoに対するイメージはこのようなものだっただろう。
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「うっせえうっせえうっせわ くせぇ口塞げや限界です」と包み隠さない直接的な叫びは、世間、というよりはメディアの注目を集めた。
現役女子高生(当時)と明らかにしていたAdoの活躍を、朝日新聞のある編集委員は、既存社会に対する若者の率直な意見だと評価した。あたかも、保守を打ち倒す革新の先頭に立つ、ジャンヌ・ダルクのようだといいたげに。
「『常識」』という名の束縛を引き裂かんと、ギラギラ艶(つや)光りしていた」
Ado自身の発信に少しでも触れた人ならば、それは誤ったイメージだと思っただろう。
彼女に対して多くの人が抱いた印象は、「普通の少女」、それも極めて、ごくごく普通の女子高校生というものだった。
ラジオを任せてみれば、出てくる話に突飛なものはない。明らかにされている範囲では、幼少期に親の都合で海外を巡ったとか、そういう話は見当たらない。ツイッターでの発信にも、アーティスト然としたものはほとんど無い。
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触れるほど、彼女に対して「普通の女子高校生」との印象は強まっていく。
だが、オリコンチャートに幾度もランクインするだけにとどまらず、映画「ワンピース」の主題歌を担当し、紅白歌合戦にも出場。アメリカの音楽市場にも手を出した。
実績の面では、非凡としか言いようがない。
「普通」の少女に似つかわしくない、非凡な実績。
このアンバランスな飛躍を生み出したのは何か――。理由はいくらでも思いつくとした上で、「色々あって断言できない」と答えが適切だろう。
けれども、あえて一つあげるとすれば、やはりボカロ文化との出会いがきっかけだったといえるのではないか。
◆自信の無い少女
Adoは2002年4月生まれ。2023年10月現在は21歳。名前のAdoは、狂言から来ていると明かしている。
「日本の古典芸能である狂言の中で呼ばれる「アド(脇役)から来ています。小学生の時に、狂言の「柿山伏」についての授業をしている時に初めて「シテ(主役)」と「アド」という言葉を耳西、響きのかっこよさで「アド」を選びました」
父親が音楽好きで、専門的なものではないかもしれないが、音楽に触れる環境があった。幼少期では、3、4歳頃にディズニー作品のCDに触れ始めたのが、印象に残っているという。
ボカロ曲との出会いは、小学生の頃。従兄弟のすすめで、父親のパソコンなどを借りてボカロ曲を聴き始めた。「悪の娘」や「ワールドイズマイン」など、当時流行していた曲を聴いていた。
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だが、この時点では、歌ってみたの投稿をしようとしてはいない。小学1年生で単に環境が無い、というのが最大の理由だろうとは推測できる。が、そこに直結するほど、自分に自信がなかったというのもある。
華々しい実績を誇るAdoだが、2021年の文春オンラインのインタビューで、「自分自身にコンプレックスを抱えていることが多い」と漏らしている。
「私は自分に自信がないんです。自分のことをすばらしいと思ったことは一度も無いです。ふざけて「自分は歌が超うまい」って言うことはありますけど、真剣に自分のことを亜しているとは到底思えなくて。幼少期から今に至るまで、どうして私はこんなにおかしくて、おろかなんだと感じることが多いんです。頭がいいわけでもないですし、むしろ悪い方で、運動神経がいいわけでもなくて」
得意、だと思っていた絵にまつわるエピソードもあった。
「唯一絵は得意だと思っていたんですけど、でもクラスにはもっと上手い子がいた。他の人に何か言われたわけではないですけど、「私なんてたいしたことないんだ」って気づいたときがあった。他の人に何か言われたわけではないですけど、「私なんてたいしたことないんだ」って気づいた時があった。自分は愚かで何にも無いすっからかんな人間なんだと感じてきました」
自信の無い少女が、2008、9年頃、すなわちボカロ文化の黎明期に歌ってみたの活動を始めるのは、無理というものだ。
周囲でもボカロはまだ流行っていない時期で、「クラスでボカロ好きは本当にごく少数でした」とAdo自身も語っている。歌ってみたを投稿するまでの壁は高かった。
◆歌い手に出会って
そこから数年間での動きは、本人から語られることはない。あくまで聴く(見る)専門のユーザーとして、ボカロを楽しんでいたのだろう。そこには、プレイヤーになる思いは毛頭見えない。
だが、壁を越えるきっかけが、小学6年生の頃に訪れる。
「ニコニコ動画でボカロ曲をカバーする歌い手さんに出会って。ボカロ曲って人間が歌うために作られたわけではないので、メロディの高低差が激しかったり、とても歌えないようなスピードだったりするんです。そういうハイレベルで難しい曲をカバーする歌い手さんをすごいなと思って興味を持ちました」
ボカロ曲を人の声で歌える。それこそが、歌い手のすごさであり、価値だった。ボカロ好きを続けてきた彼女は、それに惹かれた。
自分しかできないものを見つけたような気がした。
「根暗で自分に自信がなくて、そういう自分が嫌だったので、「歌い手なら、もしかしたら私にもできるかもしれない。変わりたい」という思いで歌を始めました」
少女は歌ってみたを投稿し始めた。
はじめは自分のパソコンが無かったため、3DSの「うごくメモ帳」、通称「うごメモ」での投稿から。自分の部屋で録音したノイズまみれのものながら、ネットの海に旅だった。
鳴かず飛ばずではあったが、活動が性に合っていたのか、活動は続けた。2017年、中2の頃にはニコニコ動画に「君の体温」の歌ってみたを投稿し、本格的に歌い手としての活動にのめり込んでいく。特段、ずば抜けて目立ったわけではなかったが、それでも歌い手活動は楽しかった。
徐々に音質も気にし始めた。中3から高1にかけての頃。部屋で録音をしている際に、反響音が気になり、歌を歌う声が止まった。ひとしきり思案した後、案をひねり出した。
「歌い手さんのどなたかが言っていた「クローゼットで録っています」という生地を思い出して、「あ、私もクローゼットで録ってみよう、防音にもいいかもしれない」という理由でクローゼット録音に切り替えたんだと思います」
おそらく、本稿でも紹介したゴムか、それを参考にした歌い手の記事だろう。服に囲まれながらではあったが、音は前よりも幾ばくかきれいだった。高3の頃には、防音材をクローゼットに張ってさらに強化した。
そういう手探りの感覚が、楽しくて仕方が無かった。
若手の歌い手としての地位を固めていく中で、2020年にYouTubeチャンネル登録者数が10万人を突破。配信限定リリースアルバムへの参加や、歌い手のコンピレーションアルバム「PALETTE」の第4弾にも選ばれた。
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◆「うっせえわ」との出会い
そして、運命を変える楽曲「うっせえわ」との出会いが訪れる。
活動をしている最中、ツイッターのDMの通知がなる。確認すると、レコード会社からのDMだった。メジャーデビューを誘う趣旨のものだった。
「ちょっと失礼なんですけど、詐欺かな?と思って」
「なんで??と思いました」と率直な驚きを明かす。この頃歌い手からのメジャーデビューは、Adoがデビューした時ほど乱発されていない。珍しい誘いには違いない。
心が躍った。自信の無い少女が、ついにメジャーデビューに手をかける。Ado自身はメジャーへの関心が強かったわけではない。が、憧れの歌い手たちと同じ舞台に立てることには、胸が沸いたに違いない。
話が進み、作曲のボカロP・syudouから「うっせえわ」を受け取った。
「すごいインパクトの曲だなと思いました。メジャーデビューの楽曲に「うっせえわ」というタイトルはすごいなと」
配信限定リリースを経て、大規模な宣伝も相まって、ブームを巻き起こす。その後の活躍は語るべくもない。この文章を書いている今に至るまで、彼女の躍進は続いている。
「とんでも無いことになったと思います。YouTubeの再生回数もどんどん伸びて、完全に想定外と言いますか、「こんなに大きい存在になっていいのかな」と」
彼女の歌い手活動は、「自分にも出来るもの」どころか、「自分にしか出来ないこと」にまでなった。
◆第2の意味での再定義
Adoが成し遂げた偉業、ボカロ文化に触れてメジャーデビューする物語は、第2の意味での歌い手、一度は衰退したボカロ文化の一部としての歌い手の時と非常に似通ったものだった。
うっせえわの作曲もボカロP・syudouであり、2作目の「レディメイド」もボカロP・すりぃが担当している。知ってか知らずなのか、Adoの体現する歌い手像は、第2の意味での歌い手そのものとさえ言えた。
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彼女のような第2の意味で歌い手と名乗る存在がボカロの再ブームと時を同じくして現れることで、歌い手という肩書の再浸透はさらに勢いづく。
かつてと同様の意味を持った存在が現れたことで、聴き手は歌い手という肩書を改めて定義し直した。「ボカロ曲の歌ってみたを投稿する存在」という、かつて否定された意味に捉えた。
誰もいない荒野に、Adoのような鮮烈な存在が登場するのである。文句を言う権利があると思うユーザーなんて、ほとんどいなかった。
◆歌い手の復活
意味がまた少しはっきりした頃、2020、21年頃から歌い手と名乗るユーザーはまた増え始めた。
新規にボカロ曲の歌ってみたの投稿を始めるユーザーは、たいていはAdoなどの活躍が頭にあったから、歌い手と名乗る。以前から活動しているものの、歌い手と名乗るのを控えていた一部のユーザーも、また歌い手と名乗る頻度を高めていく。
ネックとなっていた歌い手という肩書に対するマイナスなイメージも、この頃になると払拭されていた。Adoに加え、2021年末にに紅白歌合戦に登場したまふまふの活躍などもあり、歌い手=マイナスというイメージも薄くなっていた。
歌い手という肩書は、かつて自ら離別した第2の意味「ボカロ曲の歌ってみたを投稿するユーザー」として再起を果たした。
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