利己的な目的で利他的に生きる話。
自分はとてもラッキーな人間だ。
今まで不自由なく生きて来れた理由の一つは確実に運だ。
このコロナ禍においても数々の運を発揮してきた。
オーストラリアの入国制限前に入国できていたこと、ロックダウン政策で周りのみんなが職を失い帰国する中レストランで働き続けられたこと、例年よりもオーストラリアにワーカーが少なく楽にファームジョブが探せること、ワーカーが少ないため国からいくつもの補助金を受けられること、何よりCOVID-19の新規感染者が圧倒的に少ないオーストラリアにいることでマスク無しで生活できていること。
人生を通しても運だけで30歳まで生きて来れた気がする。
ここから運を失うと、一気に足元が掬われそうな気がしている臆病者である。
認知的焦点化理論という考え方がある。
利他的であるほど幸運が舞い込む(ように感じられる)という理論だ。
これからは運よく生きていきたいので利他的に生きていきたいと思う。
自分の幸運ののために利他的に生きることは利己的なのだろうか。
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