イギリスで幽霊を左折させた話。
霊感がまったくない。
まったくないが、時々「あれはぼくにしか見えてないかも……?」というタイミングに遭遇する。
例えば高校生のとき。下北沢駅西口の踏切で友だちと待ち合わせしていたら、明らかにやばそうなオーラが漂う存在がいて、本能で「あ……。あれは目を合わせちゃいけない奴だ……。」と見ないようにした。私服の友だちだった。
そのくらい霊感がない。
だけど、人生で一度だけ金縛りに遭遇した。
+
それは、大学一年の夏。
ぼくはイギリスのブリストルに降り立っていた。
大学のサマースクールプログラムで一ヶ月の短期留学。はじめて10時間以上飛行機に乗って、空港に降りてからもバスに揺られ、着いたときには体はクタクタだったけれど、心はハイだった。スクールに着くと、各々決められたホームステイ先の人が迎えにくる。ぼくは友だちの石田くんと同じステイ先だったのでちょっと心強かった。
ステイ先は割腹のいい、よく笑うおばちゃんの家で、見た目通りの大雑把。家まで半分以上来てから「あ、明日から通学のために道覚えておくのよ!」と言われ、慌てて目印になりそうな建物を見まくった。まじかよ。
ハハハ!日本はどう?何が流行ってる?ごはんは作って置いておくから好きに食べて。トイレは2階を使って。わからないことがあったら聞いて。大学までの行き方はこのバスでこんな感じたけど、わかんなかったら誰かに聞いてみて。ハハハ!
そんな話を矢継ぎ早にされて、英語イマイチな僕らは焦りながらメモする。
「階段上がったらバスルームがあるわ。中にあるのは好きに使っていいわよ。二人は右の部屋と左の奥の部屋を使ってね。左の手前はフランスの女の子が使ってるわ。」
やばい、全然聞き取れない!と正直に伝えたら、笑いながら何度も言い直してくれる。見た目通りのいいおばちゃん。助かる。ドキドキする。フランスの女の子ってこの世に実在するんだな。まじかよ。
相談の結果、ぼくは右の部屋を使うことになった。なんとなくちょっと残念な気持ちを引きずりながら、重たいスーツケースも一緒に引きずって階段を上がる。時差ボケもあってめっちゃ眠い。すぐ寝たい。
部屋のドアを開けると、様子がおかしい。
なんとなく嫌な予感がする。
ドアの先、上の方に小窓。窓はそれしかない。
その下、右手の壁には洗面台と鏡。それと向かい合うようにクローゼットが置いてある。ただし、鏡張り。えっ、なんで?
入り口の左にはベッドが備え付けられていて、ごく普通のありふれたベッド。そして、手前の壁には大きな鏡。
そう、小さな部屋に、三面が鏡張り。
そんなことある?
これがイギリスのスタンダードなの?
洗面台で歯磨きしたら、クローゼットと合わせ鏡の中に永遠自分のシャカシャカが続いていく。とりあえずエグザイルをしてみる。無数の自分が歯磨きしながら小刻みに回転。こわっ。
たぶんここ、もともとバスルームじゃないかな?全面鏡張りの部屋に入る男の話書いたのは江戸川乱歩だっけ?石田くんの部屋もこんな感じなの?
いろいろ気になることがたくさんあったけれど、泥のような眠気が勝りベッドに倒れ込んだ。
その夜。
目が覚めない。
目が覚めないのに、意識がはっきりしている。何なら起きてるときよりくっきりと自分の体がわかる。息を止めて喉の下の方に力が入ってる感じ。そして、体がまったく動かない。
金縛りだ!!!
見えてるのに目が動かせない。声も出ない。
そして、なんだろ。何かある。
足元に何かしらの感覚。
目をつぶってるときに眉間の前に指をかざしたような、ひんやりとしたもわっとした感じ。
そのまま寝るに寝れなくて、気がついたらケータイのアラームが鳴った。めちゃくちゃ汗をかいていた。
+
「ハハハ、環境の変化に脳がついていけてないだけさ!面白いね!」
クラスの担任になった先生に昨夜のことを言ったら、それは脳が追いついてなくて眠りに入りそこねた状態だと説明してくれた。数日すれば治るらしい。もしかしたら留学生あるあるなのかもしれない。けっこう深刻な感じで話したのに、さらっとスルー。相談先を間違えたのかもしれない。でも、そういうもんかな?と納得した。
石田くんはハハハ!と一緒に笑いながら、でも絶対部屋をかえてくれなかった。納得できない。
ちなみにその先生は後日、これがマイベストムービー!といってウィッカーマンを観せられたから、やっぱり相談先を間違えてた。やばいやつだった。
オリエンテーションを受けたり、課題の説明があったりしたけれど、寝不足もあってあんまり頭に入ってこない。これはこれでやばい。脳が追いついてない。
でも帰り道、みんなでまずはフィッシュアンドチップスでしょ!って意気揚々と買いに行ったら、一人一個ずつ油まみれの力士の手形みたいなサイズきて爆笑したりした
その夜。
キーンと音にならない音で目が覚める。
いや、覚めてないんだけど。
金縛りだ!!!
二日目にしてちょっと慣れたもので、もがいても脳が疲れるだけだと開き直って放置。
でも、いる。
今日ははっきりわかる。
女だ。足に髪がかかる感触がある。それと、足首をぶっといソーセージで掴まれたような感覚。ひんやりとした油。ずるずる、ざわざわするような嫌な感じ。
えっ、嘘。きもちわるっ……。
そして、アラームが鳴った。よかった。
びっしょり。めちゃくちゃ汗をかいていた。やばいやばいやばい。なんだこれ。
+
ホームステイ先のバスルームには、各国のシャンプーがあった。だいたい英語だけど、中には何語で書いてあるかもわからないのもある。滞在した学生が、持って帰るのがめんどいから置いていったものらしい。
石田くんは嬉々として毎日世界シャンプー旅行を楽しんでいたけど、ぼくは全然そんな気にならない。端っこに置いた白TSUBAKIを見て、もう帰りたいとさえ思う。ホームシックというか、シッククワトロ金縛り。寝れなくて限界だった。
その後、石田くんの部屋でダラダラしてると、「めっちゃ臭いのあった…。ヒリヒリする。」とシャワーを終えた石田くんが戻ってきた。めっちゃ臭かった。
また明日ね!と石田くんの部屋を出ると、ちょうどフランスの女の子とばったり。ハイ、はじめまして、どこからきたの?拙い英語で話す。名前が全然聞き取れない。フレ……?ふら……?シャ、なに?なんていった?
とにかく、明日帰国するらしい。危うく今日部屋行っていいですか?寝たいんです!と言いそうになった。やばい。バイと別れ際、めっちゃいい匂いがした。
その夜。
脳が追いついて来るのを期待して寝たけれど、やっぱり覚めないまま起きる。
ずるずる。
ざわざわ。
冷えて固まった油がこびりついた、ソーセージの指。べっちょりとした感覚が、足首からふくらはぎ、ふくらはぎから太ももあたりに伸びてくる。
やばいやばいやばい。
叫び出したいのに、声が出ない。
全身全霊で全細胞に命令しても神経が通ってない。首のあたりがぐうっと緊張で固まる。
あっ。
アラーム。よかった。
朝になった。眠い。
石田くんはうっすら金髪になってた。
+
「そういうのは案外、気の持ちようかもよ?」
よっぽどしんどそうな顔をしていたのか、一緒にサマースクールに参加している先輩に声をかけられる。たしかに朝ザイルしたときも目のクマがすごかった。ぐるぐる回ってた。寝れてないのはやばいし、これ以上寝れないと死ぬ。
脳がついていけてないというか、このままだと脳に追いつかれるようなすごくやばい感じなんですけど!!!と言ったらなんか泣きそうになる気がしたので、こらえた。
先輩は小柄だからか一番幼く見られたけれど、大学4年生。就活も目処がついているらしい。ちょっと前まで高校生だったぼくからすれば、めちゃくちゃ大人だった。サマースクールも、観光ついでに英語力を試せればと友達と参加したそうだ。なんとなく思いつきで決めた自分がちょっと恥ずかしくなる。大人過ぎる。
休み時間には、教室のパソコンからバイトのシフトを入れたりしていた。グローバルな大人だ。そして可愛い。
「そんなもんすかね。」
力なく答える自分がひどく小さく見えた。
石田くんは「あれ?イメチェン?」とか言われてた。なにそれ楽しそうだな。うらやましい。たぶんクレンザ的ななんかだったぞ、きっと。
+
とりあえず先輩のアドバイスに従って塩を買って帰る。塩っていうかSaltでも効くのかな。階段を上る足が重い。憂鬱だ。
「ねえ、一緒に寝ていい……?」が喉元まで出かかって、また明日ね!と石田くんに告げる。これはこれで危ない扉が開く。やばい。
なんでこうなったんだろう。
ひと夏の思い出!とまで行かなくても、異国の地で開放的になったり、先輩にいろいろ教えてもらったり、知らない世界を知ったり、外から日本を見ることでわかることがあるってのをやってみたり、将来の夢を見つけたり。そんなキラキラした日々が待っていたはずなのに。なんで、1万キロメートル先まできて、乱歩してるんだろう。泣きたい。泣きそう。
沈んだ気分で寝る準備をしていたら、
ふと、出発前の母との会話がよみがえった。
「念のため、持っていきなさいね。」
「持った持った。」
ぼくはめちゃくちゃズボラなので、旅行先で買ったお守りとかもらったお守りをかばんに入れっぱなしにして、忘れる。ちゃんと神様へ返さなきゃいけないのはわかってるけれど、忘れるから御利益が賞味期限切れかもしれない。
お守りくらい持ったら?という母のアドバイスを聞いたとき、このスーツケースにもたしか入ってたなぁと、ちょっと頭に浮かんでそれきりだった。
あった。
スーツケースのポケットの、網のなか。
「そういうのは案外、気の持ちようかもよ?」
藁にもすがる思いでお守りを掴む。
交通安全のお守りだった。
+
高校生のとき、なんかカッコいい気がして中型バイクの免許を取りに行った。冬休みの間、日程ギリギリの合宿免許。
このスーツケースはその時に買ったものだ。
合宿免許では、ついて早々バイクの引き起こしができなくて(地面を軸に押す感じがわからなくて引っ張ってた)教官に「お前何しにきたんだ?」とナチュラルに存在意義を問われたり、同室の男二人がいい感じにアウトローで、一人は免許ないのに教官とバトるほどの腕前、もう一人ははじめましてより先に「UNOやろうぜ!」と言ってくるやつだったり、すごかった。16歳のぼくにはカルチャーショックだった。
最終試験ではすっかりバイクに慣れ、走り出してすぐ、教官もめちゃくちゃ応援してくれて、所定のコースを会心の出来でまわってゴールした。違った。「そこ左折だぞー!!」最初のルートを間違えてて、教官ずっと叫んでた。ふつうに落ちて、次の日受かった。よかった。同室の一人は先に卒業していき、もう一人はどこかに消えた。懐かしい。
交通安全。
効くのだろうか。交通ルール全然違うけど。
もうなんでもいい。頼む。
気の持ちようなら、効いてくれ。
どうせすがるのが藁なら二本のほうがマシだ。たぶん。
その日、枕元に塩の小瓶と交通安全のお守りを置いて眠りに入る。
+
キーン。
きた。意識が起きる。
乱れ髪ソーセージはもうお腹あたりまで来ていた。
やばいやばいやばい。
脳まで、くる。
くっきりと自分の体がわかる。息を止めて喉の下の方に力が入ってる感じ。そして、体がまったく動かない。
やばいやばいやばい。
集中しろ。研ぎ澄ませ。
何ができるか考えろ。
何もできない。
考えることしかできない。なのに、嫌な感覚と想像は広がっていく。ずるずる。ざわざわ。
叫び出したいのに、神経が言うことを聞かない。じわっと背中に汗をかいていくのがわかる。
あー!!!んもう!!!
目は開けられないのに、視界の端に交通安全が見える。
なんだよもう!!
やっぱり効かないじゃんか!!
恐怖より怒りが勝った。
遠くから誰か叫んでる。
……。
「そこ左折ですよー!!」
……。
「そこ左折ですよー!!」
………。
「そこ左折ですよー!!」
……………。
左折だっつってんだろ!!!!
ビクッッッゥゥゥウウウ!!!!
叫んだのと同時に反射のスピードで上半身が起こされる。朝になっていた。びっしょり汗をかいていたけれど、なぜか気分がスッキリしていた。
ついに、脳が追いついたのかもしれない。怖いから、そういうことにしておいた。
それからは何事もなく過ごして、金髪の石田くんと帰国した。
おわり。
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