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(辛くても)静かな熱を抱いて、踊る。

『それでも、わたしは踊る。』

狭い部屋にメトロノームと鼓動が響く。
体の芯から筋肉の動く音が聴こえる。

指先まで神経の一本ずつをイメージしながら、操作していく。

1.2.3.4...

一つひとつを、動かしては、止めていく。

静かな熱を抱いて、わたしは踊る。

夜が開ける前に一日を始める。

変わらない毎日。一日のうち大半を体を造ることに費やすからだ。もしかしたら何でもそうなのかもしれないけれど、ダンスは踊ってないときのほうが長い。

冷蔵庫を開けてミネラルウォーター引っ張り出す。乾いた体に水分を流し込みたいのに、キャップをひねる手に力が入らない。

ブーン……。

冷たい空気を吐き出しながら唸る中身は、ほとんど空っぽだった。ああ、そろそろ買い出しにいかないと。

真っ暗な部屋に、ぼっかりと冷蔵庫の明かりだけが浮かぶ。何もない、冷たい箱のひかり。

「ハロー。調子はどう?」
「問題ないわ。大丈夫」
「ダイジョーブね、変な言葉だわ」

パソコン越しの、定期的なコンディションチェック。

いったい、何を?何のために?
そんな言葉を飲み込んで、私は答える。

大丈夫。

日本では馴染みの返事だったけれど、たしかにふしぎな言葉だ。意味があるようで、ない。良いとも悪いとも、どっちにも使える。この国には同じような表現はなさそうだ。大きくて丈夫。小さなあなたが言うと可笑しいわね。どうせだし、笑顔で100人乗っても安心くらいの気持ちを込めておこう。

大丈夫。

何が?

あれから舞台は奪われた。
いまは誰もダンスを観ない。
そもそも観れないし。そんな余裕、ないもの。

ホールもリハーサルも、すべてなくなった。
入ることもできない。

あっという間に、芸術の順番は小指が定位置。
みんな、もっと優先すべきことが山ほどある。

マーケットで食材を買い足す。

エコバッグから思わず取り出したリンゴを、憎たらしい睨みつけた。以前なら片手に囓りながらぶらぶら歩いた港道だって、みんな足早に過ぎていく。

つながってはいけない。

最近は食べ物だって、よく洗う。毎日の食事だって、誰かに支えられているのをわかっていながら、その誰かとの接点を恐れる。こんなにもいい天気なのに、世界が早送りの倍速みたいだ。 

「……グーッ……」

どんなときでもお腹は空く。
そうだ。小さい頃、お腹が空いたら飛んでくるヒーローがいたっけ。

「何の為に生まれて、何をして生きるのか」

嫌なこと、言うな……。そんなのは嫌だ、ってことしか、わからないよ。今も。甘くない。

メトロノームをかけて、レッスンを始める。一人でやるレッスンにもすっかり慣れてしまった。

そう、人は失って初めて気がつく生きものらしい。なんでそう設計したかはわからないけれど、たぶん神様のミスだ。どう考えても失う前に気がついたほうがいいのに、できない。

振り付けや舞台装置や照明や、
カンパニーのメンバーからの刺激。
観客から受け取る感覚。
自分を晒すことで得られるクリエイション。
纏っていた鎧が失われて、初めて気がつく。
気がついてしまう。

ブーン……。
耳に残る、自分の中身。

追いかけてくる雑念を振り払って、メトロノームの音に集中する。体を造り、整え、指先の神経一本ずつをイメージしながら動かしていく。

うす汚れたクリーム色の壁に伸びる影。
影はくるくると舞いながら、空を掴む。
汗が床に落ちる。筋肉が動く音が止まる。
ああ、集中が、途切れたそのとき。

開いたわたしの手には、何もない。

何のために踊るのか。

「画面やネット越しでも伝わるの」
「伝わるわよ。伝えようとする意志がそうさせるの」

ほんとうだろうか?

こんなにも簡単に。
場所とつながりを奪われたら、
何もなくなったわたしに。

何が、できるのだろうか。

例えば、いま具合の悪い人がいたとして、目の前で踊っても命は救えない。気は紛らわせられるかもしれないけれど、そういう事実には目を背けずにいたい。今、たった今、この時だって。失われていく命はあり続ける。砂時計は戻らない。

「何の為に生まれて、何をして生きるのか」

答えが見つからないのに、
それでも、と。
口をつく、それでも。
体が覚えているルーティーン。
生活が、習慣が、踊るように最適化されたリズムを刻む。

ああ、そうだ。
それでも、ある。
たしかにある。

壁に伸びる影。
影は、扉を開けてはくれない。
開けるのは、わたしだから。

入れ物も触媒も、変わった。変わってしまった。これから劇場の価値も変容していく。つながりは一度断たれて、違う形に再接続されていくんだ。そう、感覚の可能性をアップデートしていかなくてはいけない。もう、変化は止められないのだから。

「ダンスは動いて、止めることだ。動く以上に止まることが大切なんだ。忘れないで」

止まった歯車を動かす、最初のエネルギー。
わたしのなかの静かな熱。心の中の小さな星。

思い出せ。

ギラギラじゃない。
メラメラもいらない。
それでも、いい。十分だ。

表に見えず、言葉にできない何か。
それでも、と口に出す「何か」がわたしを動かす。

動かすから。

そうだ、秘めた熱は自分の中にだけある。
眩しくない、力強くない、スポットライトにならない。だけど、わたしが見てるその時だけ瞬く。一瞬の光。その熱を、絶やさずに。

「問題ないわ。大丈夫」

今日も、ゆっくりでも。
この静かな熱で、踊る。

踊れる。

踊ろう。

--------------------------------------------------------------------------------これは友人の体験をもとに書いた創作エッセイです。すべての芸術が、再び出会える世界になりますように。

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野やぎ
待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!