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散文日記「コーラフロート古参ファンのすゝめ」

・睡眠学習器って、今でこそ「そんなわけないだろ」と思う代物だけど、売っていた当時は疑心暗鬼ながらも受け入れられてた事実を見ると、サウナの「整う」も令和30年あたりのバラエティ番組で「あの頃の滑稽なブーム」として消費されてしまう可能性を秘めた不確かさがあって、どうも乗り気になれない。考え過ぎなのか。

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・いまだにマリトッツォがたまに食べたくなるんだけど、もうどこのパン屋さんに行っても売っていない。どうやらパン屋さんは1人の青年の叫びよりトレンドのアップダウンの方に耳を傾けたいらしい。一発屋みたいな扱いさせないでおくれよ。マリトッツォもサウナの「整う」と同じ番組コーナーで消費させるつもりか。今度から「パン屋」って呼び捨てで呼ぶぞ。覚えとけ。

・一過性のブームになるものって、「やってることは簡単」という点で共通していることに最近気付いた。マリトッツォはパンに生クリームを挟んだだけだし、整うもサウナと水風呂を交互に入るというシンプルな行為だし、かつて流行ったハンドスピナーも回転させているだけだ。その「それ“だけ”で十分イイのだ」というポテンシャルを持ち合わせていながら、今までキッカケがいまいち掴めず、陽の目の当たらない毎日を過ごしていて、どこかのちょっとしたキッカケで爆発が起こったんだろうなと推察する。

・でも悲しいかな、ブームがある程度行き渡った所で「いや、パンにクリーム挟んでるだけじゃん」と冷めた意見を言う人が必ず現れる。「サウナと水風呂交互に入ってるだけじゃん」「回転させてるだけじゃん」「サビで縄跳び跳ばないだけじゃん」「つまんないの、やめよやめよこんなこと」これがブームが終焉するメカニズムだと提唱したい。シンプルだからこそ「シンプルさ」を「退屈さ」と処理されてしまう悲しい運命を背負っているのだ。シンプルが一番難しいのに。

・シンプルの法則で言うならば、僕は「コーラフロート」に秘めたポテンシャルを感じざるを得ない。炭酸飲料の王様は紛れもなく「コーラ」なのに、フロートは何故か大抵の場合「メロンソーダ」とセットにさせられる。でも、コーラフロートもコーラ+アイスクリームなので当然美味しいのだ。でもキッカケが掴めてなくて不遇の時代を長く続けており、今もなお泥水をすすり続けているのだ。もはや泥水フロートである。僕はソーダフロートとコーラフロートが両方あるお店では必ずコーラフロートを頼むようにしている。全ては来たるムーブメントが訪れた時に古参ファンを主張するために。

・書いてて思ったけど「ブーム」と「ムーブメント」ってなんで同じような意味なのに逆さまになってるんだろう。「道路」と「load」みたいなことですか。もしくは「アキバ」と「秋葉原」みたいなことですか。はたまた「新(あら)た」と「新(あたら)しい」みたいなことですか。ゆる言語学ラジオさん、この件についてどう思いますか、よろしくお願いします。

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