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ドラマ「SHOGUN」高評価に対するゲーム畑からの視点

 2024年9月。ドラマ「SHOGUN」が、米エミー賞で史上最多となる18部門受賞という快挙を達成しました。日本の時代劇(しかもセリフの大半が日本語)が、ここまで高く評価されたのは前代未聞のこと。評論家筋に評価されたのみならず、世界規模で大ヒットしたようです。

 これは、とんでもなく素晴らしいことだ――といった話は、映像産業に詳しい人たちがたくさん語るでしょうから、ゲーム産業の片隅にいるわたしとしましては、ちょっと視点を変えて、ゲーム文化から見た「SHOGUN」のヒットの理由、みたいなことを語ろうと思います。

 5000字になろうかという長い文章を、全員に読んでいただくのは申し訳ないので、結論から先に書いておきますと、日本語で作られたドラマが、こうして全世界で受け入れられた要因のひとつには、テレビゲーム文化の発展が、ちょびっとだけ貢献してたかもしれないよね――といった、そんなコラムでございます。

 まあ、全体としては「かる~い与太話」のようなコラムですので、興味のある方は、お気軽に読んでくださいませ。


(注)なお、これは有料コラムに設定してありますが、全文が無料で読めます。ご安心ください。





 日本映画は、海外でヒットさせるのが難しい――なんてことが、昔からよく言われてきました。

 最大の理由は「言語の壁」です。ひと昔前までは、海外の人たち――とりわけ映画産業の本場である北米の人たち――は、「映画内のセリフは、ちゃんと英語に吹き替えないと観てくれなかった」んですよ。彼ら・彼女らは字幕が大嫌い。英語以外の言語で作られた映画は、ほとんど北米でヒットしなかったんですね。

 なぜ字幕が大嫌いだったのか、その理由は、よくわかりません。

 アメリカで上映するんなら、アメリカの母語である英語で喋れよ! と思っていたのかもしれませんし、せっかく映像に集中したいのに、その片隅にテキストが表示されるのを邪魔くさいと感じていたのかもしれません。たしかに、目で字幕を追うのって、面倒くさいですもんね。

 いずれにせよ、北米の人たちは、映像の上に字幕が流れることを嫌っておりました。このため日本映画(にかぎらず、英語以外の映画)が、北米でヒットしなかった時代が、長く続いたのです。



 でも、いつの間にか、時代は変わりました。

 今回の「SHOGUN」のみならず、ちょっと前の「ゴジラ-1.0」も、「日本語のセリフ+字幕」という形式だったもかかわらず、ちゃんと全世界的にヒットしました。あれほど字幕が嫌いだった北米の人たちも、普通に「字幕付きの映画を楽しむ」ようになっていたのです。

 なんか、不思議ですよね。

 いつ、どのようにして、このような変化が起きたのでしょう? 

 じつはこれ、テレビゲームが全世界的な娯楽文化になったことと、無関係じゃないんじゃないかなぁ――というのが、わたしが立てている仮説でございます。




 昨今のテレビゲームでは、ハリウッド映画とながらの、超ハイクォリティーの映像が、当たり前のように使われています。

 でも、映画とゲームには、ひとつの大きな違いがある。

 それが「字幕の有無」です。ハリウッド映画ではセリフが字幕で表示されないのが一般的ですが、テレビゲームの映像では「主人公がセリフを発するとき、それがテキストで画面にも表示される」のが一般的なんです。

 テレビゲームは、かつてはコンピュータ性能が低かったこともあり、音声のセリフを流すことができませんでした。すべてのセリフはテキストで表示されたのです。プレイヤーは「すべてのセリフをテキストで読む」のが当たり前だったのですね。

 いまでは映画さながらの映像が使えるようになりましたが、かつての手法がそのまま踏襲され、画面内にテキストを表記するフォーマットが残っているのです。「映画では字幕なんか邪魔だ」と思っている北米の人たちも、ことゲームで映像を楽しむときは、そこに字幕があることを、とくに気にすることなく受け入れているんですね。

 これは「ゲームの場合、セリフの中にゲーム攻略のヒントが隠されている」ことも多いし、それを聞き逃してしまうとプレイヤーが困ってしまうので、それを避けるためテキスト表記を残している――という考え方もできるでしょう。

 また、セリフを音声情報だけにしてしまうと、耳が不自由な方が楽しめなくなってしまう、という配慮もあるのかもしれません。

 実際には、もっと複雑な理由があるのかもしれませんが、いずれにせよ、「セリフをテキストで表示する」というスタイルが、いまなお踏襲され、それが現在もテレビゲームの基本形になっているのです。




 いま、テレビゲームは、全世界に普及しました。

 2024年現在のゲーム人口は、全世界で33億人くらいと言われています。全世界人口の40~50%くらいが、なんらかの形でゲームに親しんでいる時代です。

 これを言い換えると、「画面内に表示されるテキストを読む」ことに、ほとんどストレスを感じない人たちが、テレビゲームの普及によって、爆発的に増えた、ということでもあるわけです。これこそが、テレビゲームが普及したことによってもたらされた人々の意識の変化として、最大のものなんじゃないかなぁと、わたしは思います。

 テレビゲームという文化は、数十年かけて、全世界レベルで、字幕に対する嫌悪感を、大きく下げることに成功したんですよ。これ、あまり指摘されないポイントだけど、めっちゃ大きな変化なんです。




 その変化を、しっかりと観察できるゲームは「どうぶつの森」かもしれません。

 このゲームで、どうぶつたちは、音声のセリフはまったく口にしません。ただ「ゴニョゴニョ……」といった、喃語(なんご=赤ちゃんがしゃべる言語化されてない言葉)のような声を出すだけです。そこにタイミングよく表示されるテキストを読むことで、プレイヤーは、ごく自然にどうぶつたちとの会話を楽しみます。

 じつはこれ、海外の人が、日本映画を見るのと、まったく構図が同じなんですよね。「聞き取ることのできない言語が音声として流れていて、そこにテキストが表示されている」という状況ですから。

 そんな「どうぶつの森」、最新作は全世界で4,585万本(2024年6月時点の数値)も売れている。これは、海外の人たちが「聞き取れない言語+テキスト表記」に嫌悪感を感じなくなってきた――という事実を反映しているのかもしれません。

 だって「どうぶつの森」って、シリーズ初期からヒットしていたわけじゃないですからね。2001年に1作目が発売されたときは、任天堂の新作シリーズとしては目も当てられないような売れ行きで、世界的にはまったくヒットしていない。ひたすらテキスト表記のセリフを読むだけのゲームなんざ、まったく海外市場では相手にされなかったわけです。

 でも、コツコツと新作を作り続けていたら、次第に受け入れられていった。そして今では、国籍・性別・年齢を問わず、世界中のユーザーに愛され、歴代代販売本数で世界トップ10に迫ろうかという超ヒット作になっているのです。

 つまり、これって世界の人たちが、字幕でセリフを読むことに徐々に馴染んでいくにつれて、売り上げを伸ばしたってことなんじゃないかなぁ――なんてことを、わたしは思ったりしているのです。




 いずれにせよ、テレビゲームの普及によって、セリフを字幕を読むことに不愉快さを感じない人が全世界規模で増えていきました。

 この流れに乗ったのが、昨今の日本製アニメの世界的躍進でしょう。アニメが海外進出するためには、かつては各言語への吹き替え版を作り、それから全世界に向けて輸出する必要がありましたが、いまでは「すぐさま字幕を作り、日本での放送とタイムラグなく全世界に発信」するようになりました。字幕を読むことを不快に感じる人が劇的に減ったからこそ成立するビジネスが行われるようになっているわけですね。

 そして、いまでは海外の多くのアニメファンが、「いっそ吹替えなんかしなくていい。もとの音声をそのまま楽しみたい」という声を発信するようになりつつあるわけです。

 こうなると、次々に面白い作品を生み出せる日本のアニメ産業は、その強みを発揮します。吹き替えのような手間を必要としないのならば、作った端から全世界に輸出できて、ビジネスとしては一気に有利になるのですね。

 いずれにせよ、ここ10年くらいで、「映像に字幕がつく」ことに対して、全世界がめっちゃ寛容になった――ということなんだと思います。


 


 そんな時代の変化があったことが、今回、ほぼ全編が日本語セリフで構成されている「SHOGUN」の大ヒットの下地としてあるんだろうな――と、わたしは思うのです。

・ゲームの普及により、全世界規模で字幕に対する嫌悪感が薄れた
・日本製アニメの大躍進もあり、「日本コンテンツ+字幕」は北米でも受け入れられる素地が作られた


 といった時代の変化があったからこそ、ほぼ全編が日本語セリフのドラマの制作に、ハリウッドがGOサインを出し、莫大な予算をつぎ込むことが決意されたんだろうなと。

 もちろん、そんな環境が整ったからといって、「SHOGUN」のヒットは確実だったかというとそんなことはなく、これがヒットしたのは、とにかくすごい作品に仕上げてみせて製作スタッフ・俳優たちの努力の賜物であり、とりわけプロデュースを手掛けた真田広之さんの並々ならぬ努力の結果であることは、言うまでもありません。

 とはいえ、エンタメの世界市場で勝負するにあたり、わざわざ英語に吹き替えする必要はなく、字幕を付ければ、大衆はちゃんと楽しんでくれる――という時代が訪れていたことは大きいでしょうし、そんな時代が作られた要因として、テレビゲーム産業の発展が、ちょっとだけ寄与していたんじゃないかな――と、そんなことを考えている昨今なのです。




 という結論とともに、このコラムは終わりとなります。

 ただし、最初に断っておきましたが、これは「かる~い与太話」です。

 北米の人たちが字幕に嫌悪感を持たなくなった理由にひとつとして、テレビゲームの普及は一役買っていたとは思いますが、もちろん、それだけが理由ではないでしょう。ゲームのみならず、これはデジタル技術全般が関わるお話なんだと思います。

 最大の要因はSNSの普及でしょうか。人類史の中で、いまほど「モニターで文字を読む」ことが普遍化した時代はありません。モニターで文字を読むことに対する嫌悪感が、これによって猛烈に軽減されたかと思います。

 youtubeや各社配信サイトの普及により、全世界のいろいろな動画が見られるようになったことも大きいでしょう。母語以外の動画を目にする機会が劇的に増え、そこに出る字幕を見る機会も劇的に増えた――ということも、影響として考えられます。

 また、コロナ禍によるステイ・ホームな時代が到来して、自宅で楽しめる娯楽が注目され、結果としてテレビゲームが楽しまれるようになり、全世界の動画にも注目が集まり、そんな複合的な要因によって、ここ数年、字幕に対する許容度が一気に上がったのかもしれません。

 というわけで、テレビゲームが字幕文化に大きな影響を与えたんだぜ――というのは、ちょっと話を盛りすぎな「与太話」でございます。

 まあ、それなりにゲームの影響はあっただろうけれど、本当に巨大な影響があったかというと、それは誰にもわからんよね、くらいの話なのかなと。




 というわけで、こんな「与太話」に長々とつきあっていただき、ありがとうございました。

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