【歌い手史2009,10】歌い手観の対立 パンダヒーロー騒動が可視化したもの【歌い手史を作るプロジェクト】
歌い手とボカロの出会いは幸福なことだった——と、筆者は思う。
彼らはともに手を取り合ってネットの音楽シーンを変えていったし、そもそも歌い手の発展はその出会いが無くてはなされなかっただろう。
だが、その裏で泣いた者がいることも忘れてはならない、とも思う。
◆メジャーへの進出
2010年ごろから、歌い手たちのもとに、うれしい知らせが舞い込み始める。
歌い手たちが、CDデビューを果たし始めたのだ。
2010年9月のclear、2010年10月のピコなどを皮切りにデビューが本格化し、11年にはその流れがさらに加速。そらるや赤飯などもデビューを果たす。
メジャー・商業といった要素には忌避的な反応を示しがちな歌い手界隈ではあったが、このときの反発はあまり大きくはなかった。
「俺たちの代表がメジャーで活躍するんだ!」という好意的な捉え方をしたのかもしれない。
ニコニコ動画の誕生から続く彼らの躍進は、メジャーの舞台にまでたどり着いた。
しかし、その裏では、とある不穏な騒動が起こっていた。
◆「パンダヒーロー」騒動
2011年。歌い手のひとりである__(読みはアンダーバー。以後は同表記。)が投稿した『フリーダムに「パンダヒーロー」を歌ってみた【__】』に、いきなり無数のコメントが書き込まれた。
失礼だと思わないんですか
これはひどすぎる
ふざけてるんですか
ここでいう「フリーダムに歌ってみた」とは、アンダーバーの我流のアレンジを施した歌ってみたのことを指す。
彼はこれ以前にもこのスタイルの歌ってみたを投稿していたが、何故かこの時ばかりは唐突に批判が集まった。
きっかけは、原曲の作曲者であるボカロP・ハチ(米津玄師)のツイートだった。
この発言の真意はわからない。曖昧過ぎるがゆえに、どうとでも解釈できる。
だが、ツイートを目にした一部のユーザーは、アンダーバーへの苦言と捉えた。
彼らは義憤に駆られた。
曲を借りている分際で、こんな無礼なアレンジをするなんて許せない
推測したハチの想いを代弁しようと、批判のコメントをアンダーバーの歌ってみたに書き込んだ。
許可とってるんですか
消してください
動画が荒れ始めると、アンダーバーのファンの側からの反論も出てくる。
どうしてダメなんですか
ハチさんが誰のことを言ってるかなんてわかんないじゃん
議論にすらならない水掛け論の吹っ掛け合いが続き、動画の荒れ具合は悪化の一途を辿る。いわゆる、“炎上”だった。
◆ボカロ側の視点
この騒動は、ただの炎上話とも捉えられる。原作と二次創作の関係を巡る問題と考えれば、別に大した話のようにはみえない。むしろ、“あるある”だろう。
けれども、双方の背景を見てみると、少しだけ違った景色が見えてくる。
ボカロ側の視点に立って、この騒動を見つめてみよう。
彼らからしてみれば、批判は至極まっとうなものとしか思えない。単純な眼で見てみれば、アンダーバーの『フリーダムに『パンダヒーロー』を歌ってみた【__】』には、あまりに過剰なアレンジが加えられているように見える。
たとえば、「廃材にパイプ錆さびた車輪 銘々めいめいに狂った絵画の市」という出だし部分。ここは、「廃材にパイプ で叩かれたら痛いわよね そういう時には相手の身体を GPD(ジャイアントパンダデスロック)」と大きく改変されている。しかも冒頭には、「パンツヒーローさん出番です」といった言葉までも付け加えられている。
・・・・・・どうみても、やりすぎとしか言いようがない。
ボカロ側は、ボカロ曲の歌ってみた自体は歓迎していた。歌ってみたが伸びれば、原曲の人気にも貢献するからだ。
ボカロ曲の人気が歌ってみたの人気を助けたことは前に触れたが、逆に歌ってみたの人気もボカロ曲の人気を高めた。ボカロ曲の歌ってみたが人気になれば、原曲の注目も高まる。
そこにはいわば、相互作用があった。歌ってみたをはじめとした二次創作を活発化するために、クリプトン社は「ピアプロ」という著作権許諾サイトを作りさえしていた。
だがそれにしても、アンダーバーの歌ってみたは度が過ぎているように見えた。アレンジがあまりにも過多で、限度を超えているように見えた。
ボカロ側の視点からすれば、歌い手たちは勝手に自分たちの曲を借りている存在に過ぎない。当時、歌ってみたに占めるボカロ曲の比率は、既に過半数を超えていた。
歌い手というのは、「ボカロ曲を歌う存在」のように彼らは認知していた。
楽曲も、人気も。何もかもが依存しきりの存在が何を勝手にアレンジするか。
そんな思いから、ボカロ側——プレイヤーというよりもファン層が、歌い手に反発した。
彼らが求めていたのは、あくまで「ボカロ曲をJ-POPのごとく歌う歌い手」という存在だった。
だからこそ彼らは、「フリーダムに『パンダヒーロー』を歌ってみた【__】」を批判せずにはいられなかった。彼らに瑕疵はほとんどないし、憤りをも十分に理解できる。
けれども、一方が正しければ、もう一方に理が無いということにはならない。
◆青年が憧れた景色
アンダーバーが“フリーダムに歌ってみた”を投稿したのは、2009年10月の「フリーダムに『脱げばいいってモンじゃない!』を歌ってみた」。これは彼の“アンダーバー”としての初投稿だった。
彼がこの歌い方にたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
そもそも彼は、アンダーバーとして投稿する前に、別の名義で投稿したことがあった。きっかけとなったのは、ゴムの「おっくせんまん」を見たことだった。
視聴者が全力で楽しみ、動画が文字で覆いつくされる。まさに祭りのようなその楽し気な様子に、アンダーバーは惹きつけられた。自分もあんな動画を作りたい、という想いを持った。
だが、そうやって投稿した歌ってみたは鳴かず飛ばず。そのうえ、批判のコメントまで殺到した。
「それらを見て、僕の気持ちは一気に冷めてしまった」と、彼は当時を述懐する。
当時の彼は大学生だった。大学生というと華々しい学生生活を想像するが、彼の生活はそんなものではなかった。
当時の彼は演劇をやっていたが、実績はあまり芳しくなかった。その前は声優を目指したり、和太鼓に取り組んだりもしたが、それも上手くいかなかった。
そうして新たに歌ってみたの世界に取り組んだときにも批判に晒されてしまうのだから、彼の落ち込み具合は相当のものだっただろう。
彼は結局、投稿した動画を全て削除してしまった。
◆あの景色をぼくの手で
だが、彼は諦めきれなかった。
彼はゴムの「おっくせんまん」が忘れられなかった。あんな楽しい空間を、自分でも作りたい。そんな想いを、どうしても捨てきれなかった。
どうしたら面白い歌ってみたを作れるのか、彼はずっと考え続けた。
転機となったのは、友人とカラオケに行ったことだった。
その日、アンダーバーは友人たちとカラオケにいた。暗く少し汚い個室のなかで、数人の前で、気兼ねなく歌った。盛り上がる歌を変な声で歌ったり、踊ったりした。
彼はひとりでカラオケに行くときはシンプルに歌うが、友人といるときは盛り上げ役をすることが多かった。
ゴムのような盛り上がりを作れるのではないか。かつて自分が夢見た、ニコニコらしい、歌ってみたらしい動画が作れるのではないか——。
彼は急いで家に帰り、録音に取り掛かった。カラオケで盛り上がったような感覚で歌詞もメロディラインも自由なフィーリングで変えて、独特な声質で歌ってみる。
のちの「フリーダムに歌ってみた」と呼ばれる歌い方で、衝動のままに歌った。
2009年10月。勢いのまま、それをニコニコ動画に投稿してみた。タイトルは「フリーダムに『脱げばいいってモンじゃない!』を歌ってみた」。同じ月にニコニコ動画に投稿されたボカロ楽曲を歌ったものだ。
目論見通り、それは再生回数を伸ばした。
拒絶された場所に受け入れられる喜びは、何ものにも勝るものだった。
彼は大いに喜び、自信を付けた。それまで何をやってもうまくいかなかったが、いよいよ上手くいきそうなものを手に入れることができた。
これが、彼の代名詞である「フリーダムに歌ってみた」が生まれた瞬間だった。彼の歌い方は、かつての人気歌ってみたへの憧れ、伝統へのリスペクトから、やっと手にしたものだった。
◆歌い手観の対立
こうした経緯がある以上、「フリーダムに『パンダヒーロー』を歌ってみた【__】の突然の炎上は、アンダーバーにとってひどくショックを受ける出来事だっただろう。
ボカロ側の論理はわかる。アレンジ過多として批判したくなる気持ちも、理解はできる。
だが、「フリーダムに歌ってみた」は、かつての人気歌ってみたを踏襲した歌い方であって、歌ってみたの本流ともいえるものだ。
むしろ、シンプルに歌うほうが新参に過ぎない。アンダーバーの側にも、十二分に論理があった。
失礼だと思わないんですか
これはひどすぎる
ふざけてるんですか
彼はどんな気持ちで、自らの動画に書き込まれるコメントを見ていただろうか。
彼の自伝ではこの騒動が抜け落ちているために、本当のところは定かではない。
この騒動は今ではすっかり忘れられてしまったが、歌い手観の対立を顕在化した騒動して考えれば、重要な出来事だと捉えられる。
ボカロ側が求める歌い手像、すなわち「ボカロ曲をいわゆるJ-POPのように歌うユーザー」と、従来から続く歌い手像「2ちゃんねる的価値観に沿った歌ってみたを、ニコニコ動画に投稿するユーザー」の対立を、この騒動は露わにした。
こうした歌い手観の対立は、2009年ごろから徐々に表面化してきていた。しばらくは両者がせめぎ合っていたが、時が経つにつれ、徐々に趨勢が明らかになっていく。
次回→【コラム】それは楽器か歌姫か ボカロを巡る2つの視点 歌い手を求めた人々【歌い手史を作るプロジェクト】