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あの後説に思うこと

今回はどうしても言いたいことがある。
それは先日行われた第9回30GPで優勝した三等フランソワーズ、その主宰である中川さんの"後説"についてである。

僕は今回この”演劇バトルイベント”での中川さんの”後説”に対して非常に気持ち悪さを抱いてしまった。
その理由を書いていこうと思う。

本文は30GPを運営する火ゲキ運営委員会にもひとつ提案として残したい部分があるので、有料部分は設けないで公開する。

前提として

まずはじめに申し上げておきたいのが、僕は今回の三等フランソワーズの優勝に関して文句があるわけでは一切ない。

三等フランソワーズの実力は今回明らかに頭ひとつ抜けていた。
第一ラウンドの感想は別の記事に書いたが、決勝に関しても地力の強さを見せつけていたと思う。
脚本、演出、演技、どれをとってもハッキリ言ってダントツだった。
だから決して今回の結果に不満があるとかそういうことではないことをご理解いただきたい。

一観客として、システム的にモヤっとしてしまう部分があるのではないか、と言う話だ。

後説のスタンス

今年の第9回30GPに関して、僕は第一ラウンドの全てと決勝戦を観に行った。優勝した三等フランソワーズの作品も当然、第一ラウンドと決勝戦の二作品を観劇した。
そしてそのどちらにも、中川氏の”後説”がついていた。

演目が終わり、観客が拍手をする中、中川氏が軽く手を挙げそれを制し、少し小さめの声で「喋ります」と呟いてから後説がはじまる。

演劇の後説というといろんなパターンがある。
ダブルコールをいただいてから初めて喋るパターンもあれば、中川さんのように初めから率先して喋り出すパターンなど、団体によって様々だ。

個人的にあまりダラダラした後説が好みではない、というのも正直に言っておかねばならないと思う。
物語の余韻を増してくれるいい後説もあるが、せっかくの余韻を損なってしまうようなものも多いからだ。
なので個人的にもともとそういったバイアスがかかっているのは正直なところだろう。

中川さんの後説に関しても、共演者の澤井さんが決勝で仰られていた通り、楽しみにしている方も大勢いるのだと思う。
そういった方の趣向を否定するつもりは一切ない。
単に好き嫌いの話だ。

実際の中川さんの後説の内容はというと、昨今のニュースを絡めたりご自身の近況だったり、勿論大会自体にも触れたりしながら結構な時間、決勝などでは体感5分近く喋っていたように思う。

僕が感じた印象としては、作品を掘り下げるための時間というよりは、中川さんが喋りたいことを喋っている印象だ。個人的には完全に余韻はぶち壊されてしまった。

本編とは関係なく喋りたいことがとめどなく溢れている様を見ると、むしろこの瞬間のために演劇を作っているのでは、ということすら感じさせる。
それでも勝ってしまうくらい本編のクオリティが揺るぎないというのもすごい話ではあるが。

先ほども述べたが、こういった後説自体を否定したいわけじゃない。
好き嫌いはあるが、団体のスタイルの自由だ。
自団体の本公演や別のイベント、それこそ通常の30×30であれば好きにすればいいと思う。

しかし今回はバトルイベントであり、相手がいる場の話だ。
そして観客による投票で勝者が決まり、その投票の基準はあくまで「作品」で判断してほしいというのが大会の趣旨である。

僕はその大会の趣旨と中川さんの後説との食い合わせが非常に気持ち悪いと感じている。

「作品」以外の要素

つまり今回観劇の際にあった”後説”が、『作品以外の要素』として評価軸に入りこんではしまわないだろうか、という点に気持ち悪さを覚えるのである。

まず大会のルールとして、作品は30分以内でなければならない。
30分を超えた作品は超えた分だけ減点される仕組みだ。
逆に言えば現状では、30分以内ならば5分近くも後説をいれても問題ないという認識のもと、中川さんは行っているものと思われる。

当然この後説で30分を越えても減点対象になるのだから、であれば当然、後説も観客の評価対象になってしかるべきだ。
そして前述のとおり、僕はあの後説をあまりいいものと思わなかったので、作品のクオリティは認めつつも、好感が著しく下がってしまう。

逆にその”後説”が好きな人にとっても、「後説を含めて加点の対象」となることは、やはり”純粋な作品だけの勝負”という理念に対して、水を差している形になってしまわないだろうか。

つまりせっかく作品のクオリティだけみれば票を入れるのになんの躊躇もないところを、後説の好みのせいで気持ちよく票を入れにくくなってしまうのだ。
そうなると相対的に好感が持てる相手団体に入れたくなるが、こちらも頭では「作品で判断しなきゃ」と思っているので、なぜかすごく苦しい思いをして悩む羽目になる。
これは後説さえなければ生じなかった苦しみだ。

では後説を作品の一部として考えるとどうだろうか。
それでもやはり、せっかく物語が綺麗に締まったのにとんでもない蛇足がついてしまっているように捉えられるので、そうなるとやはり個人的には”作品として”もマイナスに思えてしまう。

いずれにしても”後説”が得票に対して、”良くも悪くも影響を与えている可能性がある”というのが非常に気持ち悪いと感じるのだ。

後説の内容

後説の中身に関しても、それが例えば純粋に「作品を掘り下げるもの」だったとしても、観客がシンプルに「作品だけ」を観た感想に、より作り手の思いをプラス(あるいはマイナス)できることになってしまいよろしくないと感じる。

さらに中川さんの後説は「作品を掘り下げるもの」というよりは「得票のための演説活動」に見えてしまうので余計にタチが悪いと思えた。
※これもあくまで個人的な受け取り方であることは強調しておきたい。

決勝の後説を例に挙げると、中川さんはこんなことを言っていた

「(作品が)良かった方に票をいれてください。
どっちもよかったけどという関係者は三等にマルしてもらってもいいし
うーんって言う人は引き分けにマルしてもらってもいいんで。」(大意)

そして「相手団体にマルをする」という選択肢を言わないまま後説をおえた
これは観客への投票を”自分たち”か”引き分け”の2択に絞るナッジ行為に思えてしまう
もちろん観客全員がそれに影響されるわけではないだろうが、影響される人が0とは言えない以上、作品でないところで得票を操作する行為に該当するのではないだろうか。

勿論中川さんがそういったことを狙ってやっていると言いたいわけではない。
ただ結果としてそうなってしまう可能性がある以上「作品のクオリティや面白さだけで票を競う」という大会の趣旨としてはやはり好ましくないのではないかと思うのだ。

また個人的には後説の中で、たとえ冗談だろうが運営団体やイベントの料金体系にケチをつけるのは、側から見て気持ちのいいものではなかった。
笑っている人もいたし、運営の方がどう思っているかはわからないが、個人的には今まさにそのシステムに乗って作品を上演した作り手が、客を味方につけて運営を批判する(少なくともそう見えかねない)のはいかがなものかと思う。
その上結果として優勝し、貰えるものをちゃっかり貰っているのだから、やはり何か観ている側としてモヤっとするものが残ってしまうのは自然なことではないだろうか。

ルールで制限可能なこと

何度も言うように僕自身、そんな後説への嫌だ味は正直感じながらも、三等フランソワーズの作品のクオリティやおもしろさには脱帽しているし、優勝という結果にも全く異論はない。

だからこそ、せっかくなら観てて気持ちよく祝わせてほしいと思ってしまった。こんな一観客の感情など知ったこっちゃないと言われるかもしれないし、それもそうかもしれない。
大半の観客はこんなこと考えてもないのかもしれない。それはわからない。

ただこの僕の気持ち悪さは中川さんがどうこうというより、ルールの改正で改善できることだから、というのもある。

つまり大会のルールで明確に
「作品後、カーテンコールでの後説はなし」
としてしまえばいい。

実際今大会で、上演時間内に後説を行ったのは三等フランソワーズだけだったと記憶している。
どうしても語りたいことがあれば、上演後の観客投票中にMCが話を振ってくれているのだからそこで語ればいい。
実際そう言う場を運営側が設けていることからも、そもそも後説のような要素は「作品以外の要素である」という認識は共通しているのではないだろうか。

であれば、大会中何度も口酸っぱく「作品」での評価を観客に求めるほど、その趣旨を大事にしている大会なのだから、作り手側が「作品以外」の要素を入れることができないよう、極力ルールで工夫するべきなのではないかと思う。

でなければ上記のように、投票の際に余計に共感を持つ観客、逆に不快に思う観客が生まれてしまう可能性を残すことになる。

どんなスポーツや対戦でも、勝ちと負けが存在するものにはみんな必死になる。使えるものは全て使って勝利を獲りにいく姿勢は通常褒められるものだ。しかしそのなかでできるだけフェアネスを保つためにルールが存在する。ドーピングや八百長など、やってはいけないことが存在する。
それは戦う者もそうだが、観ている側もその勝敗に納得するためだ。
全員が気持ちよく楽しむためだ。

そもそも演劇という”表現作品”を比べ、勝敗を決めるというのが非常に難しい行為で、シンプルに技術が高ければ勝てるというものでもない。いろんな複雑な要素が絡む中、結局は”観客をどう味方につけるか”という非常に曖昧な要素にアプローチしなければならない。

だからこそルールでの規制には極力慎重にならねばならないが、今回僕が個人的に感じた気持ち悪さに対して、もし同じように感じる方が少しでもいるのなら、大会を運営される方々は是非一考していただきたいと思う。

まとめ

本当に何度も繰り返しになるが、今回の第9回30GPの数多の素晴らしい団体の中で、三等フランソワーズが優勝したことに関しては、僕個人も非常に納得している。後説に対する個人的なマイナス点を差し引いてもだ。
本当に素晴らしい作品だったと思う。

以前書いた通り、僕はこのイベント自体が大好きだし、運営委員会の方々、および参加しているすべての団体をリスペクトしている。
だから今後上記のようなルール改正が行われなかったとしても、今まで通り楽しみに足を運ぼうと思っている。

というか、前述の通り非常に繊細な比べ合いのため、作り手も観客も、全員が100%納得するルール作りは非常に困難だと思う。
それは当然百も承知で、ただ少しだけ、差し出がましくもこうした方が作り手も観客も運営も、全員が少しでも気持ちよくバトルを楽しめるのではないか、と感じた点について今回は書き出させてもらった。

今後も僕はこのイベントと参加者を応援したいし、投票の際は自分の価値観に照らし合わせて判断し、正直に票をいれようと思う。




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