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相対性理論の《光速度不変の原理》が驚くほど面白い!(^^)! … という話


「光速度不変の原理」とは、特殊相対性理論の根幹となっているもので、わかりやすく言うと「光源から発せられている光の真空での速度(光を波と考えたときは伝達速度、光を光子と考えたときは速度となります)は、観測者がどのような計り方をしても常に一定であり、変わらない」というものです。

これは、数ある物理の発見の中でも最も有名なものの一つですが、これが具体的にどんな自然法則の発見なのかをちゃんと理解している人はほとんど存在ません。

あなたの周りにこの原理をちゃんと理解している人が存在するかどうかは、以下の設問に答えることができるかどうかによって知ることが出来ます。
もし以下の設問にある二つの異なった条件の中で「なぜ双方の光速が変化しないのか」を説明できるのであれば、その人はこの原理を理解できていることになります。
説明できないのであれば、理解できていないことになります。

【設問】
  ↓
仮に、宇宙空間に作られた一直線の惑星間道路があったとします。
その道路の一方には、あなたが光の速度を測定する装置を持って立っていて、あなたの遥か前方にはライトを点灯した車が止っています。
そこはテクノロジーが今よりはるかに発展した未来の世界なので、あなたの遥か前方の車は、エンジンのスイッチを入れた瞬間に、加速なしで秒速1万キロメートルの等速で走ることが出来ます。
あなたはその車のライトの光の速度を測定しようとしています。

車が止まっている状態でライトの光の速度を測定すると、当然それは秒速30万キロメートルになります。

次に、車のエンジンのスイッチを入れて、秒速1万キロメートルの速度であなたに向かって走ってくる車のライトが発している光の速度を測定してみます。
秒速1万キロメートルの速度であなたに向かって走ってくる車のライトが発している光の速度は、常識的に計算すれば、《光の速度・秒速30万キロメートル》+《車の速度・秒速1万キロメートル》=秒速31万キロメートルとなるはずです。

しかし、実際はそうならず、あなたが持っている装置は光の速度を秒速30万キロメートルと測定するのです。

ちなみに、光の速度が不変であるということはアインシュタインが相対性理論によって導き出したものではなく、実際に測定した結果として、相対性理論が発表される18年程前に分かっていたことです。
つまりこれは、疑う余地のない事実であり、その装置が測定した光の速度は正しいものだということになります。

問題は、「なぜそうなるのか?」ということです。

次に、もう一つの実験をしてみます。
車のエンジンのスイッチを入れて、今度は秒速1万キロメートルの速度であなたから遠ざかっていく方向に車を走らせるのです。
そして、その状態まま、同じようにあなたに向けられている車のライトの光の速度を測定してみるのです。
今度は、常識的に考えると《光の速度・秒速30万キロメートル》-《車の速度・秒速1万キロメートル》=秒速29万キロメートルとなるはずです。
しかし実際はそうならず、今回もあなたの測定装置が測定した光の速度は30万キロメートルなのです。

どのような方法で、どのような角度に、どのような速度で、光源や、測定装置を動かしながら測定しても、光の速度は秒速30万キロメートルのままで、不変なのです。

これは、どう考えても受け入れられないようなおかしな話ですが、誰にも異論を唱えることはできません。
なぜなら、光の速度が真空の中であれば、どのような条件で測定しても不変だということは、誰にも異論のはさめない「事実」であって、もし問うことが出来ることがあるとすれば、「それはなぜなのか?」「なぜ光の速度は不変なのか?」「なぜ光の速度だけ不変なのか?」ということだけなのです。


その謎を、後に特殊相対性理論と呼ばれることになる幾つかの論文の中で解いて見せたのがアインシュタインなのです。

したがって、この問題の謎は、アインシュタインの特殊相対性理論によって解くことが出来ます。


この問題は、私が初投稿の記事で取り上げている「いかなる物体も光速度を超えることはできない」という相対性理論が導き出している自然法則と似ている部分があって、「動いているものを流れている時間は、静止している物を流れている時間よりも遅くなっている」ということに注目することで、何となく答えが導き出せるのではないかという気がしている人がいるかもしれませんが、もしそう思っている人がいるとしたら、それは間違いです。

この問題は、「動いているものを流れる時間は、静止しているものを流れる時間より遅くなっている」ということだけでは説明できません。

なぜかと言うと、あなたに向かって車が秒速1万キロメートルで近付いているときの車を流れていいる時間の流れの相対的な遅れと、秒速1万キロメートルであなたから遠ざかっている車を流れている時間の流れの相対的な遅れは、完全に同じだからです。
つまり、時間の遅れという現象は、この二つの思考実験で測定されている光速度を同じにする要因のすべてにはなり得ないのです。


だとすれば、この二つの思考実験の中で測定される光の速度が、どうして同じ秒速30万キロメートルになるのでしょうか?
そんなことが、本当にあり得るのでしょうか?
もしあり得るとしたら、それはどのような理由によってなのでしょうか?

その答えについて、特殊相対性理論は何と言っているのでしょう?

これが、今回の設問です。


光は波としても測定されますが、光子という粒子(光量子)としても測定されます。
光を粒子として測定するとき、その測定は、投手が投げる球の速度を測定することと同じになります。

投手を車に乗せて時速100キロでスピードガンに向かって走らせながら時速150キロメートルの球を投げたとすれば、その球の速度は時速250キロメートルになります。

スピードガンから時速100キロメートルで遠ざかっている車から時速150キロメートルの球を投げた場合は、その球速は時速50キロメートルになります。
そのように、物体の速度は変化するのです。

にもかかわらず、光の粒子の速度だけが変化しないなど、あり得るのでしょうか?
もしあり得るとすれば、それはいかなる理由によるのでしょうか?

しかもこの問題はここでは終わりません。
もう一つ、光源を固定しておいて、測定者の方が、光源に近づきながら測定した場合と、光源から離れながら測定した場合があります。
この場合も《光速度不変の原理》は、「測定される光速の速度は秒速30万キロメートルのままであり、変化することはない」と告げているのです。

そんなことが、あり得るのでしょうか?

もちろんこれは、理論によって導き出されているものではなく、実際に光を測定した結果「光の速度は、光源に近づきながら測定しても、光源から遠ざかりながら測定しても、光源を様々な方角に移動させながら測定しても、変化することはなく、常に秒速30万キロメートルだった」という事実の記述なので、あり得るのですが、問題は、それが「なぜなのか」ということです。

どうでしょう。
相対性理論も、光速度不変の原理も、驚くほど面白い物理理論に思えて来たのではないでしょうか。
もしそう感じ、その答えに興味が出てきたのであれば、次の記事をお待ちください。

この答えは、次の記事で公開するつもりなので。!(^^)!






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