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超低出生体重児が自分らしく生きるまで
本当の自分に戻ろう。ありのままでいいんだよ。
NOZOMI’S ROOMへようこそ♪
はじめまして、NOZOMIと申します。
誰もがありのままで自分らしく人生を歩むことができるよう、
一緒に寄り添えたらと思い、まずはブログを始めてみました!
まずは私自身のことを紹介する記事をいくつか書いてみます。
ぜひ私のことも知ってもらえたら嬉しいです♪
❄️❄️❄️❄️❄️❄️
昭和から平成に変わって数日後、出産予定よりも3ヶ月早く誕生した私。
1,000g未満の超低出生体重児として生まれてきました。
日本列島最北端の地、真冬に小さく生まれた私を、
看護師だった母は心配したそうですが、
NICUですくすく丈夫に呼吸してたみたいです笑
(あらためて、人が生まれて生き続けることは本当に当たり前ではないのだと感じます。
あたたかく見守ってくれた両親や兄、親戚には心から感謝しています。)
けれど、「私のことを誰もわかってくれない」と、
私はずっと悲しみながら生きてきました。
一番古い記憶は3歳の時。
私はたった1人で押し入れで眠っていました。
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自分のドクンドクンと脈打つ心音を聞きながら、同じ部屋で寝ている母や父、兄と寄り添って眠れないことを寂しく思いました。
(もしかしたら自分が望んで押し入れで眠っていたのかもしれないですし、
なにか両親にとっても理由があったのだとは思います。)
5歳からは父の実家へ引っ越し、祖父母も一緒に暮らすことになりました。
寝る時には、両親と兄と私の家族4人が川の字になって布団を並べました。
「やった〜、これでみんなと一緒に眠れるぞ!」と嬉しく思った私。
しかし、母は自分の布団に少しでも私の手足がはみ出すと、
邪魔そうに私の布団へ蹴り返します。
11歳まで並んで眠った間、母が私のことを抱きしめてくれた夜は
一度もありませんでした。
逆に眠る前にはイライラした母に理由もなく
怒鳴られ、無視され、泣きながら眠った夜はたくさんあります。
その分、父が抱きしめてくれていて、とても安心しました。
(当時の母と同じ年齢になった今なら、疲れていたのかなとか、距離感が近くない人だったのかなとか、いろいろと母の背景も想像はできます。
母なりに一生懸命に愛してくれたのだと思っています。)
小学生の時、近所の友達と時間を忘れて
夜19時まで学校で遊んでいて帰りが遅くなったことがありました。
家に帰ると、両親や近所の大人がざわざわと集まっています。
母にみんなの前で
「いったい何してたのよおーーっ!」と怒鳴られました。
私の体がビクッと強張り、みるみる目には涙が溜まっていきます。
その隣で、一緒に遊んでいた友達は、
「大丈夫だった?心配したのよ…!」と友達のお母さんに大切そうに抱きしめられていた光景が忘れられません。
私も母にぎゅっと抱きしめて欲しかっただけなのです…🥲
「あなたが無事でいてくれて、本当に良かった」と言って欲しかった。。。
今となっては、心配してくれたこと、育ててくれたこと、母として辛かったこと、怒る以外にどう反応していいのかがわからなかったなどの背景も理解し、感謝もあります。
でも、私が悲しかったことは事実で、
その悲しみによって傷ついたことは心に残り続けました。
「どうせ誰も私をわかってくれない」
「私は誰にも愛されないんだ」
「なにかあったら、どうせ自分は消えちゃえばいいんだ」
受け止めきれない悲しみを忘れるために、
自分自身にこんな言葉ばかりをかけて生きていました。
もし、今の自分が昔に戻れるなら、小さかった自分をぎゅっと抱きしめて、
「今まで本当によく頑張って生きてきたね。あなたはなにも悪くないよ。
あなたのことは私が一番信じているし、愛しているよ。
生まれてきただけで、尊くて美しくて愛おしいよ。」
と言葉をかけてあげたいです。
そして、また一生懸命愛してくれた母にも。
(きっと母も、同じように悲しい思いをしてきたのではないかと思います。)
❄️❄️❄️❄️❄️❄️
この文章に出会ってくださり、
ここまで読んでくださってありがとうございました♪