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非常勤講師渡り歩記③〜単学級は身軽で面白い(中・公)〜

非常勤即ちピンチヒッター。
大体「初めまして!明日打ち合わせで来校可能ですか?来週の授業からお願いしたくて。」といった勢いで引き継ぎも無しに波乱の最前線に放り込まれる訳です。

そんな現場を傭兵の如く渡り歩くこと4校、それぞれに何処も面白く何処も大変でした。

今回は2校目の話をします。

シリーズの記事↓


前回までのあらすじ

 年度末を機に、副業として手伝っていた映像制作会社に専念すべく一旦教職を離脱。

仕事は楽しく待遇も良かったが、専業にして3ヶ月ほどで社長の遵法精神がダメなことが判明。
辞めます!!!お世話になりました!さようなら!!!!

そんなこんなで教職の良さを再認識しつつ晴れて無職となったのだった。

詳しくは前回の記事↓

 無職になってから、しばらくは習い事をしてみたり観劇をしてみたり作品制作をしたりと気ままに過ごしていた。
1ヶ月程度で「一応、就活のポーズくらいは取っておくか」と思い立ち県の講師登録に登録。

翌日、県教育委員会より入電。さらに市教育委員会に引き継ぎ。
教員不足は深刻だった。
本当はもう1ヶ月くらい遊んでいるつもりだったのに。

さらに次の日には、市役所の会議室で市の教育委員長と校長と対面していた。
展開が早すぎる。6月末、波乱の幕開けだ。

小規模校は教員不足の煽りを受けやすい

 全校生徒100人に満たない単学級の中学校は、補充の優先度が低くなってしまい、慢性的に欠員している。
私の勤務期間中も多い時は同時に3教科が欠員していた。

 美術も年度初めに配置された美術教員が諸般の事情により1週間程度で離職してしまい、1学期の間殆ど授業が実施できなかったらしい。
教頭が臨時免許を取得しなんとか少しの授業と期末テストを実施し成績を付けたが、付け焼き刃での限界は近い。

教育委員会もせっかく掛かった魚を逃してなるものかと可能な限り良い条件を用意してくれている。

 そんな話を聞かされてしまっては断れない。
1学期末から週2回、往復3時間の運転をして実習以来の中学校勤務が始まった。

前世紀的な表層

 職員室で髪色の指導を受けていたのは短ランの中に鮮やかなTシャツを着込み、ボンタンパンツを履いたスタイルの生徒。東京卍リベンジャーズで見たやつや…
そのスタイルのヤンキー絶滅していなかったんだ。
駐輪場には鬼ハンの自転車もある。

 学校設備もなかなかの年季の入りっぷりだ。
畳の敷いてある「宿直室」。ぬ〜べ〜で見たやつ実在したんだ。

 地域の特色として、親世代でも「家業の手伝いや弟妹の面倒を見る為に学校には行かない」という家庭がさほど珍しくなかった。
その価値観が現代の不登校問題と合体。生徒指導は混乱を究めていた。

家族を含めて教育の意義を説得して支援する、多くの地域が100年前に越えた課題に向き合いつつ、今の時代に合わせた教育のニーズに応え最善を探る。
教育史を遡り、意義を見直し、草の根を分け基礎を打つような取り組みを必要とする現場だった。

(この記事では書かないが、他にも事情があり教育困難な中学校だった。そのせいもあり適応出来なかった教員が次々とギブアップしていく過酷さだった。)

先進的な内面

 しかし実はこの学校、名の知れたインクルーシブ教育の実践校でもある。
発達障害の生徒も、知的障害の生徒も、定形発達の生徒も、基本的に同じ教室で学んでいる。
各学級に男女2人が担任につき(副担ではなく2人とも担任)こまめな家庭訪問、場合によっては別室授業も行い、手厚いサポートを実現している。

 え?さっき慢性的に欠員している話をしていたのに?…とお思いの事でしょう。今からその説明をします。
中学校は教科担任制なので、教職員の最小の人数は、教科数+校長、教頭、保険医、事務員等。ざっと13人。
対して生徒は各学年単学級。全校生徒100人程度。
そう、多少欠員していても生徒数に対して手と目はあるのだ。
(これが欠員が補充されにくい理由の一端でもある。)

少子化と教員不足のねじれの位置に発生した小さなオアシスがインクルーシブ教育実践の場となっていた。

まあ、つまりインクルーシブ教育をやりたいなら、とにかく学校現場の人手不足解消ありきだよねって事。

身軽な運営

 そしてこの少人数体制、非常に身軽。
単学級なので学年会議無し。各教科ワンマン体制なので教科会議無し
クラス間の時間数や進捗を合わせる必要も無し
学校施設使いたい放題。空き教室も沢山ある。
思いつきでなんでも出来るフリーな環境で生徒も教員も伸び伸びとやっていた。

具体的には「今日天気良いし中で授業やってる場合ちゃうわ!外行ってスケッチしよーよ!」とか出来る。
更に手の空いている他教科の先生が「何やっとんの〜?」と見に来てくれる。た、助かる〜!

 非常勤でも職員室には自分の机があって組織の見通しが良かった。
これまで末端にいて見えていなかった学校経営の全体像が見えて、他教科や担任との関わり方等も分かってきた。

初教科主任(?)がここで本当に良かった。

平常時間割が無い!

 欠員が慢性化して「平常時間割」という概念が無かった。
「変更だらけで意味を成していない」とかではなく、本当に無い。
時間割は毎週作成され配布される。

毎週変更だと混乱を招くし、ギリギリで騙し騙し回している現状が生徒や保護者に伝わってしまうからだろう。

 このシステム、毎週自分の持ちコマの位置や数が変動するデメリットはあるものの、とても融通が効く。

直前でも言えば簡単に休みが取れる。引き継ぎも不要だ。
前任校は有給を使うと、その時間用の課題と引き継ぎを用意して事務の先生に託す必要があり、授業に付随する時間外労働(※無給)のみが発生する、非常勤講師にとっては闇のシステムだったので私は大変感動した。

授業数の調整もかなり自由
「○年生の作品が間に合わなさそうなので時間欲しいです〜」と言ったら貰えるし、「○年生はあと1時間くらいで内容終わるのでもう大丈夫です!」と言えば減らしてくれる。超楽。最高。

待遇面

 単学級、面白いんだけれど残念ながら非常勤講師にとっては壊滅的にコスパが悪い。
私の場合は市から補助を出してもらえていたので比較的マシだったものの、「勉強しに行く」位の気持ちでないとかなり厳しいものがある。

 そもそもコマ数が少ない
現在の学習指導要領に定められる美術の時間数は1年生45時間、2.3年生35時間、つまり3学年を1年間担当したとして、115コマしか無い。
ここに時給を掛けてみよう。かなり渋い年収が見えてくる。

しかも、同じ授業準備や評価基準を使い回すことが不可能。
なので、115回分授業準備を使い捨てる事になる。教科担任制の旨みを半分以上捨てている。
この体制を当然としている小学校の先生方には本当に頭が下がる。

 さらに、強制的に実質教科主任になる
全学年のテストを作って採点したりする必要がある。
しかも義務教育なので、不登校や別室授業の対応もある。
保護者が怒鳴り込んできて相手をさせられたこともあった。非常勤講師に何させんねん。こちとらお時給で働いとんじゃ。(?)

 非常勤講師は、「教員」と「時給労働者」の実態の隔離を本人と現場の体力だけで埋めている。
その隙間が取りこぼしの無いようにする必要のある義務教育との相性がめちゃくちゃに悪いです。

非常勤講師は常勤の教科主任がいる所でした方が良いよ…



 単学級中学校、常勤や正規ならかなりオススメです。
あらゆる面で融通が効いて身軽なので、とにかく研究的な取り組みをしたい人にはとっては天国です。

 常勤の話もあったものの、往復3時間運転の通勤距離の壁は厚く断念しましたが、勤務自体はやり甲斐に溢れていて楽しかったです。
(非常勤の身分を利用して混雑時を避けた常時重役出勤&早上がりをしていた)

ここでは語りきれない多くの気付きときっかけを貰い、短い期間だったけれどひとまわりの成長を実感できる環境でした。

 次回!
短ランには刺繍が入りサラシに地下足袋、更には白の長ランや羽織袴まで勢揃いの卒業式を終え、もう怖いものは無いかと思われた。
そんな希宮を定員割れ教育困難校の現実が襲う!お楽しみに!

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