見出し画像

ではまた、処暑の晩に。

今日、8月7日から立秋らしい。

まだまだ暑いのにもう秋なんですか、と朝会社へ向かう途中に軽く調べてみたら、立秋は、夏が極まり秋の気配が立ち始める日で、これから徐々に暑さが和らいでいきますよということなのだそうだ。

なるほど。
とてもよくできているなぁと思う。

立秋という2文字に、そこまでの意味が込められているとは。
叙情的でいいね。

とはいえ、太陽暦を否定するつもりもない。

「ではまた、処暑の晩に逢いましょう」と約束して、どのくらいの人がうまく待ち合わせできるのだろう。

「8月7日の22時に、また」と言った方が確実だ。
まあ、こんなに細かく指定しているのに、一体なぜ遅刻するのだと遅れてきた相手を責め立てたくはなるが。


なんでそんなことを書いたのかと言うと、今日は七夕だからである。

母の出身が関係しているのか定かではないが、子どもの頃は旧暦の七夕に笹(もしくは竹)を飾っていた。

幼稚園のとき、隣町のピアノ教室へ行った帰りに、お花屋さんで笹を買って、「絶対に落とさないでね」と渡された笹を握りしめ、自転車の後ろで揺られていたから、よく覚えているのだと思う。

玄関に笹を飾り、折り紙を細く切って、穴開けパンチで開けた穴にタコ糸を通し、短冊を作った。七夕飾りも作って飾り付けもした。折り紙の本や、色々な種類の折り紙を買い与えてくれた。

母は、そういった季節の行事をきちんと行なってくれていた。

桃の節句には、7段のお雛様を飾り、菱餅やちらし寿司、ひなあられ、蛤のお吸い物、桜餅を食べた。

端午の節句には、三連の鯉のぼりをベランダに、兜飾りと武田信玄の掛け軸を床の間に飾っていた。

その甲斐も虚しく、私も兄も、いまいちの仕上がりになったのだが。

そういうことは、律儀に行う必要ないし、やらなかったからどうということもないのだけれど、ただ7日から8日になるのとは違うと思うのだ。

無くしてしまわないように、私はどうすべきなのだろう。