後悔しないことなんてできるんですか?
後悔しないという人がいる。マジか?
後悔するべきではないという人がいる。言いたいことはわかるが、無理だろ?
後悔というものは生きているうえでとらなかった選択肢がある以上、どうやったって生まれるものじゃないのか?
後悔しない生き方なんて、北海道の雪道で一回も転ばないで過ごすくらい難しいことのように思える(それだと若干できそうではあるが)。
例えば、今日はトンカツにしようと買い物に行く。豚肉を買う。小麦粉はまだある。卵も。はて、家にまだパン粉はあっただろうか?
はい、もう確認してこなかったことを後悔します。ここでイチかバチかでパン粉を買ってきて、新品同様のパン粉がまだ家に残っていたりしたら、これも後悔。後悔地雷はいたるところに潜んでいる。なんなら、あると思っていた小麦粉がない。
それとも、後悔しないという人たちは、これくらいのことは後悔のうちに入らないということなのだろうか? マジでこのくらいのことで、まあまあクヨクヨするので、だとしたら羨ましい限りだ。
何なら後悔地雷が絶対そこに埋まっているとわかっていながら、それを踏まざるをえないことがままある。ポテチを一袋平らげる時などがそうだ。
油断すると炭水化物と脂肪を取りすぎてしまうので、できるだけ控えているのだが、どうしても衝動に負けてポテチを買ってしまうことがある。
その時は「いつ死ぬかわからない人生で、このポテチを食ったら太るだろうなあと考えていること自体が無駄な時間だ。俺は食う。この食べたい気持ちを押し殺してストレスをためることが、太ることより害だ」という気持ちでいるのだが、空っぽになった袋を見て「俺はなんてことを・・・・・・」と親友を崖から突き落としたような罪悪感にさいなまれる。誰も突き落としたことはないけど。
後悔する時間は確かに無駄で、過ぎ去ってしまった時は取り戻せないのだけど、後悔を回避することは不可能だ。少なくとも僕には。
後悔しないという人に関しては後悔という言葉の捉え方が僕とは違うか、そもそも人間の種類が圧倒的に違うと考えるほかないのだけど、後悔をするべきでないという方については、「すみません、あたいには無理です」と言わせていただく。
「好きだった子に告白しておけば」「親にありがとうと伝えていれば」「あの馬に賭けておけば」「違う飛行機に乗っていれば」・・・・・・そういう“たられば”をなくそうという思いなのだと想像する。いや、未来予知できないので無理です。だってその時最良だと思った選択が、あとになって最悪だったということもあるのだから。
未来がわかっていたらエジソンも交流を先に開発しようとするんじゃないか?それともわかっていてなおかつ直流でいくのか。それは後悔しない生き方?単に頑固?
少なくとも、サン=テグジュペリは撃たれなかっただろう。撃った人はわかっていたら撃たなかったと言っていたはずだ。
ノーベルはダイナマイトの開発をやめただろうか?
後悔、後悔、後悔。未来がわからない以上、いや、わかったとしても不可避の感情じゃないだろうか。
けして後悔したいわけではないけれど。
後悔しない人生など存在しないし、これからも後悔していく所存である。
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