アレクサンダーテクニーク教師トレーニング開始

月曜日から木曜日までお休みいただいて(火曜日夜は仕事しましたけど)、毎日敦賀京都間を往復して授業を受けてきました。一旦1週間挟んで、また再来週、月曜から木曜日まで。これを4年間やります。(状況が慣れて落ち着いたら、最終枠は営業する予定です。冬の間は天候の加減でその時間までに帰ってこれないかもしれないので)

峠は雪景色だけど、安曇川くらいから京都までは快晴🌞


「ほんで、これからなにを勉強するの?」と聞かれまして、うまく説明できるかどうかはわからないのですが、「アレクサンダーテクニーク」というボディワークの教師になるためのトレーニングを、1,600時間、最短で四年をかけて受けます。

教師になる、というと、資格取得?みたいな文脈になりがちですが、それはわたしにとってはあまり重要なことではなく、それよりも…「教える、伝えることで、どなたかの人生に関わっていくのに値する自分になる道を模索しながら学ぶ」というのが課題でしょうか。

ひとことで言うのが難しいアレクサンダーテクニーク


これまでいろんな学びを受けて来て、共通するなにかをそれなりに自分の中に落とし込んで、これからも「それっぽいこと」をやっていくことはたぶん可能で、きっとそれなりにやっていけたとは思うのですが…。

年齢やキャリアを重ねていく中で、だんだん自分の融通の効かなさを押し付けるようになったり、わたしが今まで求められてもその方向に行かないように自分に戒めていた、「お告げのようなこと」をいつか自分の不安や曖昧さを隠すためにクライアントさんや世の中に対して訳知り顔で言い出し始めてしまうことに注意を払えなくなる時が来るんじゃないか、ということに対して、これからも公平性を保って仕事を構築する努力を続けるためにセルフアセスメントする力を養う、そのために今出来ていること、足りないことを客観的に見ることができる評価者の存在を求めていくことが必要だなと考え続けていました。

アレクサンダーテクニークとの出会いは10年以上前に遡りますが、当時、女性の身体について、それをもって社会の中で生きる当事者として、また支援者として取り組もうとした頃、世の女性が傷つき悩み迷う「女性性」という言葉にまつわる、不安を担保をに思考判断力を囲ってお金やその人らしさを奪うようなビジネスシステムに作り笑いで話を合わせていく自分にほとほとうんざりしていた時、何かのタイミングで手にした小さく畳まれた美しく控えめなデザインのチラシ。「女性のためのアレクサンダーテクニーク」という、左京区で開催されていた講座でした。

テーブルを囲んでの対話に費やす時間は、とても心地よく、それぞれが言葉を丁寧に紡いで、胸の内を語るのを静かに耳を傾けて待つ時間、それぞれの立場や環境で共感を繋いでいく言葉が重なり、それには学問的や解剖的、歴史的な実態、他言語にも表現するためのワードが必ずあり、「わたしだけのセンシティブな問題」は「わたしたち女性の問題」になり、「いのちをつなぐために地球上に生まれた女性の共通の問題」に回を重ねるごとに成熟されていく時間そのものが、まるでわたしたち女性が経験していく身体の変遷への苦しみから理解に変わる時間の経過をたどるかのようであり、振り返ってみればわたしのいち女性施術者としての今につながる大事なターニングポイントでもありました。毎回、帰り道にとても満ちていく自分に出会えるのが嬉しくて、苦手な運転で京都まで通っていました。

一緒に参加していた人たちの半数がアレクサンダーテクニークのトレーニーと呼ばれている、教師を目指す人で、その時初めてそのような教育プログラムを知り、その後も姿勢や呼吸、特定の病態をテーマにしたオープンクラスやセミナーに参加するたびに、学びへの憧れのようなものはあったけど、それに費やす時間もお金もなく…。

そんなことよりまだその学びを受け取るための器を当時の自分は持ち合わせていなかったのだな、と、今週4日間受けてみて、とてもよくわかりました。そして、身体のことを、自分のことをよくわかってなかった(正確にいえばわかっているつもりになっていた)んだな、それに取り組もうと思ったら、1,600時間でも足らんぐらいやわな、ということがよくわかりました。

23歳のお正月に、同僚や家族に「はあ?なんでまた?」と言われながら極寒の北京に二泊三日のひとり旅をして(まとまった休みが年末年始しかなく、あったかい場所への旅をするには寒い時期は価格がバカ高だった)、エアチケットと宿+行き帰りの宿と空港間の送迎だけの催行一名からの簡素なツアーで、宿で出会った同い年の社会人一年目の男の子2人にお願いして、乗り合いのタクシーで万里の長城の入り口まで行って、その世界遺産の壮大すぎる眺めに圧倒されたことをふと、2日目にしてすでに情報量が脳内に満載な授業の帰り道に思い出しました。

きっと、ゴールには辿り着いたと思うような実感はずっとないだろうけど、これをやっと歩いていくのかあ…、と入り口の前で呆然としている、というような感じです。

勉強するにあたり、そういえば、使ってないノートがあったな、と納屋から出して来た大学ノート。当時、中学生だった息子が張り切って表紙によしゅうふくしゅう用、と書いたものの、中は1ページどころか一文字も書かれた痕跡がない😂けど、引き継いで使います。

見事なまでにまっさらであったとさ


初詣で引いたおみくじも、学問は根気と継続が大事、とのこと。

文章がなんとなくジワジワくるので、
気比神宮で引くおみくじはいつも恋みくじ派です



トレーニング開始が今年の6日からで、新年2日の明け方にみた初夢は、アレクサンダーテクニークの師となる、みどり先生に通訳してもらって、さらにその師匠であるブルース先生に、振り子の時計と身体とのつながりについて、気づいたらしい何かを一生懸命伝えようとする、というものでした。

これにどんな意味があるかはわかりませんが…なんだか色んなことに背中を押してもらえている、と信じます。

いいなと思ったら応援しよう!