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※著書『先生2.0:日本型「新」学校教育をつくる』には含まれない内容です。

学校教育において学級経営の重要性は誰もが認めるところです。
担任の学級経営によって、教室に子どもたちが安心して居られる空間が生まれ、学習に向かう雰囲気を醸成できれば、子どもたちはのびのびと自分の力を伸ばすことができます。
僕自身も学級経営に大変な力を注いできましたし、その成否によって、子どもたちの満足度に大きな違いが生まれることを実感してきました。
つまり、子どもたちが協力したり一生懸命に勉強したりする雰囲気作りに成功すれば、日々の教育活動が充実し、教員にとっても子どもたちにとっても満足できる空間と時間になります。この逆が、学級崩壊の状態です。学習は思うように進まず、子ども同士のトラブルも頻発します。
担任の学級経営力は、教室をプラスの状態にもマイナスの状態にもしうる重大要素となります。
ですが今、僕はこの「学級経営」という行為にかなり懐疑的になっています。僕は、学校の働き方改革と子どもたちの幸せを同時に成し遂げる道筋について論考をすすめていますが、考えれば考えるほど「学級経営」というものが大きなネックになっていると思わざるを得ないのです。

まず学級経営が、実に「不自然な」行為であることに自覚が必要だと思います。そもそも学校制度は、たまたまその地域に生まれた同年代の子どもたちを半強制的に集めて、教室という空間に閉じこめ、勉強をさせるものです。自由を奪われた子どもたちがそこで不適切な行動をしたり、不適応を起こしたりするのは当然のことです。現行の学校制度では子どもが授業妨害をしたとしても逮捕されたり罰金が発生したりすることはなく、子どもに対する実質的な強制力を教員はもちません。出席停止は制度としてはありますが現実的には形骸化しています。
そこで教員は褒めたり叱ったりして子どもたちを適応させようと尽力することになりますが、個別対応よりも集団をまとめて望ましい方向に向かわせることができれば得策です。そこで学級全体で目標を立てたり、共同でイベントに取り組んだりしながら集団でいることの心地よさを味わわせていきます。一方でこの心地よさは、集団から逸脱してはいけないという同調圧力を発生させます。同調圧力によって支配された集団は統率者にとっては実にコントロールしやすいものになります。担任が大きな声で叱責することも減り、平和的な学級運営ができます。ですが、たまたま同一地区に同年齢で生まれただけで、共通の目標をもたされるという「不自然な」運営にはやはり副作用が生じます。
まず、同調圧力に支配された空間が苦手な子どもが少なからずいることです。人と合わせるのが苦手だったり、場の雰囲気が読み取れなかったりして、逸脱した行動を取ってしまうことで、常に教員の叱責の対象となったり、周囲から否定的なまなざしを向けられたりします。自尊心を傷つけられ、ひどい場合は不登校になったりします。学級経営が目指す理想的な学級はそれに合わないマイノリティ弱者の犠牲の上に成り立ちます。理想的な学級の適合者と担任が「勝者」であり、そこからはみ出した弱者は「自己責任」になります。同調圧力に支配された空間ではそれに従わないものは「悪」であり、手を差し伸べるという考えにはなりにくいからです。

また、個々の教員の「学級経営力」に頼った学校運営にも副作用が発生します。1人の教員に1つの教室が割り振られる運営では、どの教員も「自分のクラスを統制すること」に必死になります。学級に同調圧力を発生させる初期段階では教員の高圧的な指導が有効な場合があります。それに成功した教員が「初めはビシッと指導しないとダメだ」などと主張することで、高圧的な指導が「当たり前」になっていきます。マイノリティ弱者が、毎日のように強い指導を受ける状態を正当化してしまう危険があるのです。校内のあちらこちらから教員の大きな声が聞こえるというのはとても健全な学校運営とは言えません。不登校になる子の中には、教員の怒鳴り声(それが自分に向けられたものでなくても)が耐えられなかったという子も一定数います。
また、この被害者は子どもたちだけではありません。高圧的な指導が得意な教員を頂点とした職員室内のヒエラルキーが発生する場合もあります。神戸市の小学校で教員同士のいじめ事件が発生したのも同様の構造です。そこまで極端でなくても、強い指導が得意な教員が職員室内での発言力も強いというのは多くの学校で認められる現象でしょう。強い指導が得意な教員が、苦手な教員を陰で批判するような残念な場面を僕はたくさん見てきました。
高圧的ではない方法で学級経営を行う方法も数多開発されています。書店の教育書コーナーに行くと、学級経営にかかわる書籍の多さに驚かされます。それだけ学級経営は難課題なのです。しかし、学級経営そのものが本当に必要なのでしょうか。学級経営という難課題を背負ったことによって教員の業務の難易度は相当跳ね上がっています。
確かに、子ども同士の同調圧力が弱い学級では、指導に苦労することも確かです。ただそれは別の制度の運用で補完できるものだと僕は考えています(詳細は書籍にて)。何より同調圧力をベースとした学級経営が、子どもたちや教員の中のマイノリティ弱者の犠牲の上に成り立っているのであれば、この「不自然な」運営を見直し、もっと「自然な」やり方に変えていく段階にあると僕は考えています。具体的には現在の学級担任制からチーム担任制、さらには全員担任制への移行が考えられますが、もっと子どもを信じて任せるような学校運営全体の見直しも必要です。(こちらも詳細は書籍にて。)


『先生2.0:日本型「新」学校教育をつくる』

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