『音楽は共感』になった瞬間、死んでしまった。
『音楽は共感』になった瞬間、死んでしまった。
もしかしたらわたしが古いだけかもしれない。死んだのはわたしかもしれない。
でも、そう思う。
知り合いの音楽家は軒並み食べれていない。もう、職業としてのミュージシャンは無理なのかもしれない。
一部のぶっちぎりの才能への投資を除いて、今は動画再生数ごとに〜円とか、1ダウンロード〜円とか、超薄利要多聴のモデルが主流で、細分化された顔の見えないパトロンたちの応援を得ることに必死だ。
みんなひとつの趣味に出せるお財布も時間もはどんどん小さく少なくなっていってるから、より広く多くの人に聴いてもらうことが求められていく。
そういう制限の中で、表現としての音楽は成り立ちにくい。
そして、音楽はメディアの影響を強く受ける。メディアは音楽に収入ももたらす存在だったからだ。その収入で、音楽家は生活を担保して、表現へのリソースを獲得してきた。
かつて、ギターソロがラジオで流すには長すぎて不向きという理由でギターヒーローたちが駆逐されたように、今は動画サイトとやストリーム再生に耐えられるよう、短時間で効率的に刺激があるものや、時間をかけずに共鳴できるものばかりが並ぶ。
SNSで作り手と聴き手の距離が近くなったことで、マーケティングも容易になったし、聴き手の共感をすぐに調べて、大量生産することが可能になった。
どこかで聞いたことのあるもの、すでに知ってる言葉、そのパズルが行われ、結果デスゲーム系の漫画や海外で食べるマックみたいな音楽がたくさんあがっている。
そこそこ刺激的だし、それなりに安心するけれど、心には残らない。
時代を代弁するような曲。
見たことのない情景が浮かぶような曲。
自分でも知らなかった心の中の気持ちを教えてくれるような曲。
そんな音楽に、また出会いたい。
#エッセイ #コラム #音楽 #毎日note #コンテンツ会議
待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!