感情を制御できない人類はゴミですか?

ザビーネさんの過激な発言とは何にも関係のありません。貴族主義は間違っていたんだよ。

本を読んでいるときに、早く先が読みたいのだけど、理解力が追い付かずページをなかなかめくれない時がある。僕はこれを「ニュータイプの覚醒(笑)」と呼んでいる。嘘だけど。

感情(アムロ)の動きに読書力(ガンダム)が追い付かないのである。この場合の読書力は、単純に読み進めるスピードだ。文章をかみ砕く能力とでもいうべきか。

別にページをめくるだけならいくらでもできるのだが、頭に入ってきていないと結局「なんでこうなったんだっけ?」と前のページに戻ることになる。自分の頭の鈍さにイライラする。

ガンダムにマグネットコーティングを施すようには、読書力は向上してくれないので、この場合、感情(アムロ)に動かないでもらっていたほうがイライラしなくて済むのだろうが、どうもそうはいかない。シャアと戦ってクライマックスに向かおうとウズウズしてしまうのだ。

その本のエッセンスを直接脳みそにぶち込める薬があったら、手を出してしまう自信がある。その本のいいところだけを欲してしまう。

いいところは、何でもない平凡な文章に支えられて存在していたりするのだけど、それを無視しようとしてしまう。スイカを切らずにスイカの中心部の甘いところだけを食べたいわがままな子供になってしまうのである。

本当に世の中が進歩すれば、例えば攻殻機動隊の世界のように電脳化なんてものが一般化して情報の捉え方が変われば、また違った考え方になるのだろうが、いまのところその感情の先走りがどうも許せない。コントロールできない欲望が、知性から飛び出そうとする腹立たしさ。

たぶん、コントロールしないほうが気持ちいい。とっとと本を斜め読みして次々読み散らかした方が、後には何も残らないかもしれないけど、気持ちいい読書体験になる。そして結局読書は気持ちよくなりたくてやっているのだから、それでいいんじゃないか?とも思う。

それでもなんとなく抵抗してしまうのは、何でもない細部に救われた経験があるからだろう。本筋と関係ない何気ない文章に、心が温かくなり、些末な言葉に感慨をおぼえる。スイカの皮に近い部分でも、おいしい食べ方はある。中身だけでは、スイカ割りは楽しめない。

そんなわけで、やっぱり頭の鈍さにイライラしながら読むことになる。マグネットコーティングができたらすぐに試したい。

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