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体は魂につながるための門である

天啓のように、するすると気づきが降りてきた。
たぶん今日は、コンディションもよかったんだろう。

これから書くことは、たぶん理解することが難しいと思う。
しかし僕にとっては、今日が人生の節目といってもいいくらい、決定的な気づきだったように思う。
それについて、今は僕にしかわからない言葉で、書く。

魂は汚れない。

稲盛さんの本など読んでいると、よく「魂を磨く」という言葉を目にする。
僕は「そういうものなんだろう」くらいに、疑っているわけじゃないが、別段腹落ちするわけでもなく、浅く信仰していた、その考え方を。

しかし、共同体感覚や、悪人正機(僕はこの考え方が好きだ)について考えると、どんなに現世で悪徳を積んでも、人間に宿る魂そのものの純度はずっと変わらないような感覚があった。つまり、魂のあり様はずっと変わらない。汚れもしないし、磨く必要もない。

では、功徳を積むことには何の意味があるんだろう。
それは、魂を磨いているんではない。

汚れるのは体(たい)。
体とは、魂につながるための門である。

悪徳を積むことや、社会でしがらみに縛られていると、体という門が荒れていく。
蔦が蔓延るように、門が開かなくなってくる。

社会とは、体でできあがっている。
体とは、魂の(ある意味)正反対にあるもの、文字通り肉体のことである。
体があるから、生き物には欲が生まれ、煩悩が生まれる。
それは体としての生き物が生きるための本能である。
社会は体の集合体であるから、欲や煩悩が蔓延っている。
しかし、それに体を絡め取られてしまっては、体という門はどんどん荒れてしまう。

体は、魂につながるための門なのだ。
だから、磨くべきは体という門である。
これが、今日の気づきの核心である。

体という門が開かなくなれば、魂にアクセスすることが叶わなくなる。
そうすると、さらに欲や煩悩に縛られて生きることになる。
負のスパイラルに巻き込まれる。

では、どうすればいいのか。

功徳を積むことは、体という門を磨くこと。

丁寧に生きること。功徳を積むこと。
それこそが、体という門を磨くことである。

人生は、体をもって全うするもの。
それが「全体」ということ。

葛藤は、門を開く力をつけるための試練。

では、体からくる欲や煩悩は無意味なものなのか。
そうではない。
欲や煩悩があるから、人間は葛藤する。
その葛藤を乗り越えるという体験は、しがらみを解いて、再び門を開くための力を養ってくれる。
葛藤を多く乗り越えた人間は、多少の波が立っても、また容易に門を開くことができる。魂につながることができる。

門を開くカギは、フロー。

そもそも、門を開くには、魂にアクセスするにはどうしたらいいのか。
内在的自己のままにいること、そしてフローに入ることである。

フローに入ったとき、我はなくなる。
自己超越、梵我一如、そして共同体感覚という世界である。
自我を飛び越えて魂の世界にアクセスすることを、越境と呼ぶ。

フローに入ったとき、人は、エネルギー(=愛)を生み出すことができる。
現代社会の原則は、エネルギーの移動であり、ひどい場合には奪い合いである。
資本主義がその象徴である。
しかし、体の世界を抜けた人間には、エネルギー(=愛)を生み出すことができる。泉のように、愛が湧いてくるのである。

それをもってして、体を操る。
愛をもって、行動する。
それが、霊主体従というあり方である。

フローに入るには、無我夢中、文字通り、我を失くすほど、体の世界で没頭することである。
つまり、体の世界に深く深く潜っていくと、そこに魂の世界が開けてくるのである。
それこそが、「体は魂につながるための門である」という言葉の意味するところである。体と魂は、対立しているようで、表裏一体なのである。

ところで、神社の門が開いているときは、
体の世界と、神様の世界(=魂の世界)をつなげてくれているのだ。
あまりに、有難い。

門が閉じられていても、「祈る」ことはできる。

MOTHER2の影響でもあるのだが、僕は祈るという行為が好きだ。
たとえ門が閉じられていても、門を開ける力がなくても、門の前に立って、祈ることはできる。
祈ることで、魂に近づくことはできる。
祈ることは、門を開くかすかな力である。

人生とは体を全うすることであり、それが「全体」ということである。

祈る、功徳を積む、葛藤を乗り越える、フローに入る、それが汚れることのない魂にアクセスする方法だ。
もって生まれてしまった体というものを、全うする。
魂に時間という概念はないが、体には時間がある。
それを、全うする。

僕は体(たい)という言葉が好きだ。
体現する、体感する、名は体を表す、体験する、体感覚。
体があるから、命がある。
頭でわかった気にならず、体をもって味わいたい。
それが体を全うするということだと思う。

さて、体を全うするにあたって、
これまでの人生で絡みついてきたあらゆるしがらみを、一度解き去って、
きれいに磨いた門を開いて、魂と対話をしてみたいと思う。

そのことはまた、別の機会に。

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ゆさ
最後まで読んでいただきありがとうございます!