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10年後の私のために、小さな種を蒔く

「自分をよく見せようとすること」を、やめた。

いや、実際にはまだできていない。「大したことを成し遂げていない自分」を認めた、と言い換えてもいいかもしれない。

会社員時代もあるにはあったけれど、勤労年数で言うとそのほとんどをフリーランスで過ごし、虚勢を張ることでなんとか心折れずにやってきた。だから、急に正反対の姿勢をとることは確かに難しい。でも、今の私に必要なのは自分と向き合うことだと思う。



仕事するほど、何もできないことを思い知らされる


今の仕事は、何かを成し遂げた人や、ある分野の第一人者から話を聞いてまとめるインタビュー記事もいくつかある。その多くは人生において「これ」という大事なものを見つけ、それを極めると自分で決め努力してきた人たち。

何かをつくる人。
何かを整える人。
何かを売る人。

花であれ、料理であれ、雑貨であれ、それ以外のものを削ぎ落として1本の道に進み突き詰めるというのは、相当な熱意と覚悟が必要だ。そんな人たちを取材した後は、そのすごさに圧倒され尊敬の念を抱くと同時に「私には何ができるんだろう」と、ひどく打ちのめされた気分になる。

もちろん、書くことを極める人だっている。文筆家、エッセイストなどがそうだ。

では、私は? 書くことを生業にして16年、手抜きしていたわけではない。でも、どんなふうに高めてきたのだろう、と振り返ってみれば、先輩方には努力も実力も遠く及ばない。

もがき、低迷する時期に何を思い、行動するか


私が取材をさせていただいたある先輩は、ファッション誌の編集者からフリーへ転身し、エッセイストに。「十数年かけて小さな種をいくつも撒いた。それらの芽はすぐには出なかったけれど、続けることで見えるものがあった」と言った。

また別の大先輩は、編集プロダクションから独立後、作家に。「どんな仕事も受けるブルドーザー時代を経て徐々にライフワークを増やしていった」と言った。

生活のために、仕事を途切れさせないことは確かに大事だけれど、それに流され続けた16年だったのかもしれない。そのことには、自分でも薄々気づいている。

2025年こそ、種蒔きするとき。ただ、何に向かっているのかはまだはっきりと分からない。ただひとつ言えるのは、自分の気持ちにウソのない文章が書きたい。種はひとつじゃなくていい。やってみたいこと、挑戦したいこと、心のままに種を蒔こうと思う。




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