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父を想う、加計呂麻島の旅で、死を想え

父の49日を前に、6月上旬の雨季に加計呂麻島へ行ってきました。5月はさすがにずっと東京を離れられず。雨季なので、いつも行く宿はお客さんも多くないだろうし、宿でのんびりと過ごすつもりでした。父がいつも「ええなあ、加計呂麻島。いつか行きたい」と言っては、「ダメダメ、お父さん。お酒たくさん飲むから、酔っぱらいには紹介できないよ」なんて、連れていってあげることができなかった。だから、「お父さん、一緒にいこうね」と父の写真を持って、加計呂麻島へと旅をしました。

世界放浪の旅をしているときも、「妻を亡くしたから」という理由で旅をしている人もいたし、加計呂麻島の宿でも、「先日夫を亡くして」「母を亡くして」と言って心を癒すために、あるいは心を整理するために旅をしている人に多く出会いました。

いま、自分が最愛の父(私は父親っ子でした)を亡くして、初めて、心を癒すには時間が必要だと、言い換えれば「時間しか心に効く薬はない」ことを自覚しました。私にとって、これまでの旅とはまったく概念の異なる「旅」であると思ったし、藤原新也の『メメント・モリ』(死を想え)を読んで、学生の頃にインドに行こうと向かった瞬間を思い出しました。

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東京、島、海外と3拠点に活動する旅女(たびじょ)・旅作家の小林希が今日の旅話、仕事話、恋話をお届けします。

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