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HSPのわたしの一番苦手なことについて

子供時代から心が敏感すぎる兆候はあって、それでもその当時はHSPという言葉はなかったし、大人しい、内弁慶のように周囲の人達からはとられていた。17歳のときだった。家族で引っ越しが決まり、東京郊外の社宅に住むことになった。その年の夏から地獄は始まった。一言で言うと騒音問題なのだが、ママさん達のケタケタ笑う声と子供の遊び声が土日は朝から夕方まで続き心が休まらなかった。子供の叫び声、ボールの音、キャーキャー笑う声、ずっと頭に響いた。わたしが聴覚過敏なのだと今さらながら思うが、健康な人でもあの社宅に住んでいたら神経がすり減ってしまう。

社宅の構造状態も思わしくなかった。窓が薄すぎた。声が筒抜け。

朝からわたしは訳も分からず泣いていた。涙が止まらなかった。そんな日が続き、しだいにうつ状態になった。布団の中に夕方近くまで横になる日々。高校も行かなくなってしまった。無気力。身体は怠い。何もしたくないし、何も考えたくなかった。

HSPの自分にとって騒音は神経を壊してしまうもので一番辛いことかもしれない。自分にとって不快な音を耐えず聞くのは拷問に近い。誰にでも苦手なことはあるし、それがたまたま私は騒がしい音だった。うつ気分の時は、何もしたくなく起きる気力もないので、布団の中にいることになる。ただ布団の中で騒音を聞くのは辛いものだ。どんどん気持ちは暗くなり、いなくなりたいとさえ思う。自分は好きなラジオ番組や聴いていて疲れない音楽を流すことを対処法にしてる。それでも苦しい時の方が多かった。

結局、高校は中退して、通信制高校に編入した。同時に精神科外来に通院することに。25歳まで騒がしい音は続いたけれど、もっと騒音で悩んでいる人も多々いると思い諦めの心が芽生えた。日本国内で聴覚が過敏な人がどれほどいるか分からないが、皆苦しみながら繊細な気質と生きている。苦手なことの一番は騒がしい音だった今のところは。雨の日の静寂と夜更けの静けさがあったおかげであの頃も乗り越えられた。何か一つ心が落ち着ける時間があると、HSPの人にとっての支えになる。

最近の自分は夜にベランダを開けて育ててる植物を眺めて、深く深呼吸をすることが喜びだ。ささやかなことでも何か楽しみ、喜び、ほっとできることを見つけていきたい。

聴覚過敏があり、日常の刺激にも弱いのだが、この症状が出てから自分が何をしたら安心できるか幾つか見つけることができた。やはり疲弊したときは一人になり、安心する毛布に包まり自分に対して話しかけること、これはわたしに効果あった。つまり独り言なのだが、小声で大丈夫だよとか自分の思っていること、これからやりたいことなどを話してみる。そうすると少しずつ安心してくるのと毛布のぬくもり優しさが心地よく、あとアロマを嗅ぐのがリラックスしてくる。特にラベンダーはいいので不安感がある人は試してほしい。間接照明にすること、音が気になるとき、だが音を聴くと疲れてしまうというときは自然音が流れるアプリをインストールして聴くのも良い。自分は雨の音、夜の虫の音が落ち着いた。

自分のように好きな音と嫌いな音がハッキリわかっている人、音で悩んでいる人達はストレスが溜まりやすい。無音の環境は難しい。騒がしい音に悩んでいる人は多いみたいだ。騒音をしている当人を恨みたくなる気持ちもある。人間綺麗で純粋な心になれず、憎しみ、恨み、怒りが湧くときがどうもある。それは普通のことでただどうにかしてその気持ちが治まるように時間が過ぎるのを待つ。時間が逆に自分を追い詰めることもあるかもしれない。やはりあまりに苦しいときは精神科、心療内科に相談に行くのがいいのかもと。不眠になったり、イライラして自分や家族を傷つけるより、医療機関に行ってみること、自分に合う薬を見つけるまでは時間がかかるけれどその分救われることがあるからだ。


HSPだったり、神経が過敏だったりすると、人より苦労することが多い。でもその分感受性が豊かなものでしか分からない幸せはある。自分自身を少しずつ好きになることを、わたしも挑戦している。ゆっくり、少しずつ歩いていこう。一つの小さな幸せを大切に。


初めてnoteに投稿してみました。ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。乱文で失礼しました。