アレクサンダーテクニーク 1月の通学、ひと区切り


今日は朝から大阪に。

この冬はあったかいので、着るものにも悩み…
大阪に行くからアニマル柄、というわけではありません。


今月の通学は一区切り、また来月。

今週は月曜日から水曜日までのベーシッククラス、水曜日課外の個人レッスン、木曜日の「学ぶための考え方」のクラス、金土と仕事して、日曜日に教授法(複数人に伝えるためのティーチングクラス)、と、盛りだくさん。

月曜日から木曜日のクラス後は1時間居残りさせてもらって、ノートをまとめてから帰ったので、苦手な薄暮の時間の運転に、身体と脳みそ(と、その出先機関である目玉)はくったり疲れましたが、気持ちはうらはらにアゲアゲです。

といいますのは…

まだあいまいにしか理解、整理できていない用語を使うのは避けますが、学習に入る以前に施術者としての経験や知識の中で、いま持ち得る言葉であらわすところの「身体の動きの連携(コーディネイション)」や施術者の心身のあり方(ボディマッピングや背側腹側迷走神経複合体の把握など、安心安全の根っこ部分を学問的に知り学び考えて持つこと)が受け手にも顕れる「協働調整」はそこそこ理解していたつもりで、おのおのの身体が持つその力を借りることでわたしの施術は成り立っている、と、思っていましたが…。

わたしがわたし自身の身体を甘くみていたというか大目に見過ぎだったというか…

身体のことを長年、探究しながらまあまあわかってきたなと思っていたようでいて、そのじつは他人の身体を通してでしか自分の身体を感じる視点を持っていなかったため、どこかしらしっくりこず解離していたのだ、という見ないふりをしたままそれなりに満足していた現実を確かめて気恥ずかしいような気持ち。

…ですが逆に、これからまたまっさらから自分自身の身体の課題に取り組むことで、施術の場をさらによりよくする可能性があるのだ、と、同時に、これから施術とも違う形で取り組んでいきたいとかねてから考えていた「クライアントさんに、他人の言葉ではなく自分の言葉が身体感受性や身体症状を変えていくという人任せにしないセルフケア」を伝えるすべについて積み上げていくことへの道を、求めたらすでに広大にひらけていたんだな、それに対してもっと欲を出して行ってもいいんだな、と、安心してやる気を出すための心理的に安全な学びの場にいられるよろこびをマシマシにした1ヶ月でした。

ランニングハイならぬラーニングハイ的に1ヶ月かそこらでわかったようなことを言ってしまうお調子ものな自分に、自分が真っ先に失望しないように、学びはじめの記録として、誰に伝えるかというより、2年後3年後4年後にきっといちいち振り返るわたしのために書いただけの文章を、ひとまず久しぶりの記事更新として置いておきます。

いつも以上に何を書いてるんだか、何を読まされてるんだかよくわかんねえわ、と思われるでしょうが、とりあえずわたしは非常にフィーリングッドだということです。

わたし自身の来月までの課題としては、「頭を身体の上で休ませる」をしばらく深めていきたいです。

顔(前面)が落ちてしまうわたしに気づきをもたらすお方


今週の「考え方を学ぶクラス」で出た、
アレクサンダーテクニーク関連書籍の紹介文から転じて、なぜか個人的な思い出や感覚についての文章を書く宿題も二つ。

今まであまり何も考えず、筆任せに脳みそから漏れた文章を書いてきたけど、はじめて怖いと思った…
(と言った後で急になぜだかわからず泣いたりしてしまうレベルで)

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