生きるだけで、変わるもの
「三十五歳までに、何事もなせないなら、どうぞ死なせてください」
私は十五の時に、そう神社に願掛けしたことがある。
役に立つ人間でも、名を残せる人間でもなく、漫然と生きているのは、命の無駄遣いだと、あの頃思っていたように思う。
人は、大抵大きな名声とは無縁で、小さな干渉と影響をしあう中で、磨かれ、成長していく。
だが、幼かった私も、それを知らなかったわけではないし、若さゆえの傲慢さからのことではなかった、と思う。
では、なぜそう思ったのだったか、時々考えることがある。
生物である以上、生きる限り何かを犠牲にしていく。
自分がいるだけで、余分に失われていくものがあることを、恐れていたのだろうか。
否。
確かに、それもあったけれど。
あの頃、私は確か、山月記を読んでいた。
己が才能に溺れ、それゆえに才を試す勇気もなく、傲慢さのあまり虎になった男の話だった。
「何かに突出していても、試すことのないものは、無駄だ」
十五歳の私は、受験期にあった。
親は私に公立高校の受験を勧めていたけれど、私は自分の未来をまるで想像できずにいたし、何がしたいのかも正直、わかっていなかった。
ただ漠然と、「普通の道を歩いていくのだな」と思っていたように思う。
「高校を出ても、どうせ大学にも行けないのに」
我が家は裕福ではなかったが、努力家であり、頭の良かった兄がW大学の法学部に入学していたので、親が支払いに追われているのを私は側で見ていた。
わがままを言えば、あれこれどうにかなるのかもしれないけれど、自分には果たして、そこまでの価値があるのか。
十五歳の私は、何か諦めていたように思う。
だから、目の前にある道を、ただ歩くしかない、と思っていた。
中野に、美術系に強い私立があることも知っていたし、興味はあったが、口にも出さなかった。
少しも未来を考えて、ワクワクしたことはない。
そんなことを思うと、十五歳の私は、「漫然と生きたくない」と願掛けをしたのだったが、それは「未来に期待をしたい」という気持ちが含まれていたようにも思う。
願掛けはもうすぐ三十七歳になろうという私の年齢を思うと、叶わなかったようだ。
それを今の私は、ちっとも残念だと思わない。
あれから高校を出てすぐ就職し、ノイローゼになったり、結婚して子どもができたり、色々あった。
何事かなせたかはわからない。
これからも成せるかはわからない。
でも、私は命を成した。
それに意味があるか、ないかはわからない。
それから、幸せだと夫が笑うのが嬉しい。
今日も元気で子供たちが跳ね回るのが嬉しい。
日々を営むことは、子どもの頃の私が思うよりも、満たされたものだった。
生きていれば考えも、生き方も、周囲の環境も、何より自分も変わっていく。
「今のまま、変わらない道が続く」と思っていたあの頃には、まるで思いもしなかった。
あの頃、私の世界はあまりに狭かった。
部屋にこもって黙々と絵を描く生活。
人は1人では生きられない。
部屋から出て、人々と関わって行かなくては、代わり映えのしない毎日が続くのは当たり前だ。
今と違う人生、違う未来を期待をしていた私に、今ならこう言おう。
「生きているだけで、人生は七色に変わっていく」
これは、1人であることを否定するわけではない。
最終的には、「1人であること」というテーマを、人生の終盤で与えられるから。
人生にはいくつものステージがある。
「愛されること」を知る段階であったり、「自分の価値」を知ったり、愛することや、憎しみや、悲しみといった「光と影」を知る段階、「本当の豊かさ」と「精神性」を知る段階、そして、「終わらせるための学び」の段階など。
本当に、人の一生は、たくさんのステージ、学びにあふれている。
だからこそ、何度嫌になっても生きられる。
最初は同じ景色のように見えても、何もかも変わって見えていくから。
十五歳だった私に、もう一度言おう。
「生きているだけで、人生は七色に変わっていく」
読んでくれてありがとう。
何かヒントになれば嬉しいな。