散文。インターネットへの後悔。2024/12/24
凍えついた馬か橋か、夢の断片が意識に浮かぶも、その全容は掴めない。抽象的だったのか具体的だったのかさえ定かではない。しかし、その夢が連想させたのは、忘れようとしていた、あるいは忘れられなかったあるネットユーザーとの出会いだった。
その夢とは二度目の邂逅。前にもどこかでみた気がするデジャヴ。一度去った人との再会は難しい。追う気はないけれど、今どこで何をしているのか、ふと考えてしまう。
あのディスコードサーバーでのやり取りを思い出す。しょうもない自分語り、悩み相談、そして度重なる乱入。個人チャットで済ませるべきだったのかもしれない。いや、それも迷惑だっただろうか。ただただ誰かに話を聞いて欲しかった。だから長文を書き連ね、結果的に悪者になってしまったのかもしれない。あの時の自分自身の言動、人間関係の不器用さ、そして彼との繋がりを失ってしまったことへの後悔。全てが疑念となって今も胸に刺さっている。そして世間はクリスマス。ラジオから流れてくる曲が私自身との対比のように心に響いてくる。
美談にするにはあまりにも苦い思い出。彼はいつも明るく、周囲に人が集まっていた。一方の自分は、誰にも認めれていなかったのか、いや認められていたらなんだか申し訳なく思うが、それでも時折向けられる同情の言葉さえも疑心暗鬼で踏みにじっていた。半年前の出来事なのに、なぜだか鮮明に思い出される。きっとこの長文をAIに尋ねても定型文しか返ってこないだろう。この無常感。
詳しく話せば長くなる。いや、すでに長くなってしまっている。後悔は今も、そしてこれからも私につきまとうだろう。ネット、人間関係。衝動的に行動してしまう自分。長文、落ち込み、家族との衝突。リアルでもネットでも、私は「ヤバいやつ」として映っていたのかもしれない。今も、この文章を書いている自分もそうだろう。ある一人に執着しているのだから。
Twitterをやっている理由は、いつのまにか彼のためになっていた。彼が去った後、Twitterを続ける理由を見失った。ほとんどと言っていいほど。しかし、この時代にインターネットを完全に断つことは難しい。彼はよくバズる投稿を作ろうと模索したりバズる快感を得たりバズることに対してどこか執着してるように見えた。対して私はそんな執着は無駄だと、そのようなことを歌う、そんな曲とかをよく貼ったりしていたがどうやら無駄だったようである。別にインターネット自体はやめなくてもよかったのではないか、細々と続けて交流の手段とすればよかったのではないかと今になっては思う…思ったが、それだと私はあまりにも無責任ではないか。しかし彼は行った。行ってしまった。前向きな理由なのだろうか。本当に?何かトラブルがあったのだろうか。ネットでの人間関係だろうか。まさか、原因は私?色々勘繰ってしまう。
瞬間的に様々な考えが頭をよぎる。イーロンマスクの言うBCIがあれば、思考を一瞬で転記できたのに。現実は甘くない。何に囚われているのか、自分は何を書いているのか。私は…。
若くして会社を経営する彼に近づきたかった。一緒に働きたかったのか、何かを作りたかったのか、人脈を広げたかったのか、お金が欲しかったのか、マルクスとエンゲルスのようになりたかったのか(さすがにこれは最低でしかない。生き方としてはあり得なくはない話かもしれない。人を金づるに扱うのは申し訳ないと言う言葉しかないが…)。とにかく依存していた。あの時は楽しかった。それが失われた今、半年経ってもまだ、この状態だ。
それでも、彼との時間は確かに優しかった。そのイメージは最後まで裏切られることはなかった。彼がインターネットを休止した後、彼は向こうの世界へ行った。
数ヶ月後、クリスマスイブの早朝、最初に書いたような、そんな夢を見てふと目が覚めた。聖夜には「来る」とでも予感していたのだろうか。そんなはずはないのに。
Twitterでよく言われるように、ディスコードはLINEよりも多機能で居心地が良いのかもしれない。しかし、私にとっては未練や思い出が蠢く場所になってしまった。
時間は容赦なく流れ、人生は続く。過去のことに縛られていても仕方がない。分かっていてもそれでも、あの時の自分を悔やみ、自暴自棄になり、心の中で発狂しそうになる。だから、この文章を書いている。あの時のストーリー、内省。ここに書き留めたい。しかし、書きたかったことはすでに忘れてしまった。自分はどうもワーキングメモリが少ないからか、書こうと思っていたこともすぐ飛んでいってしまう。思い出そうとしてもなかなか思い出せない。もしかするとふと思い出してまたここに書くこともあるのかもしれない。瞬間的に思って瞬間的に忘れたこのことで、ここにデジタルの筆を取らせたのは事実だろう。
いっそ全てを忘れて、リフレッシュのための旅に出てみようか。このことだけに限らず色々な自分の過去や…とにかく色々がフラッシュバックしてきそうだ。あと住みたいところとか気になる地域の探訪と言う目的もある。そのための将来の夢:日本一周であり世界一周だ。この灯火は生涯にわたって、達成するまでかずっとかは知る余地もないが、とにかく消えることはない。しかし私がかつて憧れていた、たとえば何ヶ月も何年も家に戻らないで旅を続けることなんて、常人にはできない、そう私は思うようになってきた。なぜなら体調を崩すからだ。私自身は特に季節の移り変わりの時に弱い。あと私は心がどこかいつも旅に出ている気もする。何ヶ月も。とにかく心も体も休ませる必要がある。何事もバランスが大切だ。少しずつ、人生を進めていこう。
P.S.
自分にとって思うに旅は崇高なものに思えて。「適度にやるからこそ」に思うが…交通系のYouTubeとか見てるとよく日本は狭く思うんだ。「広域思考」とかいう本じゃないけども100キロだったり200キロすら短く感じる。彼はホント、私に新しいおもしろい世界を見せてくれたねぇ…Twitterではよく絡み、ディスコードではあまり話さずむしろ周りを乱してばかりだったが、ありがとうと言いたい。
P.S.P.S.
とかとかとか、インターネットとそこでの人間関係について色々いいつつ、私もインターネット離れだして(さすがにTwitterはやめられんしGoogleからは離れられん、Twitterのアプリは消した。)、最近は本に色々と執着してるけどね…執着というかぞっこんというか、ここ最近読みたい本が多いのや。まぁそれを血肉にできるかはまた別問題でしょうが…。