縁切り神社つれづれ①
縁切り神社との出会いは、大学時代に遡る。音楽大学に通っていた頃、ソルフェージュのクラスというのがあった。演奏された音を聞き取って楽譜に書き起こしたり、初めて見る楽譜を歌ったり、という授業だ。クラス分けテストがあり、実力ごとのクラスに振り分けられるのであるが、この時にどの先生に当たるかで、出席する楽しみが大きくちがった。
私が入れられたのは、天才と形容するのがぴったりの先生のクラスだった。彼はいつも片足を引きずって歩いていた。もじゃもじゃした頭で目がギョロリとしており、ムソルグスキーのような風貌で、どんな曲もそらでパッと弾けてしまう。オペラがお好きな、作曲科の先生であったと記憶している。噂によると博打が好きだったそうな。
ある日、朝のクラスで聴音の訓練が行われた。私はこの聴音と呼ばれる、演奏された曲を書き起こす問題が苦手だった。そのうえ、この先生が作ってくる問題は難解なのだ。先生の生演奏とともに器楽科のクラスメイトたちが楽譜を書き起こす鉛筆の音を聞きながら、私の目の前の五線紙は、自分で書いたト音記号と小節線を除いて真っ白だった。調性のわからない、無調の曲で、絶対音感のない私は、最初の音すらわからなかったのだ。4回ほど問題が繰り返し演奏された後、先生が生徒の進捗を見て回った。どうしよう。私は慌てた。何も書けていない。何か書きたいのだが、何も書けない。教室を前から後ろまで歩いて行った先生が、後ろから近づいてくるのがわかる。私は鉛筆を握りしめて、真っ白な五線紙を見つめていた。
「ん?」
私の席の横で先生が呟いた。ああ、見られた、真っ白な楽譜を。やる気がないわけじゃないんです。心の中で言い訳した。
「・・・・・難しかったのかな。」
少しの沈黙の後、もう一度先生が呟いた。難しすぎるよ!私は歌科だよ!器楽の人とは違うんだ!私は声を出さずに叫んだ。先生は、おもむろに私の手から鉛筆を取り上げた。何が起こるのか、状況が飲み込めない私の目の前で、先生は楽譜を書き出した。瞬く間に、先生は曲の答えを全て楽譜に書き起こして、できた、と言うと、無造作に鉛筆を置き、ピアノの前に戻ってもう一度問題を弾き始めた。私は短時間できれいに書き上げられた楽譜を見つめながら、今度は「綺麗だな」と思いつつその曲を聴いた。
この日から、朝イチの憂鬱なソルフェージュの授業は、私の楽しみの一つになった。なんてったって、問題が解けなくてもいいんだから!というのは私の幸せな誤解だったのかもしれないが、とにかく難解な曲を書き起こさねばならないという重圧から解放された。何より、この先生が授業の合間にたまにしてくれる雑談は、めちゃめちゃ面白かった。ある時はオペラ「椿姫」の乾杯の歌について、突如繰り広げられる先生の生演奏を聴きながら。ある時はカンボジアの大麻を警察が取り締まったとき、街で一番大きな広場で大麻を焼却処分したから、警察含めその場にいた全員がいい気分になっちゃった話。ある時は、ブクステフーデの曲のモチーフ(特定の音型)について「このモティーフが出てきた時はハッピー、これをアレンジしたこのモティーフの時はスーパーハッピーです」からの、どこかの国の食堂で「スーパーハッピー」と注文すると大麻が大量に入ったスープが出てくるらしいという話。そしてある時は、京都旅行で縁切り神社に行き、そこの絵馬が最高に面白かったという話。私はいつも声を出して笑いながら、その話を聞いていた。先生の雑談は最高だった。
京都の縁切り神社は、先生のイチオシだった。先生の京都旅行の話は、縁切り神社の話題のみに終始した。絵馬の側面にまで、訳のわからないお願い事が書かれているんだ!絵馬が必見です、と話す先生は生き生きしていた。
いつか行ってみたい、と思ったのが、私の縁切り神社との出会いであった。
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