楽しいことと恐いこと
こんにちは。
もう五月の半ばなのですね。
冷え性の私は、ついこの前まで寝るときは靴下を重ねて履いて、ヒートテックを着て、さらにフリースを着て毛布までかぶって寝ていたのですが、
さすがにもう、暑いです。
朝散歩も継続していますが、5時台にTシャツ1枚で歩けるので、日中はさぞ暖かいのだろうと思います。
(Zoom研修で昼間は引きこもっているので、外の様子がいま一つ…)
朝散歩の風景.
最近、不思議なくらい、早起きです。
寝る時間は早くて23時、いつも0時過ぎなのですが、どうしても5時半には起きてしまいます。早いと4時半くらい。
その時間に朝散歩に出かけます。
誰もいない…かと思いきや意外とみなさん早起き。こんな時期だから、少しでも人のいない時間に…と散歩やランニングをしている人が多い印象。
川沿いをゆっくり歩いたり、住宅街をうねうね歩いたり、いろいろですが、最近は決まった道を通ってしまいます。というのも、猫に会える道があるのです。
最初は偶然かと思いましたが、翌日も翌々日も、たいてい同じ場所に同じ子がいる。近所の人たちにえさをもらっているのでしょうね。
人懐こい子もいればそうでない子もいますが、みんなかわいいのです。今まで猫を見かけてもそんなに心は動かなかったのですが、最近、いろんなことが重なって、猫が気になるようになりました。
しゃがむと寄ってくるねこ.
一度猫が気になると、目が勝手に猫を探します。なんとなくで入ってみた道に一匹、塀の上に一匹。あ、いまあの家の庭に入っていったな…とか。
こんな自分の変化はどうだっていいのかもしれませんが、毎朝、無駄に多く歩くきっかけになっているので、しばらくはこのまま好きに任せて猫を探して歩いてみます。
そのうち、飽きるのかなあ。
そんな自分が未来にいたら、すごく寂しい気がしました。
そう、タイトルは「楽しことと恐いこと」でした。忘れてた。
朝散歩も楽しいし猫に会うのも楽しい。
朝ごはんを食べるのも楽しいし、昼寝の時間も楽しい。
毎日の研修だって楽しいといえば楽しい。
楽しいことばかりの日々、な気もしますが、なぜかずっと、恐いのです。
それは体が震えるような恐怖感ではなく、どことなく不安な、何か戦わなければならないものが近くにあるような、静かな恐さです。
それをいやだと思っているわけではなくて、ただあるものとして認識しているのですが、これはずっと、自分の内側に潜むもののような気がします。
このまま何かが過ぎていく、何かが消えていく、何もできないでいる、それが続いていく、
自分が自分を信じられないまますべてが終わってしまう、恐れ。
選んだ道が正しいのか、つい考えてしまう。このまま進むことも逃げだし他の道を考えるのも逃げ。私は逃げるしかできないのか?と。
そんなことはない、ないはずなのです。
でも、楽しさに常にまとわりつくこの恐さが、自分の弱さだと言われているような気がして。
考えすぎはよくないな、と思って考えることをやめようとしたら、今度は考えなさ過ぎて、地に足がついていない感じになってしまいました。
バランスをとるのが下手だなと思う。それが自分なんだなとも思う。
いつも極端なのは、何でだろう。何に引っ張られて、今ここにいるんだろう。
分からなくてもいいのかもしれないけど、ちょっとはやっぱり分かりたいなあ。
と、また話が逸れたような飛んだような。
いつも文がふわふわしてどっかいってしまうんですよね、読みにくくてすみません。
頑張ることは好きだけど、このまま頑張り続けないといけないと思うのも恐い。自分が望んでいないことをしているかもしれないというのが、恐い。
本当は、楽しさなんてないのかも。また書きます。