見出し画像

「シモーヌ」Vol.5――高井ゆと里氏「時計の針を抜く トランスジェンダーが閉じ込めた時間」を読んで

わたしがTwitterでフォローをしている、石川県立看護大学講師の高井ゆと里さんが、雑誌「シモーヌ Vol.5」に寄稿される、ということで書店で予約し、購入した。
「シモーヌ Vol.5」の特集タイトルが『「私」と日記:生の記録を読む』。
高井さんが執筆したのは、トランスジェンダーが書く「ブログ(=日記)」。
ブログからトランスジェンダーが生きている「時間」を紐解いている。

ここには二つの時間がある。第一にここでトランスたちは「これからやってくる存在として未来に釘付けにされる。第二に、ここでは現在を生きるトランスたちは抹消される。現代にはいるはずのない、来たるべき侵入者としてのトランスジェンダー。
(引用:シモーヌ Vol.5 63頁)


この現代社会は、「トランスジェンダーはいなかったことにしたい」という動きが毎日のように起こっている。
TwitterなどのSNS、ネット掲示板など、論説誌、マスメディアなど洪水のように押し寄せるトランスヘイト、トランスフォビアが代表格である。
日本の戸籍における性別変更においても、経済的にも身体にも大きな負担を強いる生殖器の除去――性別適合手術が絶対条件となっている。それができなければ、自分が望む性を手にすることができない。
性別二元論、いや、性別固定論というべきか、性を越境する「侵入者」に対して、様々な壁を仕掛けている。これが日本中、世界中で行われている現実である。

雑誌内容から逸れるが、11月20日、日本で初めてのトランスマーチ「Tokyo Trans March 2021」が行われた。
トランスジェンダー当事者やアライが多く集い「わたしたちは、ここで生きている」と新宿の街を歩いた。
「いなかったことにしよう」とする社会に抗して。
トランスジェンダーは生きている――それは、誰にも否定できない、いや、否定されてはならない事実である。

高井さんは、あるトランスジェンダーが書いた一節を紹介している。

『「だけど、もう一度言う。トランス女性をあなたが気に入るか気に入らないかは別として、トランス女性は存在しているんだ。確かに存在している。私はここにいる」(ふみこ 2018)』
(引用:シモーヌ Vol.5 63頁)

いまを生きているトランスジェンダーを、究極の彼方に追いやろうとする社会に対して、高井さんはこのように書く。

トランスたちを未来に磔にする、時計の針を抜かなければならない。トランスの生存を、現在に戻さなければならない。
(引用:シモーヌ Vol.5 63頁)

高井さんは、寄稿の最後の参考文献に、トランスジェンダーが書いたブログを列挙している。
ブログの一節を寄稿で多数紹介しているが、わたしは読んでいて、トランスジェンダーとして生きる者たちの重みをひしひしと感じた。

それにしても、なぜ人々はトランスジェンダーに対し、悪罵を投げつけ、差別をし、「未来に磔」へと躍起になるのだろうか。
わたしは高井さんの寄稿を読んで、思い出したことがある。
雑誌「an・an」の10月6日号に、ジャーナリストの北丸雄二さんが「尊重とは、自分以外の人へ、畏れを持つこと。」という記事を寄せている。
その記事にこのような一節がある。

「あの人は○○なんだよね」と口から出そうになったときに、私はいつも「人間をナメちゃいけない」という母の言葉を思い出すようにしています。
(引用:an・an 10月6日号 58頁)

「人間をナメちゃいけない」――他人をわかったふうに判断するな、という北丸さんのお母さまからの教えだという。
トランスジェンダーも、シスジェンダーの人間と同じ様々な生きざまがある。日々の生活がある。日々働いている。喜怒哀楽がある。
高井さんが紹介しているトランスジェンダーのブログには、人生の重み、人間としての尊厳が詰まっている。

トランスジェンダーのことを「100%わかった」人は一体どのくらいいるのだろうか。
皆無に等しいだろう、きっと。
わたし自身もトランスジェンダーのことを「100%わかった」だなんて言えない。
わたしの何倍もの壮絶な苦しみや悲しみ、痛みを体験しているからである。
わからない、と思うのは誰にでもある。
わからないなら、差別や悪罵ではなく、相手に対して「畏れ」を抱く、ということはとても大事なことではないだろうか。
いま、日本に生きるすべての人々がトランスジェンダーに対する見方として大事にしないといけないのは「トランスジェンダーが、いま生きている」という意識の醸成だと思う。
そうなって初めて、「トランスの生存を、現在に戻」せるのである。

高井さんは文末、読者にこう呼びかけている。

少しでも多くのトランスたちのブログを読んで欲しい。同じ世界をかつて生き、まだ現在も生きているトランスジェンダーの生の記録を読みついで欲しい。そして、これがわたしからの切実な願いである。
どうか、共にある未来を生きてほしい。
(引用:シモーヌ Vol.5 68頁)

わたしも、トランスジェンダーが生きている証を読んでいきたい。
トランスジェンダーと共に生きるために。