自分が間違っていると思いながらどうして生きられるでしょう
私がインスタに投稿すると必ずコメントしてくる同僚がいます。
そのコメントがまあこちらを無理やりいじるというか、どうやらツッコミ待ちらしいボケをかましてきます。
例えばマスクがされている銅像をアップすると、「そういうことするのやめなって・・・・・・」「悪いことしてる」という具合です。
もちろん僕が銅像にマスクをさせているわけではありませんよ。たぶん町の物なので、役所の方か誰かがやっているのでしょう。
顔を合わせている状態だと「俺じゃねえわ!」とかすぐツッコンで終わりかと思いますが、文章だと良くも悪くも考える時間が発生するじゃないですか。
その時に思ってしまうんですよね。「この面白くないにも関わらずツッコミがあって初めて成立するコメントに俺はなんか返さないといけないのか?」と。
銅像にマスクをもし僕が勝手にさせたなら確かに悪いことなのですが、おそらくちゃんと管理している人がユーモアとしてやっているはずです。なんだかそこに想像が及んでいないような感じがして、「実際にマスクをさせた人が見たらどう思うだろう」なんて考えてしまい、そのコメントに少しでも加担するのが億劫になって、結局このときなんの返信もしませんでした。
年上な同僚なものですから、一応今までは接待的にコメントを返していたのですが、こんなのが何個かありまして、最近面倒くさくなって基本的に返さなくなりました。こんなことイチイチ思ってる私も面倒くさいやつなんでしょうが。
そうすると顔合わせたときに言われるわけですよ。「なぜコメント返さないんだ」と。出ましたSNSの嫌な部分。
驚愕したのはそのあと言われたこと。
「お前の面白くないやつを面白くしようとしているのに」
ま、ま、ま、マジか!あれで!?
大前提として、基本的に私は笑いをとったり、周りの人に面白いと思ってもらうためにインスタはやっておりません。もちろん、ウケを狙うときはありますし、スベっていることもあると思います。それを見て面白いか面白くないかの判断は私がすることではないので、面白くないと感じるならその通りなのでしょう。
しかし、面白くしようとしているとはコレ何事か?!こいつのくそつまんねえコメント(こういう表現は控えようと思ったのですが、正直に言うとこうなります)で、いったい私のインスタに何の化学変化が起きるというのか。この傲慢な意見にはびっくらこきました。まさかそんなつもりでコメントしていたとは……。
冗談だったのかもしれません。しかし、多少なりとも本心がそこにはあったように思います。
それは紛れもなく善意です。ただ、迷惑な善意です。
確かに人は自分でつまらないと思ったことは能動的にやらないでしょう。そう考えると色々なことに気づいてしまいます。あれも善意なんだ。これも善意なんだ。そして私も似たことをきっとやっているんだ・・・・・・。
そもそも悪意で動くことは少ないのではないでしょうか。悪意がある、自分で悪いと思いながら動くというのは、ものすごいストレスです。
自分が正しいと思いながら動くのは、自然なこと。そもそも正しい正しくないの前に、自分を疑って行動しない。他人にとってはしばしば正しくないことにはなったとしても。
ちょっと自分が善だと思いすぎている人が多い印象はあります。でももし自分が間違っていると思い続けて生きるとすれば、その最後は究極の自己否定につながってしまう。
言葉の使い方は違うかもしれませんが、半信半疑くらいがちょうどいいのかなと思います。信じすぎても、疑いすぎても、きっと身を滅ぼすから。
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