スキルなし、人脈ナシ、才能なしの普通のOLが"好きをシゴト"にするまでの軌跡
はじめまして。
女性キャリアコーチの伊藤 希です。
今日は、そんな私の
自己紹介を書かせていただきます。
元々は、誰もが想像する
ごくごく普通のOLだった私ですが、
安定を捨てて会社を辞め
独立して生きていくと決めるまでの
経緯と今の活動について書いていきます。
自分に自信がなく、将来に漠然と不安を持ち、
変わりたいと思いながらも
一歩踏み出せず生きていた私が、
自分のやりたいことを見つけ、成長し、
"好きを仕事"にするまでのお話です。
安定を求め社会に出た
私は丸4年OLをしていた普通の女子です。学生の頃はそれなりに勉強も頑張って、大学は第一志望の4年制大学に進学しました。就活も割と真剣に頑張って、東証一部上場企業に就職。誰もが想像するような、ザ★OLと言える日々を過ごしていました。会社もまあまあ知名度があり、親も、私が立派にちゃんとした会社に就職した姿を見て嬉しそう。お給料も悪くないし、年2回のボーナスもちゃんと出る。仕事も楽しい。やりがいもある。職場での人間関係も良好。不満があるなんて言えないくらい、恵まれた環境で働いていました。
不自由のない日常
私達はみんな、何かしらの悩みを持ちながらも、恵まれた環境で生きていると思います。これって本当にありがたいなぁと思います。会社に行けばお給料がもらえ、生活の安定が保証され、とても感謝できることだなぁと。ただ、私はこんな有難い環境に居ながらも、どこか心が満たされない日々を過ごしていました。
私は幼いころ、将来は「お嫁さんになりたい」「温かい家庭を築きたい」そんなことを夢見ていました。30歳手前で結婚して、子供を産んで、それなりに仕事もしながら過ごすのかぁ~って漠然と思っていました。
でも、社会に出て数年が経ち、それなりにたくさんの大人と出会い、仕事もしてきて気付いたことがいくつかあります。
これが悪いとは思わないですが、私は少し違和感を感じました。私はこのままずっとサラリーマンをして生きていくのかな?それでいいのかな?と社会に出て割とすぐ、思いました。
何をしたいか分からない自分
社会人2年目になった頃、私の心の中にずっと何かしこりがあって、おそらくこのままサラリーマンを続けていても、自分の叶えたい未来を叶えるのは無理だろうなぁと気付いていました。
住む場所も、働く時間も、お給料も、起きる時間も、付き合う人間関係も、全て会社に合わせて生きていて、もし、何か挑戦したいことができたとき、自分に家族ができたとき、今のままだったら、自分が理想とする人生を歩めないと思いました。
仕事があるから土日しかお出かけできない、お金が無いから子供に塾や習い事に行かせてあげられないなど、「正論の言い訳」をして、本当にしたいことを犠牲にすることになるなぁと思いました。
(私は母子家庭で育ち、色んな事を犠牲にしてきた経験があるから余計に思うかもですが。)
もっと先のことを考えたとき、たとえ定年まで今の会社に居たとしても、会社は私を助けてくれるとは思えず、本当に何か動き出さないとヤバイ…という危機感もありました。仕事にも慣れてきて、それなりに楽しい日常を送っていたけど、この環境に甘えてズルズル行くことに恐れもありました。
でも、当時の私は、この気持ちを相談する相手も居なければ、何をしたらいいのかも分からず、一歩踏み出す勇気もありませんでした。このままじゃダメだと思いながらも、結局私は何も変われませんでした。
ある時、ふと本屋さんに立ち寄りました。
普段ならスルーしていた「副業」「起業」の書籍があるコーナーに無意識に行っていました。
一歩踏み出したいけど、踏み出せない、そんな私の小さな一歩は本を読むことでした。
誰にも言えなかった過去
社会人2年目の秋、
私はネットワークビジネス(MLMビジネス)に挑戦しました。
これらの理由から、約1年ほどこの環境に身を置きました。ただ、自分の未熟さがゆえに、友達、家族を傷つけたこともありました。私は、そんな自分を責め続け、何ヵ月も立ち直れない経験もしました。
結局、1年が経っても残ったものは何もなく、心は疲弊し、精神的にもかなり落ちて、いわゆる失敗という形でネットワークビジネスの世界から逃げるように離れました。ただ、ここで学べたことは今の人生の糧にもなっており、挑戦したことに後悔はありません。
お母さんとの不仲、大切な人さえ守れない弱さ
お母さんは、私がネットワークビジネスをしていることに大反対しました。理由はいとこのお父さんが過去にネットワークビジネスで失敗し、家族や周りに迷惑をかけた経験があったから。お母さんもその影響でたくさん傷ついた過去があったそう。私はそんな過去があることを、その時初めて知りました。
「私は反対されてもやる!」と言い切り、結局お母さんと分かり合えず、不仲になりました。「何で私のこと分かってくれないの?」「なんで応援してくれないの?」とそんな気持ちばかりが募り、お母さんの気持ちを理解しようともしませんでした。
頑張る理由の1つに、お母さんともっと色んな思い出を作りたい!という想いもあったのに、お母さんのとの関係は悪くなる一方でした。
ある日、家に帰ると実家にいるお母さんから手紙が届いていました。
便せん5枚にも及ぶ長文。そこにはお母さんの嘘偽りのない、まっすぐな気持ちが綴られていました。
まっすぐな素直な想いでした。涙なしには読むことのできない母の愛に触れ、私はお母さんの気持ちを何もわかっていなことを知りました。
この活動で気付いたことは、大切な人が嫌がることや、悲しませることで成功しても意味がないということ。
たとえ悪いことをしていなくても、正しいことをしていたとしても、私にとっての幸せが、大切な人の幸せである以上、ネットワークビジネスで成功することは、私のするべきことじゃないと思いました。
大切な人を傷つけない形で成功しよう!
とその時決意しました。
もっと、もっと実力をつけて、お母さんを安心させてあげられるような自分になろう!と決めました。そして、また一からの再スタートをすることに決めました。
Twitterの世界へ
2019年10月、私はTwitterの世界に飛び込みました。「今の時代SNSを使わない手はない!」と友達に背中を押されて、Twitterでの情報発信をスタート。約2年間必死で学んできた知識だけを武器に、新たな挑戦をしました。
SNSの勉強はもちろん、ライティング、Twitter運用も学びました。
Twitterの発信をスタートして約9ヶ月、今では栄養コンサルのお仕事をいただけたり、頑張る女性を応援する「NOW SARA」に記事として取り上げていただいたり、様々な活動をさせていただくまでに至りました。
普通のOLだった私が、今では自分の好きなことで多くの人に喜んでもえ、「感謝されながら」お金をいただくことができています。
自分に自信のなかった過去
私は学生時代、目立たないように生きてきました。
私の通っていた小学校、中学校は少し荒れており、自分が目立ってしまえば、一部のクラスメイトから標的にされ、いじられことを常に恐れていました。だから、地味に生きていました。自分に対する自信ももちろんなかったです。
大学生になって、自分に自信を持っていいんだ!と思わせてくれる友達に出会えました。こんな私を大好き!って言ってくれる友達に恵まれ、少しずつ自分に自信が持てるようになり、お化粧、洋服、ヘアアレンジなど、ファッション雑誌を買って勉強するようになりました。
可愛くなりたい!モテたい!
そんな少女のような気持ちを抱えながら、大学に入って恋もして、(結局実らなかったけど。。。)自分磨きをするようにもなりました。
自分に自信がなく、自分の見た目も性格も嫌いだった私が、お化粧、洋服、ヘアアレンジ、そして考え方を変え、自分の見た目も、内面も好きになれたのです。
自分に自信が無かった自分の殻を、"自分磨き"をすることで破れたのです。
外見も内面も魅力的な人になることで、人に愛され、笑顔溢れる日々を作り出すことができました。
1人の女性として輝きたい。
私は現在、食生活デザイナーとして活動しています。個人のお客様の体質のお悩みを改善したり、食生活指導をしたり、栄養学の知識を広める活動をしています。私は、この活動を通して、心も体も健康で、幸せな人生を送る人を増やしたいと思っています。
私は母子家庭で育ちました。
お母さんは家族を守るため、生きていくために、朝から夜まで働いてくれました。
私は、お母さんに"自分の人生を生きて欲しかった"と思っています。お母さんは26歳で私を産み、その次の年に弟を産み、結婚してすぐ、私の父と価値観の違いなどを理由に、子供を守るため離婚すると決めました。
お母さんは、お金も、仕事も、頼る人もいない中、一人で子供を育てるという決断をしました。お母さんはその決断に一ミリも後悔は無いと話してくれますが、私達を育てるために、諦めたこともたくさんあると思います。
そして、私は幼い頃、お母さんが仕事に行っているときすごく寂しい思いをしました。仕方なかったとはいえ、寂しさから反抗し、家庭環境が最悪になったこともありました。
もし、お母さんに自分に稼ぐ力があり、自分の好きなことで一人の女性として生きていくスキルがあれば、結婚、出産などのライフイベントが来ても、自分が輝ける場で活躍しながら、女性として生きていけたのでは、と思っています。
そして、もしそれが実現できていれば、私は寂しさから反抗をすることもなく、毎日笑顔溢れる日々を過ごせたのでは、と思っています。
だから私は、一人の女性として社会から必要とされる存在になり、女性が女性らしく生きる人を増やし、私のお母さんのような人や、過去の私のような思いをしている子供を助けたいと思っています。
これが、過去の経験を通して知ることのできた、人生を懸けて成し遂げたいことです。
専門知識を徹底的に学ぶ
私は、専門学校等で栄養学を学んだ経験はありません。栄養士の資格も持っていません。元々、栄養学に興味があったわけでもありません。でも、栄養学を教えてくれた師匠と出会い、「正しい栄養学をもっと広めたい!」と強く思うようになりました。
資格を持っていなかったからこそ、誰よりも学び、知識を深める事に専念しました。会社員として働きながら、講習会やセミナーにも通いました。
文部科学省後援「健康管理能力検定」にも挑戦し、
・生活リズムアドバイザー
・健康リズムカウンセラー
という資格もダブルで取得しました。
また、最近では、
「細胞環境デザイン学」という分野の栄養学も学び始め、細胞から健康を作る為の知識も学んでいます。
杏林予防医学研究所所長:山田豊文先生
栄養を学び、知識を深めるたことで、お客様の体の不調の根本的な原因が分かるようになり、体質のお悩み改善のサポートもさせていただくようになりました。今まで薬に頼って生活していた方が、薬に頼らず生活できるようになったり、食事の質が変わったり、病気を事前に防ぐ生活習慣を実践されています。
クライアント様からは、
多数の感謝の声をいただいております。
健康な人で溢れる社会が実現した未来
私は元々、栄養学の知識もなければ、日本の健康問題について何も知りませんでした。しかし、自分が栄養学を学ぶようになり、日本の健康問題は年々悪くなっているという現状を知りました。
ガン患者は2人に1人、3人に1人はガンで死亡するとも言われています。認知症患者や生活習慣病患者もどんどん増えています。
そして、これらの問題は
毎日の生活習慣を見直すことで予防でき、日本の健康寿命を上げることにも繋がることを学んできました。
はじめは、興味本位で学んだ栄養学ですが、学んで行くうちにもっとたくさんの人に正しい知識を伝えなきゃ!と思うようになり、今の活動に至ります。
正しい知識を知ることで、将来の病気のリスクが減り、自分だけではなく、周りの人の病気も防ぐことができます。だからこそ、私はこれからも、栄養学の知識を広める活動を通じて、日本の健康寿命を上げることに貢献していきたいと思っています。
現在は、オンラインで栄養指導をさせていただいたり、
時期に応じて対面でのセミナーを開催したり、お料理教室なども開いています。
人生の主人公は自分
私は2年前、スキルなし、人脈なし、才能なし、何もない普通のOLでした。でも、絶対変わりたい!という、その想いだけでがむしゃらに行動してきました。そして、やっと少しの光が差し込みました。
ここまでくるのに本当に長かったし、遠回りもたくさんしました。
人生を変えたい!自分の好きなことで日常を埋めたい!という気持ちがあれば、必ず自分の理想の人生を歩むことができます。
私は、何もないところからスタートし、自分の人生を変えることができたからこそ、強く思います。
大切なのは、自分の気持ちにしっかりと向き合うことだと思います。
私は、好きなことも、得意なことも、やりたいことも、特になかった普通のOLでした。でも、自分の理想の未来を見つめ、考え、出てきた答えが、「幸せな家庭を築きたい」という思いでした。
この思いに真剣に向き合ったことで、
自分の理想を叶える手段として、OLという働き方が本当に正しいのか?という疑問を持つことができ、栄養学にも出会えました。
人生の主人公は常に自分です。
誰かの正解の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きることが大事だと思います。
自分の人生を生きる!
そう決めてから、私の周りには素敵な仲間、お客様、応援してくれる方も増えました。
このnoteを読んでくださった方には、
是非、後悔のない毎日を生きて欲しいと思います。
私自身、もっともっと成長し、
これからも関わる人のお役に立てるよう、活動していきたいと思います。
このnoteが皆さんの一歩踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
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最後までお読みいただき
本当にありがとうございました。
もう少し深堀った、私の成長記録は以下のnoteに書いております。
食生活デザイナーとして活躍するまでのもう一つの物語です。
良かったらどうぞ。
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今後とも伊藤 希をよろしくお願いいたします。
2021年4月16日
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