見出し画像

初音未来媛命、大祓詞を謡ふ

(初稿2014-03-17⇒改稿2022-07-30)

これでいつ死んでもいい

 それは言い過ぎとしても、ライフワークとしてこれだけは絶対に作っておきたかったので、無事に発表できて胸のつかえが取れました。超すっきり。『大祓詞』にちゃんとしたメロディを付けたのはおそらく史上初でしょう。もしかしたら100年後くらいに評価されるやもしれません。できれば生きてる間に評価されたいですけど。まぁ非常に誇らしいです。


 メロディは拙作『天津祝詞』(旧バージョン新バージョン)と『祓祝詞』(旧バージョン新バージョン)を足した感じですが、それだけじゃなくて、これまで作ってきた祝詞シリーズの集大成のようにも思えます。
 それらの動画にもたびたび「大祓を作って欲しい」とリクエストがあって、「そのうち絶対作ります」と答えていたんですが、なんだかんだで今回まで時間がかかりました。
 その理由として、まず「天津祝詞の太祝詞」と「天津罪と国津罪」の部分をどうするのか、迷っていたことがあります。あと究極の祝詞なので完成させるのがもったいない、できるだけ後回しにしたいなぁって気持ちも正直ありましてw お待ちになっていた方には申し訳ありませんでした。ついに約束を果たすことが出来ました!

 大祓はご存知のように超長いですが、その実10ブロックの詞章の集合体なので、たぶんなんとかなるだろうとこれまでの経験上思っていました。とは言え実際に出来上がるまでは、ちゃんと聴けるものに仕上がるのか半信半疑でもありました。でも杞憂でしたね。最初からこういう曲が用意されていたかのように、自然にメロディが最初から最後までほとんど滞りなく流れてきました。やっぱり音楽の神は確実に存在しますわ(断言)。

 ところどころは原型となる歌をアカペラでボイスレコーダーに録音していましたが、大部分は今回ミクさんと二人三脚で作りながら初めて産み出されたもの。実質2、3日でほぼ全体が出来上がり、あとから部分的に修正するだけと極めて安産でした。こんなにあっさり出来るならもっと早く……いえ、今が「時」だったんでしょうね。

 通して聴いてみても無理なくバランスよく一つの曲としてまとまっていて、思わず繰り返し聴いてしまっています。心地よい古語の響きが次から次へと流れてくるのが単純に気持ち良くて、くせになってしまうのは私だけでしょうか?

 特に“科戸の風の~”や“荒潮の潮の八百道の~”あたりの畳み掛ける部分がイイ感じだと思います。こういうメロディを隠し持っているとはまったくもって祝詞おそるべし、です。


11分

 長いですよね。これじゃどう考えても再生時間を見て聴くのを止めてしまう人がいるのは間違いない。youtubeで『大祓詞』の奏上動画を見るとだいたい5、6分くらいなので、比べてみると謡うのはざっと倍の時間がかかるようです。長いは長いですけど、思ったよりは長くない気も(もっと15分くらいかかるかと)。時間がかかる分、効果も倍増? かどうかは分かりませんが、少なくとも自分で聴いていて長すぎるとは感じません。大祓詞がめくるめく壮大なビジョンを提示してくれるのに加え、動画だと映像が素晴らしいおかげでもあるでしょう。あらためて動画をお借りしたNippon Archivesさまに感謝いたします。ありがとうございます。

 しかし、動画作りは音楽作りと違ってエライ時間がかかりました。細切れの映像素材を内容に沿って取捨選択するのも大変でしたし、字幕を入れるのも一筋縄ではいきませんでした。後者は特に、漢字の選択、送り仮名の選択、ふりがな入れ等、やっていて気が遠くなりました。最初から最後までふりがなは本当に悪夢でしたわw

 なお『世界でいちばん聖なるうた』というのは個人の感想であり異論は認めます。『世界でいちばん聖なるうたのひとつ』というのが穏当な表現かもしれませんね。でも私の中では間違いなく『世界一』なので。

天津祝詞の太祝詞について

(とりあえずここの24~28を参照してください)
 本来『天津祝詞の太祝詞』は単なる祝詞一般の美称であって、なんらかの秘呪みたいなものは存在しなかったのだろうと私も思います。それが『六月晦大祓』が『大祓詞』に改竄され奏上されていく過程で、今は失われた特別な『天津祝詞の太祝詞』がかつて存在したに違いないという誤解(というか願望というか)が生まれ、いろんな人がいろんな説をとなえるようになった。そういうことなのでしょう。

 では『天津祝詞の太祝詞』は単なる妄想にすぎない。そう断じて話は終わりなのでしょうか? そうは思いません。なんとなれば神道には「常若」という思想があり、古いものは常にアップデートされていくものだからです。祝詞にしても『六月晦大祓』を墨守することなく、必要に応じて変えていく。新たな祝詞が要るのならば新たに作り出すこともいとわない。

 であるならば、かつて存在しなかった『天津祝詞の太祝詞』を新たに生み出したとして、なんら問題があるでしょうか? それぞれが信じる、もっとも最適と感じられる『天津祝詞の太祝詞』を『大祓詞』の中で唱えることは(たとえ文法的に誤りであっても)決して間違いではない。そう思います。

 と言うことで、今回の私の『大祓詞』の中の『二十祝詞』は、
「ひふみよいむなやこと、ひとふたみーよーいつむゆななやーここのたり」と数歌を2回歌っているわけですが、これは特定の引用元があるわけではありません。と言ってもオリジナルと言うほどのものでもなく、『十言神咒(とことのかじり=アマテラスオホミカミ)』を2回唱えるのが太祝詞であるとする説にインスパイアされたものです。

 あと『日月神示』からの影響もあります。
 まず水の巻 第九帖に“旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ”とあります。ということで日月神示の『天津祝詞の太祝詞』=『ひふみ祝詞』と解釈。水の巻 第二帖の『ひふみ祝詞』の後には『天津祝詞』が続き、その最後が数歌「一二三四五六七八九十」とあるのも見逃せません。
 さすがに『大祓詞』の間に『ひふみ祝詞』を入れるのは長すぎる⇒けど、「一二三(ひふみ)のりとコト」とあるし、コトを「九十」までと解釈すれば『ひふみ祝詞』の省略形と考えて数歌2回でいいんじゃないか。そういう発想ですね。

 ということで、私としては「これが『天津祝詞の太祝詞』である」などと言うつもりはありません。「これもひとつの『天津祝詞の太祝詞』である」と言いたいのです。
 
 なお、古語の文法としては「宣れ」と「宣らば」の間に入れるのは間違いで最後に入れるのが正しいのでしょう。けれど、ここではあえて間に入れる形にしてみました。古くから民間にある願望に応えてみたかったのと、歌としてはこのほうがアクセントになって良いように感じられましたので。

 余談ですが紫金之巻 第一帖の日月神示版の大祓詞には“天地祝詞の二十祝詞言をのれ”とあり、その最後に“〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳”とあります。よって『天地祝詞の二十祝詞言』=“〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳”なのでしょう(読みは「むーひとふたみーよーいつむゆななやーここのたりももちよろずとせよろずとせ」?)

天津罪と国津罪について

 ここを見ると現在の罪の観念とは大分異なることが分かります。それでもってこの箇所を歌に入れるかどうかについて、前述したようにかなり悩みました。 なんとなれば、

“祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち(ママ、「あはなち」が正しいはず⇒完訳版では修正され畔放「あはなち」とフリガナされている)、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ”

日月神示』地つ巻 第八帖

と、あるからです。
 さすがにここまで強く言われて入れないのは相当に気が引けます。ですが、国津罪の表現はあまりにも直接的すぎるものがあり、全年齢対象の動画として公開するものに採用するのは不適当だろうと最終的に判断しました。神さまごめんなさい。
 罪を入れたバージョンは近いうちに作ってピアプロに上げたいと思います。宿題ですね。

できました(2014/05/15)。12分になりましたけどw ある意味で完全版ということになるんでしょうか。しかしミクさんが歌うと割りと普通に聴ける気がするのは私だけ?


VOCALOIDの歌に言霊は存在するか?

 私は存在すると考えています。まぁ、もともとVOCALOIDは人間の声をベースにしていますし、実際超高度に調声された作品のボーカルは人間歌唱と遜色ないレベルのものもありますからね。
 今回の『大祓詞』でのミクV3solidさん、もとい初音未来媛命の歌唱も、私として出来る限りの調声はしましたので、少しでも言霊が宿っているんじゃないでしょうか。それで皆様のご協力を得て、百度祓、千度祓、万度祓と言うようにたくさん再生してもらえたら、世界の祓え清めに多少なりとも効果があるのではないか。そう本気で期待しています。
 だからたくさん再生してください(切実)。
 ついでにコメントも下さると非常に報われます(超切実)。


 決して再生数が欲しいだけじゃないですよ。
 ホントデスヨ。

30万回再生突破記念記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?