#1 「杯を止められる酒」をいつか造りたい。

*前がき
小ビジョンシリーズは学びをアウトプットする場として、文字のコミュニケーション+SNSほどポップでないメディアを選んだ。僕にはミニマリズムの素養があるのではないか?と疑い始めているが、推敲することが好きだ。オーラルコミュニケーションで不用意な事をいってしまうと後ですごく凹む。

そんな僕はストレングスファインダーで「個別化」「親密性」「分析思考」「自我」「慎重さ」が上位だ。時間をかけて狭く深い信頼関係を築き、オリジナリティを尊重し・尊重される場で活躍する人間だそう。裏を返すと、信頼が崩れたり、均質化を求められると閉鎖的になる人間とも言えるだろう。どちらもその通りだろう。ストファイ。


なぜ、いまビジョンを?

小さなビジョンを描いてみようと思ったのは、29歳5ヵ月にしてようやく。大人なんてそんなもんかと思いきや、僕が中3の頃のアラサーといえば東京ヤクルトの福川や河端だ。まったく新人とはいえないではないか!いま同世代といえば山田哲人や本田翼あたり。酒を醸せないのに冷や汗を一献醸しようやくアラサーであることに気づいた。そんなところだ。

本当の意味でビジョンを描こうと思ったのは、大学時代のゼミの先輩がいたからだ。先月まで僕が陥っていた思考停止からの感情主導。待っていたのは打開策が分からず巡り続ける漠然とした不満や不安だ。根本的な課題を残したまま一瞬だけ感情をコントロール出来てもいわば「鎮痛剤」だった。1年ほど抜け出せなかった。ふと、数年前に買った『戦略参謀の仕事』という全く読んでいない分厚い本を広げたとき「ロジックツリー」「MECE」といった久しく見る言葉に、忘れかけてた何かが回り始めた。経済学部では珍しくマーケティング志向の人が集まるゼミで一緒だった先輩にLINEしてみた。大手住宅設備メーカーで営業や経理をしている先輩も案外同じような悩みを抱えていた。少し安心した。

当時と変わっていなかったのは先輩の学ぶ姿勢だった。勧められたGLOBIS(¥11,000/6ヵ月!)を一緒に始めた。端折っていうと、正気に戻った気がした。彼とはなんでも語れるし、率直にフィードバックしあえる。元より、先輩は僕のトッププライオリティのひとりだ。GLOBISを日々楽しんでいるうちに頭が再び回転し始めた。久しい感覚だったがハッキリと分かった。神羅万象から好き勝手に抽象化して学ぶのが楽しかった頃を思い出すと、すぐに「ビジョンが必要だ」と悟った。


「杯を止められる酒」とは何か?

僕はこれまで「杯を止めない酒」が良いはずだと信じていた。間違っていたのではなく、絶対ではなかったと考える。「杯を止めない酒」を僕なりに解釈すると「入手難易度が高すぎず」「会話が進み」「気づくと減っている」そんな酒だ。

GLOBISの「意味のイノベーション」という講座を視聴していて「...自動車メーカーは車を増やしてきたが、Uberは車を共有することで減らす社会へと"意味"を変えました。(意訳)」という話が僕に刺さった。

杯を止めない酒が持続可能なビジネスモデルなのか?初めて疑問に思った。受講者のコメントを見るとあまり評価のいい講座とは思えなかった。でもどういうわけか僕に刺さった。この違和感はなんだろう?


「もし杯を止めることが出来たら、僕の爺さんは酒を絶たなくても良かったのかも知れない。」


享年90歳位の爺さんについて母から「爺さんは、酔うと一升瓶で野球をしていた。」と聞いたことがあった。あのシャイで物静かな爺さんが?と聞き流していた。爺さんは50歳位で痛風になって、余程堪えたのか酒とタバコを一切口にしなくなったそうだ。葬式の献杯ですらオレンジジュースが用意されていた。

最期は長生きした爺さんだけど、僕が酒造りに携わるようになったいま複雑な感情がわく。僕が杯を交せるはずだった爺さんからもっと色々な話を聞きたかった。畑について行ったり、テレビを一緒に見たりしても、思い出せる言葉はほとんどない。もし爺さんが、杯を止めて、もっと長く飲んでくれていたら・・・。

僕は「杯を止められる酒」に見当も付かない。軽ずっぽに糖度を上げたり、価格を上げたりしても、爺さんが飲まないであろう酒では元も子もない。どんな酒を飲んでたかも知らない。「飲みたいけど、杯を止めたい。」そんなトンチの効いた酒が造りたいと想った。そして、爺さんに大好きだったはずの酒を捧げたい。酒のそんな一面を残したい。


おわりに

丁度いいビジョンだ。気づいたときすごく嬉しかった。自分のための目標がちゃんと立ったからだ。見るべき視角はもっと広かったようだ。
しかし爺さんも、単に酒が飲みやすかった訳ではなかろうよ。

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