#YOMU YOGA vol'1
こんばんは!Nozomiです。
水曜日の夜のオウチデヨガ見ていただいてありがとうございました!
本日からは私たち&YOGA Sapporoが日常を通して気付いた様々なことをヨガとリンクして発信していきます!
是非「読むヨガ」#YOMUYOGAとしてお楽しみください☺︎
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こんにちは。
&YOGA Sapporo代表のKaoruです。
外はとても気持ちの良い季節になりました。
空気を入れ替えるだけでも空間のエネルギーが循環し、身体の巡りにも変化が訪れます。暖かく天気の良い日は窓を開けて過ごしましょう!
さて、今回から始まりました&YOGA Sapporoのコラム連載。
このような時代になり、世の中はこれまでと大きく変わりました。
外出ができない、人と会えない。
人と会うことってなんて幸せなことだったんだろう!!そんなことに気付かされます。
何回かインスタライブ配信も行いましたが…
チームで相談し、ライブ配信はひとまずお休みすることになりました。
これだけたくさんの人が配信しているのですから、きっと、オンラインが必要な人にはオンラインを発信したい先生がうまい形で結びつくでしょう。
私たちは、対面で伝えられるその日が来るまでの期間、学びを深め、再開した時にどのような形で皆さんを迎えられるか?その準備に全パワーを注いでいきたいと思います。
ということで、
レッスンが再開できないまでの間は、
「文字で読むヨガ」とでも言うのでしょうか?
私たち&YOGA Sapporoが日常を通して気付いた様々なことをヨガとリンクして発信していきます。
今日は、見るものと見られるもの、
というお話。
ヨガの世界では、私たちが「自分」だと認識しているものは「見るもの=プルシャ」と「見られるもの=プラクリティ」の2つが合わさってできていると考えられています。
見られるもの=プラクリティは、思考や自我など、心を生むもの。いまこれを読んでいる間も様々な思考が頭をよぎっていると思いますが、それが、ヨガでいうところのプラクリティです。
一方で、見るもの=プルシャとは、完全に純粋な意識体のこと。例えばゼロ、例えば無、例えば生まれたての赤ちゃん。なんとなくイメージがつきますか?
穏やかで純粋無垢な状態で存在し続けるものであり、真の自己は、このプルシャのみのことを指します。
心(プラクリティ)が物事をジャッジする時は、感覚器官からの情報に依存します。たとえば「自分の美しさ」は、鏡やモニターに映った視覚情報や、世間で美しいといわれている誰かと比較したり、聴覚から入ってきた他人の意見を頼りにジャッジします。
それに対して、真の自己を知った人は、自分自身の本来の輝きを知っているため、“外との繋がり”を司る感覚器官に頼る必要がありません。プルシャ(真我)を知ることによって、他者(外側の情報)に依存しなくなり、あらゆる不安や苦悩から解放されて、常に光り輝く存在となります。
本格的なヨガスタジオに行くと鏡が置いていないのは、他の生徒と自分を比較したり、先生にどう見られているかなど外側の情報にとらわれることなく、真の自己を探す作業を練習するためです。
家での自粛生活が始まってからというもの、先生も生徒も、モニター越しに自分を見ながらヨガをする時代が到来しています。
いろんな先生のレッスンを気軽に自宅で受けられる一方で、
オンラインクラスに参加している方からは、「ヨガして気持ちいいはずなんだけど、なんか疲れる」という声もちらほら。
もちろん、デジタルノイズやブルーライトも疲れの原因の1つとは思いますが…
この、プルシャとプラクリティの話を聞いて何かをピンと感じる方もいるのではないでしょうか?
長年メディアの世界にいた私は、見られ続けることへのストレスからヨガに出会い学びを始めました。
モニター越しに見られることは、実は想像以上に時間をかけてストレスを蓄積していきます。(毎日デジタル配信2年半していた私の心と体がそれを実証済みです)
そして、見られることに縛られた自分は、真の自分を見失い、様々なバランスを崩していきます。
(もちろん、当てはまらない方もいらっしゃると思いますが)
Zoomレッスン、Zoom飲み…
なんとなく調子が上がらない、最初は楽しかったのに最近楽しくない、という方は、モニター越しの世界から少し離れ、ただ目をつぶり瞑想の時間を設ける、また遠くの景色を見ながら深い呼吸のみ集中して繰り返すなど、シンプルなヨガを実践してみてくださいね。
早く世界に平和が訪れますように。
OM, OM, Shanti OM.
Kaoru
@andyogasapporo
#sapproyoga
#yoga
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