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幼い頃の話。
今日は少し、暗い話になる。
私には5歳上の兄がいる。自分でなんでも考えて動くタイプの兄だ。
両親は私をとても可愛がったが、「兄が成長したルートを、私が辿らない」と、比較の目を常に持っていた。
「お兄ちゃんはあなたくらいの時には漢字を書いていた」
「お兄ちゃんは怒られても笑っていた」
「お兄ちゃんはあんたくらいの頃には留守番ができた」
そして、「あんたは何もできないから」と続く。
それは幼い私に、劣等感を持たせるのに十分だった。
兄の方が優れていて、愛されているとも思ったし、自分はグズで何もできないのだと思い込んだ。
ーー両親に嫌われたら最後だ。家に居られないかもしれない。私は何もできないんだから。
そう思い込むのに、また別の要因はあった。
私の母は激情型で、すぐにカッとなると手を出して、怒鳴る人だった。父は穏やかだったが、母の行動を否定したり、嗜めたりすることはなかった。
「私たちが考えていることは常に同じだ」
母は常にそう言っており、実際「夫婦は同じ方向を見てなければならない」が両親の口癖だった。
母に嫌われたら、父にも嫌われる。父に嫌われたら、母にも嫌われる。
幼い頃、本当にそう思っていたし、家庭の中で居場所を感じるのは難しかった。
怒った後もしばらく母は私を慰めたり、理解をするよう促したり、導くような人ではなかったので、怒りっぱなしに捨て置かれた。
それはとても、子供にとっては怖い体験だった。
少し大きくなた頃(4歳か5歳くらい)、母が「離婚したらどうする?」という質問をするようになった。
私は母についていく、と答えた。
母は、「離婚するってことは、相手を嫌いになったからするんだから、嫌いな人の子供なんて連れて行くわけないでしょう」と答えた。
「お母さんは、離婚したら、好きにどこかに行ってしまうよ」と。
ーー幸い、母と父は今も仲良く寄り添いあっているけれど。
あの頃の私の拠り所ない気持ちを、今更どう伝えたら良いのか、と最近思う。
「お前は何もできないんだから」と常に言われてきたし、そう思ってきた。
結婚も、「お前は一人で生きられないから、年上のしっかりした人と結婚して、守ってもらって暮らせばいいよ」と言われ、若い頃は確かにと思っていた。
結婚後は、「家庭に入ったら、家事をちゃんとして、家庭の主婦として生きなさいよ」と。「主婦に自由はないのよ」と。
そうだ、幼い頃からいつも、心のどこか、拘束されていなければなかった。
それは今も変わらない。
先日、兄が酔いながら両親に言った。
「俺はもっと、お父さんとお母さんに愛されたかったよ」
「とても、寂しかった」
両親は、斜に構えて話を聞いていた。
聞きたくない話の時、大抵人は体を斜めにしたり、物を話者との間に置いたりして、距離を取ろうとするものだ。
父も母も、彼が帰った後、「あいつは馬鹿だなあ」と言って、「その大事なこと」を流してしまった。
父と母の自慢の兄(私からすれば優位な位置にいた兄)も、寂しい思いをしていたのだと、私は胸にくるものがあった。
父と母も、悲しいことに早くに親元を離れたり、親を無くしたりしてきた。
もしかしたら、「家族を作る」「家族を愛する」ということについて、どうしたらいいのかわからないのかもしれない。
そういう思いもあって、ここ数年は、父と母を許したように私も思ってきた。
とはいえ、「お前は何もできない」「お前を自由にさせているけれど」と、否定と所有の発言をされ、行動を制限されているうちに、また気持ちが子供時代に舞い戻りそうになる。
心の中で、何をどう考えたらいいかわからない感情が、まだまだ奥の方でうずくまっている。
兄を羨む気持ちもあったけれど、それは兄の「もっと愛されたかった」という言葉で解けていった。
けれど、両親に感じてきた気持ちを、どう解いて行くべきか。
子供を育てながら、親との関わりを日々おもいだす。
愛されていなかったわけではなかった。
そう思う一方で、小さく何度も傷ついてきた「幼い私」を、どう私は癒してあげられるのだろう。
そして、自分でせっせと積み上げて作ってきた自信や肯定感を、毎度のように横から崩されていくような気持ちになるので、今の私に対しても、ケアをしていかなくては。
今日はそんなお話。
読んでくれてありがとう。